松戸市で初めて!千葉県で2事業所目!一新塾OGの白根邦子さんの運営する『就労継続B型事業所ハッピーワーク松戸』にて「障害者の在宅での就労支援」スタート!

 

松戸市で初めて!千葉県で2事業所目!

 

一新塾OGの白根邦子さんの運営する

『就労継続B型事業所ハッピーワーク松戸』では、

「障害者の在宅での就労支援」がスタートします。

 

自宅で無理のない仕事を行い、週一回の支援員による自宅訪問、

月一回の本人による事業所訪問。その人に合わせた就労訓練、

生活面、心のケアーを支援していくそうです。

 

■『就労継続B型事業所ハッピーワーク松戸』

https://www.happy-choice.org/

 

 

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『塩山「OMOIYARI・OSEKKAI」プロジェクト』の取り組む、塩山に移住された一新塾OG松丸由美子さん!

今回は、一新塾41期の松丸由美子さんのメッセージをお届けいたします。

山梨県甲州市塩山(えんざん)は、ぶどうや桃などの果樹栽培が盛んで、
慈雲寺のイトザクラも有名です。

 

東京でシステムエンジニアとして忙しく仕事をされてきた松丸さんは
この土地の魅力と、地域の方の温かさに触れ、2016年から2拠点居住を開始。
2017年11月に一新塾第41期に入塾、塩山「OMOIYARI・OSEKKAI」プロジェクト
を立ち上げます。

 

そして、2018年春から塩山に移住。畑仕事を始められ、

まちづくりの活動にますます拍車がかかってきました。

松丸さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

『塩山「OMOIYARI・OSEKKAI」プロジェクト』

一新塾41期 東京本科 松丸由美子

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●塩山に移住した理由

 

対象地区の山梨県塩山大藤地区は昔ながらの思いやりあふれる場所です。
私は30年間都会のサラリーマンとして、忙しく生きてきました。
システムエンジニアとして、時間に追われる日々。
物質的には満たされているが、精神的には満たされない日々。
今振り返ると、他人に無関心で孤独だったと思います。

 

新たな人生にチャレンジすべく、2016年より2拠点居住を開始し、
2018年春に住民票を移しました。

 

きっかけは、当時の会社の社長から独立を促され(=戦力外通告)たこと。
その時、これからの後半人生は会社の為に生きるのではなく、自分の為、
地域の為に生きたいと考えました。

 

もう一つの理由は、東京での生活は必要以上に周りに気を遣い過ぎており、
精神的に疲れきっていました。会社と家族の束縛が辛かった。当時の私には
そういう思い込みがありました。

 

そんな中、友人の古民家探しに付き合っていたことがきっかけで、
塩山と出会いました。塩山には非日常の生活があり、ここに来ると
心と体が元気になれました。自然と週末はこちらに来ることが多くなりました。


●移住者だから、守りたい

 

移住した当初は、近所のおせっかいなおじさんがうっとうしくて仕方がありませんでした。
ある朝カーテンを開けたら、うちの畑におじさんがおり、畑を耕していたということもありました。

 

ですが、次第に見知らぬ人も思いやり、助け合う生き方に魅力を感じ、都会では
味わうことができないこの感じをいつまでも残したいと思うようになりました。
おせっかいだと思っていた近所のおじさんが、私の中で恩人に変わりました。

 

この地域も他の地方都市と同様に少子高齢化・耕作放棄地増加という問題を抱えています。
ですが、地域を支えている70代80代の元気なお年寄りからはあまり危機感を感じません。
私は移住者だからこの地域の良さを肌で感じ、守りたいと思うのかもしれません。
この世代の方が元気なうちに、何かしなければと思ったのです。

 

都会から移住してきた新規就農者を全力で応援していくことは、この地域の
問題解消に繋がると考えました。土地が借りられない、家がない、地域に心を
開けない等様々な問題を今度は私たちがおせっかい力を発揮し、新規就農者を
全力で応援することで解消したいと考えます。


●社会の現状

 

「都会 高ストレス社会、リストラ、早期退職勧奨」
私のプロジェクトのメインの対象者は、元都会のサラリーマンです。
都会では、平日は家と会社の往復だけ。通勤時間は片道1時間30分以上、
残業して家に帰るのは、夜11時。睡眠時間も4時間ほど。会社の為に精一杯
働いても、会社の業績により、早期退職を勧奨され、リストラ対象に。
仮に定年まで働いても、その後のビジョンがありません。

 

「地方 少子高齢化、耕作放棄地増加、後継者不足」
地方では、高校・大学卒業後、農業を継ぐ人が少なく、多くの方が県外に出てしまいます。
農業で生計を立てることが難しいこともあり、親世代も継いでほしいと思っている方は
少ないようです。その為、耕作放棄された土地が増え、害獣も増えています。
また、都会のサラリーマンが、地方に移住したとしても、地域のコミュニティ
に入れず、耕作放棄地や空き家を貸してもらえないことも少なくありません。


●私のビジョン

 

こうした元都会のサラリーマンに、塩山に来てもらって、畑で汗を流し、
生きていると実感してもらいたいです。家族と過ごす時間が増え、日々充実して
もらいたいです。さらに、農業で独り立ちし、地域の方と力を合わせ、地域を
守り、活気付け、充実した人生を送ってもらいたいと思います。

 

『種まき育てた野菜をつくる喜び、あげる喜び、もらう喜び
思いやり力(おせっかい力)あふれる塩山大藤地区を守る』
これが私のビジョンです。

 

地元の思いやり力(おせっかい力)と共に、新規就農者があたらしい農業、
地域を作ります。そして、地域の方と都会の方の架け橋になります。


●一新塾でプロジェクト立ち上げ

 

一新塾入塾のきっかけは、縫製工場の再生をアシストしている会社の社長が気になり、
その方の情報を収集していたところ、一新塾の講師をされていたとの情報を得た
ことがきっかけです。『再生』というキーワードは私のテーマでもあります。

 

プロジェクト立ち上げまでの動機とプロセスですが、当初は漠然とこれから生きて
いく地域の役に立つことをしたいと考えていました。
塩山の住まいの近辺も耕作放棄地が目につきます。10年後はどうなるのだろう?と考え、
今から何かを始めるべきだという考えに至り、『OMOIYARI/OSEKKAI』 プロジェクト
を立ち上げることにしました。

 

将来的に移住を考えている一新塾の仲間のお二人にメンバーに加わって頂き、
お二人には、何度も塩山に来て頂き、ここでの生活を体感してもらい、地域の人
とコミュニケーションをとってもらうことから始めました。

 

塩山に来てくれたメンバーから
「東京から1.5時間で来ることができる場所に癒しがある。地元の方に頂いた一杯
のお茶がささくれだった心を癒してくれる。」との感想をいただき、都会の人が
望む観光ってこれからはこういうことじゃないかと思いました。


●現場での活動

 

2018年3月には、塩山にて、UターンしたM夫妻へのヒアリングをさせて
いただきました。ご主人はエンジニアとして神奈川でお勤めでしたが、52歳で
早期退職をし、こちらでブドウ農家になりました。ブドウ畑は奥さんのご実家
の所有。ブドウ栽培は1年間農業学校で学んだので、問題なく始められたそうです。
収入は減ったが、無駄な出費が減り、自由な時間を持つことができ、家族4人
豊かに暮らしていらっしゃいます。

 

また、2018年9月には、調布市の深大寺手作り市で、塩山の新規就農者が
作った果物と野菜を販売しました。初出店でしたが持って行った野菜は完売しました。
野菜の産地(山梨県の塩山)に興味をもって下さったお客さんもいらしたので、
今後は塩山のPRにも力を入れていきたいと考えています。


●私も畑仕事

 

私は、移住してから畑仕事を始めました。
畑仕事は体力的にはとてもきついのですが、土に触れると「私は生きている」
と実感しました。

 

それまでは、都会で時間に追われ、惰性で生きていましたが、その時ここに
新しい居場所があるような気がしました。

 

加えて、地方で生きるベースは農業だと考え、山梨にある農業学校に1年間通う
ことにしました。農業学校では同じ志をもつ新たな同志も得ることができました。

 

また地域の方とも徐々に関係が深まり、今年は組(町会)に入ることができ、
地域行事に参加させて頂きました。
地域の方のご厚意で1反程度の畑もお借りすることになりました。


●今後の展開

 

まず、塩山に興味をもってもらう為に、イベントの開催(手作り市、ワイン試飲会、
古民家修復、耕作放棄地解消、農業体験など)、都会の人と地域の人が集う場所
づくり(cafe、マルシェ)を進めていきます。

 

イベントについては、手作り市に継続的に出店し、新規就農者の野菜を販売し、
都会の方と繋がっていきます。また畑を一反お借りできたので、耕作放棄地解消、
農業体験イベントも実施予定です。

 

2019年2月下旬から農業法人さんのお仕事をお手伝いさせて頂くことになり、
食育イベントの企画と運営を任されています。
また、地域の人が集う場所については、古民家をお持ちの方にお声かけして、イ
ベントの際にお借りするお話を進めています。

 

さらに、新規就農者を応援する為に人材支援、住まい・畑のマッチング、生産支援、
販売支援、加工に携わっていきます。

 

人材支援については、地元の企業さんに農業学校の友人(新規就農者)を紹介し、
3名の就業が決定しました。同じく、農業学校の友人が農家になるので、生産・
販売の支援を考えています。

 

また、加工を請け負ってくれる社会福祉法人さんがおり、そちらに果物や野菜の
加工を委託する予定です。加工して頂いたジュースやフルーツソースを手作り市
で販売します。

 

これらを実現させるために、塩山にたくさんの人が訪れてくれるようにしたいです。
と同時に、私自身が新規就農者でもあるので、農業でしっかりと生計を立てます。
その実体験を新規就農者に伝えていきます。

 

 

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『繋ごう農村』 〜高齢になってもずっといられる農村を〜一新塾OB佐藤豊彦さん!

今回は、一新塾41期・43期の佐藤豊彦さんのメッセージをお届けいたします。

 

佐藤さんは、脱サラし栃木県那珂川町で地域おこし協力隊員としてご活躍。
一新塾には、往復3時間ずつかけて、ほぼ皆勤賞でご参加いただきました。

 

「高齢になってもずっといられる農村を」をビジョンに掲げ、2018年2月に
一新塾の仲間とともにプロジェクト活動を始動、そして、2019年1月に
「合同会社繋ごう農村」を起業されました。

 

佐藤さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

        『繋ごう農村』
   〜高齢になってもずっといられる農村を〜

 

    一新塾41期・43期東京本科 佐藤豊彦

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●地域おこし協力隊へ

私は50過ぎに前職の製造業の会社を辞し、新しいキャリアの場所を地方と
して、栃木県那珂川町の「地域おこし協力隊」に就職しました。

技術系社員として会社に入りましたが、辞める直前は結構ハードワークに
なっていて、あるとき体の危機を感じ、これは一度リセットしてもいいかも
しれないと思ったのです。これに合わせたかのように社内でリストラがあった
のもかえって後押しとなり、思い切って飛び出しました。


●根っこにフォーカス

私の趣味の一つにオートバイで日本各地を回ることというのがあるのですが、
休みの日は渋滞のひどい都市部を抜けて田舎に足を向けると田舎はさまざまな
景色、地方独自の味、温泉で私を楽しませてくれます。

この経験があったことが大きいと思いますが、当時は地方、地域という言葉
にひかれて思い切って飛び込んでみることにしたのです。

新しい田舎での暮らし=ローコストで楽しい毎日は、「今までのストレスの
多い仕事とはなんだったんだろう?あくせくと稼いでまで稼ごうとしたお金と
なんだったんだろう?」と考えさせてくれました。

この田舎で今後も暮らしていきたいと思ったころから、この町で起業という
言葉がちらつきはじめました。そこで移住後は少しずつ手伝っていた農家さん
の販売を足がかりにと最初考えたのですが、どうも何かしっくりこない。これ
がなぜなのかわからず悩んでいたときに、見えてきたのが社会起業というキー
ワードと、それを掲げる一新塾でした。

一新塾の講義は起業のテクニックだけを教えるのではなく、根っこは何かと
いうことに徹底的にフォーカスするスタイルでこの中で少しずつやりたいことが
見えてきました。通勤は講義の都度、往復3時間ずつかかりましたが、面白くて
ちっとも苦になりませんでした。


●繋ごう農村のプロジェクト

一新塾に入ってすぐの12月の合宿で大きな気づきがありました。
今まで高齢者の農業の支援と思っていたのですが、合宿の議論の中で実はその
高齢者自身の生活が困難になると、この町を出ざるを得なくなるかもしれないと
いうことに思いが至ったのです。

早速、町に戻って関係者にヒアリングしてみると、このような高齢者はどうも
沢山いそうなこと。町や県のサポートでは手が足りず対応が後手後手に回ってい
ることなどが見えてきました。

そしてもう一つ思い出したのは、こんな出来事でした。
実は現職になる数カ月前に集落に3人しかいない山の中で暮らすおばあちゃん
と出会いました。その方が言ってたのが”こんなになってもここで暮らしたいんだよ”
との一言でした。

これらの気づきから、高齢になってもずっとこの町に住んでいただいて、農業を
続けてもらうことを目的とした「繋ごう農村のプロジェクト」を立ち上げること
にしました。

それでもプロジェクトが立ち上げるかどうかは不安がありました。
なにもない栃木のド田舎で東京からは離れている。しかも、流行りのテーマの
農業ではない高齢者にフォーカスをあてるような形のもので一緒にやりたい人が
いるんだろうか?

でもPJ募集のあと、それはすぐに間違いだったことがわかりました。
あっという間に仲間が集まってくれたのです。


●見えてきたキーワード

プロジェクトがスタートした中で最初に悩んだのが、「どうやったら高齢に
なっても町を離れないで済むのか?」ということ。一見、生活サポートをする
とか、農業手伝いでいいのでは?と思えるこのテーマもいざ現場に出てみると、
農業をやっていて元気な方が非常に多いのです。

数か月悪戦苦闘するのちに見えてきたキーワードが”車”でした。ここでは
歩いていけるスーパーがあるところに住んでいる方は非常に少ないこと。同時に
家と家が離れていて車の運転ができなくなると友達と行き来ができなくなる方が
多いことが見えてきました。このような状態になると半年以内に町を離れてしま
う高齢者が多く、これが過疎化に拍車をかけていたのです。

実際プロジェクト中にも現場では関係者から少なくとも3人がこの理由で町を
離れている話を聞きました。また、国勢調査、商圏などのデータをあたってみると、
驚くことにここは過疎が進んでいるにもかかわらず、2025年までは65歳
以上の高齢者が増え続け、1500人にものぼることがわかりました。また、
実地調査から、このうちの3割が運転困難者、もしくは予備軍と推測されること
もわかりました。

もう一つ忘れてならない大事なのは車の運転はできなくなっても農業はまだまだ
できる高齢者に取って楽しい仕事であるということ。

これらの調査から、目標は高齢者が運転できなくとも安心して住める農村づくり、
具体的には高齢者コミュ二ティづくり、移動販売、そして元気な高齢者の農業支援
という形に軸がさだまりました。


●会社設立

この3つのテーマから来年度はまずは移動販売をやることにし、会社を設立し
ました。会社名は一新塾でのプロジェクトメンバーからの強い希望があり、
プロジェクト名そのままの”合同会社繋ごう農村”としました。

https://繋ごう農村.com

ご存知のように地方でこのような事業をやっていくのは簡単ではありません。
移動販売ですら、この町の密度よりももう少し高くないと商売としてなりたちに
くいのです。そこで、事業化にあたっては徹底的に知恵を絞りました。

事務所は町内にちょうど今年廃校になった小学校があったので、交渉の上、
学校の裏側のスペースを移動販売事業用として借りることができました。設備も
学校にある調理室、冷蔵庫、事務所、事務用機器をお借りすることで、初期投資
をできるだけ抑えました。

また、移動販売車も中古で購入します。また在庫は売上データをもとに徹底的
に絞り、一般的な移動販売の品目数の1/4に絞りました。

これらの工夫で何とか運転困難な高齢者にもおいしいもの、そして食事だけで
なく衣類なども含めてお届けできればと思っています。


●今後の展開

2019年はまず移動販売を皮切りに、次に高齢者の御用聞きを検討します。
そして早ければ後半から次は高齢者コミュ二ティを実現したいと思っています。
高齢者のコミュ二ティは同時に高齢者以外の世代も集まれる場所にする=学童、
イベント実施拠点にもできたらと思っています。

まだスタートラインに立ったところですが、いろいろな工夫の中で地方でも
社会起業ができる可能性が見えてきました。これからもよろしくお願いします。

 

 

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一新塾OBでNPO法人両育わーるど代表の重光喬之さんが、日経新聞に掲載!

一新塾OBでNPO法人両育わーるど代表の重光喬之さんが、日経新聞に掲載されました!

日経新聞で本日1/28からの4週連続(月曜朝刊)で掲載予定です。
重光さんは、16年に脳脊髄液減少症患者向けのエピソード共有サービス「Feese」も立ち上げています。

 

 

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『障がいがあっても最高の生産者になれる』松戸市に日本酒と手打ちそばのお店「そば幸」とB型事業所「ハッピーワーク松戸」一新塾OGの白根邦子さん!

「障がいがあっても最高の生産者になれる」


それを証明するために、

無農薬酒米で日本酒「幸SACHI」を造った

一新塾OGの白根邦子さん。

 

2017年秋より松戸市に美味しい日本酒と

手打ちそばのお店「そば幸」(障害者が働く場)を開業。

 

2018年にはB型事業所ハッピーワーク松戸(障害者施設)を開所。

 

応援しています!!

 


『産後うつゼロの社会の実現のために』一新塾 本科 行本充子さん!

今回は、一新塾41期・43期の行本充子さんのメッセージをお届けいたします。

現在、社会問題化している「産後うつ」。
ご自身も「産後二ヶ月、毎日泣きながら」の子育てをご経験された行本さんは、
2013年に一般社団法人 乳幼児子育てサポート協会を設立され、産後のママの心に
寄り添って活動を展開されてきました。

産後うつゼロの社会の実現に向けて、ネクストステージに挑もうと
2017年11月に一新塾41期に入塾された行本さん。一新塾の仲間とともに
市川市を現場にチーム活動に奮闘され、市長にも提言されました。
行本さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

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塾生活動レポート

『産後うつゼロの社会の実現のために』

           一新塾41期・43期東京本科 行本充子

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●産後うつゼロ社会

現在、男女問わず約10%の方が罹患すると言われている「産後うつ」。
私は産後うつゼロの社会を目指し、一般社団法人を立ち上げ代表として
活動をしています。とは言っても、私たちの団体は医療従事者ではない
ので産後うつを治療する事はできません。

産後うつを未然に防ぐための活動を行っています。

なぜなら、産後うつは、虐待や少子化、離婚からの貧困へつながる
大きな社会問題だからです。

どのように未然に防ぐのか…発症する原因は産後のホルモンバランスの
乱れと言われていますが、私自身が1300名程度の母親を対象とし
行った調査や、専門家とのディスカッションでは産後の孤独が大きく
関わっていることが分かっています。

また、実際に産後に大きな孤独や子育てに対する不安、社会との断絶感
を感じ、精神的に不安定になったことがある母親は約84%でした。

そこで、私たちは産後の母親が孤独を感じず、子育てに自信を持って取り組めるよう…

・専門の講師を育成
・講師による母子の居場所作り
・父親も巻き込んだイベントや子育て講座の開催

を行っております。

現在、私が代表を務める一般社団法人乳幼児子育てサポート協会が認定した
講師は岩手県から宮崎県まで全国に約60名おり、それぞれが地元密着で
頑張ってくれています。


●一新塾との出会い

私は41期生として、2017年11月に一新塾に入塾いたしました。

私は当時、すでに全国に50名を超える講師もおり、外から見ると順調に
協会運営をしていると感じる人も多かったです。

しかし、産後うつという社会問題の解決に向かうためには、自治体との連携が
必須なのにも関わらず当協会は各自治体と連携が取れていませんでした。

また受講料のみで運営しているため、協会本体の運営が常に余裕がない状態でした。

そこでまず、政策提言など何か自治体と連携できる方法を模索したい!という思いで、
たまたまFacebookの広告に上がってきた一新塾の説明会に参加したのです。

説明会で、卒塾生の皆さんの実績、一新塾で大切にしている「志を生きる!」
ということに大きく共感し、入塾しました。

入塾後は、一新塾の仲間を得てチームプロジェクトが立ち上がりました。
そして、自分のチャレンジする現場の絞り込みにおいては、まず私の現在の
居住地である千葉県市川市で活動をすることに決めました。


●市川市長に提言

決めました…と言いましたが、実は、チーム活動中、何度も何度も、市川市で活動
をすることに「疑問」を感じ、何度も森嶋さんに相談をさせていただきました。

なぜなら私自身が市川市に住んで日が浅いこと、すでに協会の認定講師が全国に
いるのでそちらで活動をしたほうが早道なのではないかと感じたからです。

しかし、この疑問は私の「初挑戦に対する恐怖心」でした。

小心者の私は何度も「絶対に失敗できないとの思い」に引っ張られましたが、
そのたびに森嶋さんとの対話の中で「産後うつゼロの社会を作る!」という
志の道に戻していただきました。

結果、一新塾41期の1年間のうちに、市川市長と直接面談をする機会を得て、
「子育てに関する情報発信」について提言させていただくことができました。

具体的には、市川市では、せっかく子育て支援が充実しているにもかかわらず、
それが利用者に届いていない、 利用者が本当に知りたい情報が、自治体から
発信されていないという現状を伝え、具体的にどういった内容をどのように発信
すると利用者へ伝わりやすいかを、母親の声の代弁者として、市長へお伝えいた
しました。

こうした機会を得た背景には、一新塾卒塾生で同じ地域に住む方にご協力を
いただけたことがとても大きかったです。


●一新塾在籍中のメディア掲載

一新塾41期として在籍中に、

・上毛新聞 10月31日 『子育て学び夫婦円満』
・岩手日報 2018年10月25日『目指せ産後うつゼロ』
・下野新聞 2018年9月30日『気持ちに余裕を』
・山形新聞 2018年9月4日『産後うつゼロへ 頑張るママに寄り添う』
・ケーブルメディア四国 子育て応援番組 イクコミ! 2018年8月『親子で防災に取り組もう』
・NHK鳥取放送局 いろ・どり 2018年7月30日『ママに寄り添う夜泣き保険』
・朝日新聞デジタル 2018年4月27日『産後うつ、どう防ぐ、先輩ママ「頑張りすぎないで」』
・朝日新聞朝刊 山形版 2018年4月23日『産後うつ 先輩ママがアドバイス』

など、多数のメディアで当協会の活動を紹介いただきました。
例えば、昨年7月の「NHK鳥取放送局 いろ・どり」では、当協会が実施した
アンケート結果をもとに、子育ての現状、夜泣き保険の紹介をしていただきました。


●私が志の人生を歩める理由

私は様々な挫折があっても「今の仕事が天命だ!!!」と言い切れます。

なぜ、何度もエゴに引っ張られても、挫折を経験しても志の人生に戻ってこれるのか…。
ここで少しだけ、私の今までの人生について書かせてください。

私は今、シングルマザーとして小学校二年生の息子と生活をしています。

幼少期から思春期、私は常に家族の目を意識し、また家族の中で1人だけ
価値観が違うことに非常に苦しんでいました。
超優秀で理系の両親と姉でしたが、私は大学中退をしアパレル関係で働きました。

なにか一つのことに熱中することもない
とりあえず、その場が上手く収まればいい
困ったことがあっても、誰にも相談しない
主体性を持って行動することはない

そんな人間だった私が、出産を期に大きく変わります。

元夫の仕事の関係で、初めて住む土地で、友人知人は誰もいない、
夫は仕事でほぼ家にいない…そんな超孤独な状態で子育てが始まりました。
産後二ヶ月ころ毎日泣きながら子育てをし「このままだと、私虐待するな…」と感じました。
このままではまずい!と感じた私は、必死に子供と出かけられる場所を探し始めました。

そして、とあるイベントを見つけ参加したところ、一生の付き合いになるであろう
ママ友と子育ての専門家の方と出会うことができたのです。
そこから私の子育てはどんどん楽しくなり、行動範囲も広がっていきます。

少し落ち着いてきた生後7ヶ月ころ
「私も、私が救われたようにママたちの居場所を作りたい!!!」
と強く感じ、自宅の一室でベビーマッサージ教室を始めました。
そこから、少しずつ活動が大きくなり一般社団法人乳幼児子育てサポート協会
を立ち上げ、現在に至ります。

正直いうと、ラクな人生ではなかったです。

でも出産を期に、母子支援を始めてからは、本当に人生が楽しく過去の経験が
すべて今の活動の役に立っている…パパっとすべてのパズルのピースがハマった
感覚です。

この感覚に気がつけたのは一新塾に入って、6つの箱のワークを何度もし、
過去の棚卸しをしたからです。

ですので、どんなことがあっても今の仕事…産後うつゼロの社会を作ることは
私の天命だ!といい切ることができます。


●これからの活動

現在は、

◎市川市での自治体や専門家を巻き込んだシンポジウムの開催
◎協会の経営基盤を盤石なものにするために、企業との連携
◎産前からの継続した支援とのための産婦人科との連携

に向けて動いています。

シンポジウムに関しては市川市での実績ができたら、協会の認定講師のいる
自治体での横展開をしてゆきたいと思っています。

一新塾で出会った同期のメンバーの活躍を見たり、実際にサポートしてもらったり、
情報交換をしたり…。本当にありがた素敵な刺激をいただきながら、前に進んでいます。

一新塾に出会ってから、弱い自分を心から受け止め、その上で前に
進む強さを身につけることができました。

これからも志をしっかりと見つめ、産後うつゼロの社会の実現のために突っ走ります!

※一般社団法人 乳幼児子育てサポート協会
https://kodomokosodate.com/aboutus

 

 

■「一新塾 体験セミナー&説明会」3月から。

2019年は自らの志で、新しい時代の創造、問題解決に一歩踏み出しませんか?
東京・大阪・名古屋・仙台で開催します。ご予約はHPより。
https://www.isshinjuku.com


「コミュニティビル安庵」一新塾卒塾生の「井上レディースクリニック(立川の女性総合診療科医院)」院長の井上裕子さん!

一新塾卒塾生の「井上レディースクリニック(立川の女性総合診療科医院)」院長の井上裕子さんが手掛ける「コミュニティビル安庵」が立川経済新聞の記事になっています。

 

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立川の女性総合診療科医院「井上レディースクリニック」(立川市富士見町1)が手掛ける「コミュニティビル安庵」(同)が完成した。11月25日から店舗や保育所などが順次オープンしている。

院長の井上裕子さんは「命長き時代に生きる時、本当に必要な医療・予防医学を発信し、提供できる場を作りたいと考えてきた。女性診療科が考える、地域包括医療プログラムをここで実践していきたい」と話す。白く丸みを帯びた外観デザインは「小さな命を守り育む『コクーン(繭)』」をイメージ。名称の「安庵」には、「『安』の字には『女』という字が含まれている。優しさの連鎖を伝え、守っていけたら」と思いを込める。
 

医院に隣接し、建物は3階建て。1階に企業主導型保育所「キッズランド ペガサス」、2階に「街カフェCOCOON(コクーン)」がオープンしているほか、来年1月3日には女性専用のフィットネスジム「スタジオ翼」(3階)、同4日には「榎本調剤薬局」(1階)がオープンを予定する。

街カフェCOCOONは10時〜22時の営業。日替わりで低糖質メニューも提供する。井上さんは「ほっと心安らぐカフェ。おひとりさまやお子さま連れ歓迎なので、お立ち寄りいただければ」と呼び掛ける。

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立川の「井上レディースクリニック」がコミュニティービル カフェや保育所など
https://tachikawa.keizai.biz/headline/2811/?fbclid=IwAR0jqVJlzxzN1Bs3wfLwhWoAvI3moGfZ5Y5K2ra6kFPRYYuD4cFkfhIwQHY

 

▼「一新塾 体験セミナー&説明会」3月から始まります。社会起業・政策提言・市民活動で志を生きたい方、ぜひご参加を。(東京・大阪・名古屋・仙台・通信)
ご予約はホームページより。
https://www.isshinjuku.com


一新塾OBの重光喬之さん(NPO法人両育わーるどファウンダー・feese運営責任者)がインタビュー

一新塾OBの重光喬之さん(NPO法人両育わーるどファウンダー・feese運営責任者)がインタビューされています。
重光さんは会社員時代に脳脊髄液減少症を発症され2度の退職と3年間の寝たきりを経験、30歳で一新塾東京本科に入塾されました。

 

一新塾では「療育は両育プロジェクト」を立ち上げ、その後「NPO法人両育わーるど」を設立。難病の当事者ライターとして同病者とのやり取りを経て、非交流型情報共有サービス「feese.pj」を立ち上げられ、現在も痛みと共にありながら活動をされています。

 

▶脳脊髄液減少症を20代で診断された私が立ち上げた「難病の人たちがほどほど、楽になる」取り組み
http://magazine.nimaime.com/shigemitsutaykayuki/?fbclid=IwAR3CYAA-EoFYV2FT00r9DWCYwy8xO1nVfCxAcUkvRoW0GdsSdrqj1mjl6yI

 

▶重光さんは一新塾本「人生と社会を変える根っこ力」にも執筆いただいています。
https://www.isshinjuku.com/03bosu/b_issryku_book.html


「あせない夢〜全ろう者のプロゴルファーとその兄が描くバリアフリーな未来 佐藤裕児・康孝」

11/6発売の『週刊ゴルフダイジェスト』(11月20日号 2018NO.44)にて、一新塾第22・38・42期生で、スナッグゴルフキャラバン隊プロジェクトに取り組まれている佐藤康孝さんの活動がご紹介されています。
ぜひ、手にとってご覧になってみて下さい。

■『週刊ゴルフダイジェスト』(11月20日号 2018NO.44)-------------------

ゴルフノンフィクション
「あせない夢〜全ろう者のプロゴルファーとその兄が描くバリアフリーな未来 佐藤裕児・康孝」

生後間もなく完全に聴力を失った佐藤裕児が、厳しい道のりを一歩ずつ進み聴覚障害者初のプロ資格を取得したのは2006年。以降、多くの人にゴルフを教えながら、試合出場も目指してきた。その傍らにはいつも兄・康孝の姿があった。結婚し、親となった裕児は、不惑の年を超え、まもなく知命の年を迎える。この間、ずっと変わらぬ兄弟の思いがあった−。

(中略)

 裕児の夢の実現のため、兄は会社を辞めてサポート役に徹することにした。前述したように、読唇によるコミュニケーションは、基本的に一対一だ。そのハンディを補うのが兄の耳だった。

 裕児は06年に日本プロゴルフ協会のティーチングプロの認定に合格。晴れてレッスンプロになったのだ。

 だが、それは聴覚障害者にとってとてつもないハードルでもあった。書類審査、実技審査、筆記試験、面接試験までは問題なくクリアできても、その後に待ち受ける4週間に及ぶ講習会が大きな関門になる。

 講師の話を聞き、科目ごとにレポートを提出する。当然、講師と受講者の一対一の講習ではないし、講師の唇すべて正確に読み取るのは至難の業だ。近くで相手と正対しなければ唇の動きは読めないし、口を大きく開いてしゃべってくれなければ、何を話しているかさっぱりわからない。

 そこで、兄が裕児の耳となり二人三脚でティーチングプロの資格を得たのだ。

(中略)

 一方、テニス指導員の資格を持つ兄は、スナッグゴルフキャラバン隊(SGCPP)というプロジェクトを立ち上げ、テニスやドッジボール、スナッグゴルフなどを通して聴覚障害児が課外活動でスポーツに接する機会を増やそうと奮闘中だ。もちろん、その活動を裕児がアシストする。

(以下略)
----------------------------

■スナッグゴルフキャラバン隊ホームページ
 https://sgcpp.com/

『100年後も豊かな暮らしができる熱海をつくる』一新塾OBの市来広一郎さん!

今回は、一新塾卒塾生の市来広一郎さんの志を生きるチャレンジをご紹介
させていただきます。

 市来さんは熱海生まれ熱海育ち。「新しい熱海に再生させたい!」との
思いで2006年東京で会社員をしていた時に一新塾生となり、1年後、
サラリーマン生活を辞めて地元熱海に戻りまちづくりに身を投じ10年余り。
その熱い志の歩みを書籍『人生と社会を変える「根っこ力」』で語って
いただきました。
 
「熱海に帰ってきてから諦めるっていう発想をもったことがないです。
一瞬たりとも。どんなに苦しいときでも」と語る市来さん。「それは僕に
とって一新塾の一年というのが、とてつもなく大きいです。一新塾に入って
『100年後も豊かな暮らしをできる熱海をつくる。人生をかけてそれをする』
とのミッションを見つけ、完全に腑に落ちたんですね」と市来さん。

 さらに、市来さんは、2018年6月に著書『熱海の奇跡』(東洋経済)を
出版され、ますます志を生きる道を邁進されていらっしゃいます。

◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆

塾生活動レポート

『100年後も豊かな暮らしができる熱海をつくる』
 〜たった一人の思いから、地域は変わる〜

               NPO法人atamista 代表理事
             株式会社machimori 代表取締役
                一新塾18・20期東京本科
                      市来広一郎
◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆


●課題先進地「熱海」

 高度成長期、熱海は団体客誘致によって、年間530万人の宿泊客が訪
れる全国有数の温泉地でした。しかし、2011年には246万人と激減。熱
海の人口は、1965年のピークの5万4千人から、現在は3万8千人となっ
ています。加えて「高齢化率」は45%(全国平均26%)。「空家率」は全
国の市で最も高い50.7%(全国平均13.5%)。「生活保護者率」「出生率」
「未婚率」いずれも、静岡県内ワースト1位の課題先進地で、50年後の
日本の姿とも言えます。

 しかし、「衰退しているから、以前のように、たくさんの観光客を呼
ばなくては」とは思いません。過去の延長線でなく、新しい熱海へと再
生させていくことが必要だと思っています。


●生まれ育った熱海への愛着と違和感

 私は、1979年に熱海で生まれ育ちました。親は、熱海駅裏の企業の保
養所の管理人でした。かつての熱海は団体旅行や宴会で賑わい、人があ
ふれていた熱海銀座でした。しかし1990年代には、誰も歩いていなくて、
海岸沿いはさびれ、廃墟のような街並みです。高校時代は「何とかした
いなあ!」と思いつつも、それが仕事になるとは思ってもいませんでした。

 大学時代は、バックパッカーで世界各地を見て回ると「やっぱり熱海
を何とかしたい。熱海って意外にいけてるんじゃないか。潜在的に可能
性秘めているのにもったいない!」と思っていました。

 生まれ育った熱海の自然、商店街が残る街並み、歴史文化の積み重ね
など、可能性はずっと感じていました。さらに、首都圏からの近さは、
暮らす場、訪れる場としてこれほどの潜在的な魅力を持った「まち」は
ないのではないかと思っていました。

 反面、日本社会に対して感じてきた違和感がありました。旅先のイン
ドから帰ったとき、日本に漂っている閉塞的な空気に、衝撃を受けました。
人の目が死んでいるように見えて、「おれはこんな国で生きてきたのか、
そしてこれからこんな国で生きていくのか」と怖くなりました。

 仕事はビジネスコンサルタントに就いて、やりがいは感じていましたが、
顧客企業には貢献できても、社会を良くしているという実感が伴わなかっ
たのです。都会では、大きなストレスを抱えながら必死で努力している
人々がいて、周りを見渡すと、どの企業でも心身を病み、脱落していく
人々は少なくありませんでした。

 2006年、こうした違和感が、私に一新塾への入塾を促しました。


●会社を辞めて熱海に帰る決意

 一新塾では、同じように社会に対する違和感を感じている人、そして、
何か行動をしたいと思っている仲間がたくさんいました。そして、既に
多くの先輩たちが社会を変える行動を起こしてきていることを知り、狭
い社会の中で生きてきた自分に気付かされました。

 さらに、一新塾で得たものは、自らの根っこにある想いをさらけ出し、
その上でアクションを起こしていくことの大切さでした。それは「たっ
た一人の小さな思い、小さなアクションが大きな変化を起こす」のです。
自分自身の行動を通じて、多くの塾生の行動を見て実感していきました。
そして「自分がやるべきことは熱海にある」そう確信したとき、会社を
辞めて熱海に帰ることを決意しました。

 卒塾式の直前、働いていた会社を辞めて、東京から地元熱海に帰って
地域づくりに取り組むことにしました。そして、NPO法人atamista を設
立し、熱海の魅力を体験する交流型プログラム「熱海温泉玉手箱(オン
たま)」のプロデュースを通した地域づくり、地域の人財づくりへの挑
戦がスタートしました。


●体験プログラム「熱海温泉玉手箱」

 これまで、熱海の中で見過ごされてきたものは少なくありません。農
地は商業地・住宅地になり、自然は開発され破壊されてきました。さら
に、農家や漁師、小さな商店、さまざまな市民活動などもです。

 そういった中にこそ、もっと地域をよくしていきたい、という思い
を持って行動しようとしている、かっこいい「おじちゃん」や「おば
ちゃん」がたくさんいました。 熱海温泉玉手箱「オンたま」を通じて、
彼らを発掘し、思いを引き出し、地域の体験ツアーとして形づくること
をやっていきました。

 他に多くのプログラム「地域の食文化を知る」「温泉に生活文化を知
る」「地域のお店の技術を学ぶ」「村での収穫体験」「港町の生活文化を
知る」…を開催しました。

 「農業体験のツアー」では、農家のおじちゃんの思いのつまった美し
い農園に触れると、参加した人たちは感動します。そして、農家のおじ
ちゃんのファンになり、行動で応援する人も出てきました。すると農家
のおじちゃんも、ますますやる気になって、自分の隠れていた思いにも
気付き、さらにアクションを起こしていく、そんな現実も生まれていま
す。スゴいのは、そういった事実に周りも感染することです。それまで、
放って荒れ放題だった隣りの農家さんも、誰も何も言わなくても、見違
えるほどのきれいな畑に生まれ変わらせました。思いが行動の連鎖を生
んだのです。

 熱海ではこのような、たった一人の思いから始まる行動が少しずつ生まれ、
それが次々に連鎖して大きく広がっています。
「たった一人の小さな思い、小さなアクションが、地域に大きな変化を起こした!」
のです。さらに、移住してきたシニア夫婦は、「熱海に移り住んできてよかった、
本当に毎日が楽しい!」と熱海の熱烈なファンも出てきました。


●家庭でも職場でもない、第3の居場所「CAFE RoCA」

 シャッター街となっている熱海の町なかを再生するために「株式会社
machimori」を立ち上げ、その第1弾として、熱海銀座商店街の空き店舗を
リノベーションして、CAFE RoCA (Renovation of Central Atami の略)という
カフェをオープンしました。かつて証券会社だった50坪の空き店舗を、オー
ナーが「君らが熱海のためにやるなら安く貸すよ」との言葉からスター
トしたのです。

 なぜ、カフェか? あるとき偶然入ったカフェがとても居心地がよ
かったのです。サラリーマンから、音楽好きな人、外国人……多種多様
な人が集まってくる。初対面でも気軽にお互い話すことができて、旅先
のゲストハウスのようでした。

 私は、この社会に足りないのは、家庭でも職場でもない「第3の居場
所」だと思うようになりました。イタリアのバールやフランスのカフェ、
イギリスのパブのような、そして旅先のゲストハウスのような、人と出
会い語らう場所なのです。熱海でもそうした場所を作りたい、と思いま
した。

 熱海で暮らす人、訪れる人が出会い交流し、熱海という町そのものが、
都会の人々にとっての「第3の居場所」となるようにしていきたい。し
かも、クリエイティブな30歳代に選ばれる町にしていきたい。そして、
この閉塞感漂う日本の空気を地方から変えていきたいと思っています。

●ゲストハウス「マルヤ」

 熱海銀座商店街の空き店舗のピークは、2011年には30店舗中10店でした。
熱海の町の再生第2弾は、10年空き店舗だった100坪の元パチンコ屋のリノベー
ション。観光と定住の間の多様な暮らし方をつくることを目指し、2015年
ゲストハウス「マルヤ」をオープン。ターゲットは、20代、30代の東京
近郊に住む人たち。熱海に通ってほしい、2拠点居住。泊まると熱海が癖
になり、20%は外国人です。「かつて、旅館、客を囲い込んで観光産業が
衰退した。だから、僕らは逆をやる。積極的に町へ出てもらう」と宿泊客
を魅力ある地域のお店にどんどん紹介します。

 現在は、空き店舗数は10から3店舗に減りました。そして、熱海の宿泊
客数もV字回復。246万人(2011年)から307万人(2015年)へと、60万
人増えました。そして、熱海の町なかの再生第3弾は、57年間一度も使
われていなかった空間をリノベーションしてのコワーキング&シェアオ
フィス「naedoco」です。

 私が目指すのは、2022年までに熱海のリイノベーションの実現です。
売上1億円以上を100社創出し、地域が外貨を稼ぎ、また地域で稼いだ
外貨が、地域内に循環するようなビジネスを生み出すことです。


【市来広一郎さんプロフィール】

NPO 法人atamista 代表理事
株式会社machimori 代表取締役
一新塾18・20 期東京本科

1979 年熱海生まれ熱海育ち/ IBM ビジネスコンサルティング サービスに勤務/
2006 年に一新塾入塾/ 2007年に熱海にUターン/ 2009年より「熱海温泉玉手箱
(オンたま)」をプロデュース/2008年atamistaを設立/ 2011年、補助金に
頼らないまちづくり&中心市街地再生を目指して株式会社machimoriを設立/
2012年空き店舗をリノベーションしCAFE RoCA オープン/ 2015年には
Guesthouse MARUYA を2016年にはコワーキングスペース& シェアオフィス

「naedoco」をオープン/2018年6月著書『熱海の奇跡』(東洋経済)を出版/
一新塾講師。

 

 

 

■誰もが志を生きられる一新塾(2018年11月4日開講)

<東京・大阪・名古屋・仙台>

体験セミナー&説明会は残りわずか!

ご予約はこちらへ

10月20日(土)15:00〜17:45

10月24日(水)19:30〜21:45

10月27日(土)15:00〜17:45

http://www.isshinjuku.com/


 


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