今回は、2017年11月に一新塾第39期を卒塾された福嶋敬宜さんの

メッセージをお届けいたします。

福嶋さんは、病気を顕微鏡を使って診断する病理医として20数年ご活躍です。

 

これまでに、

「病理医になった私が、様々な情報が氾濫する中、社会に伝えるべきは、がんの実像だ」

との思いで書籍『振り回されない「がん医療」』(ワニブックス・2016年)などの

出版活動もされてきました。
http://eritokyo.jp/independent/today-column-book1.htm

 

そして、ネクストステージへのチャレンジとして、一新塾で2人の同志とプロジェクチーム

を結成し、『「がん学び」推進で明日の医療を変える』ビジョン実現に向け邁進されて

いらっしゃいます。

 

福嶋さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

  

  『「がん学び」推進で明日の医療を変える』

 

      一新塾第39期 東京本科 福嶋敬宜

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●がんはありふれた病気!?

医学の進歩も目覚ましい現代ですが、がんによる死亡数は増え続けています。
一生のうちに男性は2/3人、女性は1/2人ががんを患うと聞くと、いかに
身近な病気になったかがわかると思います。

 

そんな中で、がんと告知された人が1年以内に自殺を起こすリスクは、
通常の約24倍に上り、34%は依願退職や解雇で職を失うとも報告されています。
がんが未だに恐怖や絶望を引き起こしていることも明らかです。それもあってか、
「がん」には、そこに付け込む怪しいビジネス(魔法の壺から〇〇水、
〇〇免疫療法まで)が星の数ほどといってよいくらいうごめいています。


●「がん学び」で変えられるもの

そこで、私たちが掲げた社会ビジョンは、「がん学び」推進で、社会の空気と
明日の医療を変えるということです。

 

確かに、がんは風邪のように安静にしておけば治る病気でも、皆が助かる病気
でもありません。がんと診断された人の約4割はがんによって亡くなるのも事実
です(6割はある程度抑えられる)。しかし,治るかも知れない「がん」なのに
自殺して寿命を縮めること、怪しげな療法に無駄に全財産をつぎ込むようなことは、
防ぐことができると思います。

 

そのためには、がんになる前から、「がん学び」によりがんに関するほんの少し
の知識と心構えを身につけておき、いざという時に適切な行動が取れるようになる
と良いと思います。そんな「自分で医療選択ができる主体的患者」が増えていく
ことは、結果として現在の医師主導の医療型から「患者との共同型医療」へ医療も
変えていく可能性があります。また、世の中の人の、がん患者に対する接し方も
変わると思います。


●人生観を変えた初めての歳下の患者の死

私は大学の医学部を卒業した後、臨床研修を経て病理医となり20数年が経ちました。
病理医とは、病理診断という、がん医療では、その治療の根拠になる顕微鏡レベル
の判断を行う医師のことですが、患者の前に顔を出すことはあまりありません。
なので「縁の下の力持ち」「Doctor’s doctor」などと呼ばれたりもします。

 

そんな私の人生観をも変えたのは、研修医1年目に自分が担当していた19歳の男性
が胃がんで亡くなったことでした。「彼が死に自分が今生きている理由は何だろう。」
「なぜ、自分だけは例外のように思ってしまう人が多いのだろう。」など、その後も、
思い出しては考えを巡らせています。


●病理医だからこそ

病理医となった私は、病院で病理診断を行ったり、がんで亡くなった患者さんの
病理解剖を行いながら、病棟にいる時とはまた別の視点で「がん」について考える
生活を送ってきました。

 

いつの日からか、そんな、がんにまつわるいろいろな思いを、一般の人達にも
伝えたいと思うようになり、書籍の出版にもこぎつけました。地味な本でしたので
あまり売れませんでしたが、新聞で書籍を紹介してくれたY新聞の記者からは
「病理医だからこそ、見えてくる真実、伝えられることはまだあるはずです」と
励まされ、再びやる気を起こし、気づくと一新塾に入塾していました。


●一新塾チーム結成

チーム結成後は、がん患者へのインタビューや企業や行政の実情、そして中学校
でのがん教育の視察などを行い、メンバーと議論を重ねました。そして、まず若い
世代を対象にした「がん学び」推進から始めることにしました。

 

ただ、がんというテーマを任意団体で扱うことの難しさもありました。商売?
それとも宗教?などと疑われても仕方がありません。そこで、私たちは、教育機関
など信頼できる団体に活動についての理解を求め、会の共同開催を目指しました。
それでも、ある大学にはプロジェクト準備途中でキャンセルされたこともありましたが、
幸い、塾生期間中に都内の大手予備校のきれいな講堂を使って,高校生を対象に
第一回目の「がん学び」の会を開催することができました。

 

参加者からは「もっと学びたい」「(同世代の)他人の話を聞くとためになる」
「身近な人にも伝えたい」「正しい知識を得るためにアンテナを立てておこうと思った」
など、我々の予想も超えて前向きな声が沢山あり感激しました。もちろん、一回の
セミナーの力などたかが知れていますが、参加者の何人かにとって、「がん」を
考えるきっかけになってくれるだけでも充分だと思い、次に進みたいと思います。


●今後の展開

将来的には「がん学び」推進の対象を、子供達に限らず、企業人も含め様々な
人たちに広げていければと、以下のような展開を考えています。

 

◎セミナ&ワークショップの開催(学校、大学ほか)
◎メディアへの適切な情報提供・情報発信
◎行政への政策提言(不適切な医療情報に対する規制強化)
◎企業向けセミナー・就労支援

 

また一人の医師からの情報発信には物理的にも内容的にも限界がありますので、
各専門家(看護師・ソーシャルワーカー・介護士・医師・弁護士ほか)チームでの
教材作成や講演者派遣などの事業化も視野に入れています。

 

社会の空気を変えて行くことは、言うほど簡単なことではありませんが、
 TVのワイドショーなどでも毎日のようにがんが話題になる時代ですから、そこを
少しでも軌道修正できるような情報発信、働きかけなども戦略的に行っていき、
少しずつでも風向きが変わってくることに期待したいと思います。そしていつの日か、

卒塾式でもらった「だるま」の片目に目を入れたいと思っています。

 

★根っこ力で未来を創造する一新塾

http://www.isshinjuku.com/

 

 

今回は一新塾第22期(2009年5月卒塾)の日向裕一さんの

メッセージをお届けいたします。日向さんは、瀬戸内の真ん中に
位置する大崎上島在住の詩人です。創作された詩を「ヒナタ文学」
として発表されています。3年前に古民家にヒナタ文学堂という
観光案内所・休憩所・憩いの場・フリースペースをオープンしま
した。

 

日向さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

『波乱万丈の激動の中で見つけた芸術と文学への道』
〜ゼロベース=無限の可能性に気づいた人生〜

一新塾第22期 日向裕一
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●自信なき少年時代・閉ざした心

私は、中学校1年生の二学期から不登校となりました。
原因は、いじめ、嫌がらせ、精神的苦痛でした。当時の担任
の先生からは、「登校しなければ中学校の卒業を認めない」
と言われました。

 

周囲の大人たちは、私の表明的な明るさ・元気な外面だけ
を見て判断をしていました。私の両親、とくに父親は仕事が
忙しく母親に「なぜ、学校へ通わないのか」と強く怒りの心
を持っていました。私は、遺書も書いたり、母親への家庭内
暴力もしたり、泣き叫んだり、地域の保護者からは冷たい目
で見られていました。そして、同級生から「害児だ」と言わ
れたり、「お前、殺さるぞ」との暴言を言われてきました。
私は、ますます心を閉ざしました。

 

ある日。保健室の先生が「適応指導教室」を紹介してくれ
ました。そこに通う学生たちとの出会いは、私にとって本当
に楽しく安心して過ごせる居場所でした。

 

そして、当時、私の人生の支えとなったサッカーボールと
の出会いがありました。私は、サッカーに夢中となり、毎日、
サッカーのことを考えていました。他校の先生は、私のサッ
カーにたいする情熱を理解してくれて知り合いを通しフジタ・
ジュニアユースの練習生として参加させてくれました。後に
フジタ・ユース(ベルマーレ平塚)に所属することになりま
した。国際サッカー専門学院で一年間、猛烈な練習をしましたが、
プロの実現は叶いませんでした。この体験が過去の私であり、
心の苦しみを隠してサッカーへの道に行きました。
家族にも友人にも心の苦しみを打ち明けることができなかったです。


●調理師としての道・絶望感

私は、沖縄調理師専門学校を卒業して調理師免許と技術考査
(調理学科)を取得しました。広島県に帰り、飲食店で働き
始めました。当時、20歳頃です。

 

しかし、就職した飲食店に、いじめグループが嫌がらせに
来ました。結局、嫌がらせが続き一ヵ月で退職して、心の病に
なっていました。当時は、いじめグループから逃げることを
考えて県外のコンピュータ専門学校に入学しました。ですが、
体調が悪化して中学校時代と同じく不登校になり、その間、
救急車に何度も運ばれました。


●心の爆発

東京での新たな挑戦は、作詞家になることでした。
私は、12歳頃から詩を書くのが好きでした。私は、音楽
プロダクションのオーディションを会場・東京国際フォーラム
で受けて合格しました。スタジオで作詞担当となり、プロジェ
クトに参加しました。また、音楽業界セミナーにも積極的に
出席したり、一生懸命に音楽活動していました。

 

しかし、突然、身体が震えるほどのめまい、心の爆発みたい
に猛烈な不安感となり、荷物をまとめて広島県の家に帰郷しました。
22歳頃です。結果的に、パニック障害、心身症、思春期障害、
統合失調症の病気と診断されました。お薬の副作用と自暴自棄
で体重も短期間で100キロとなり、最高体重160キロに
なりました。リストカット、自殺未遂4回、肺水腫、心不全、
呼吸不全などで意識不明の重体にもなりました。その後も入退院
を繰り返しました。

 

今現在、私が住んでいる場所は、広島県豊田郡大崎上島町です。
母親の実家である築100年の古民家に住んでいます。私は、
大崎上島の出身で中学校時代は、広島県内の他の地域に住んで
いました。根本的な原因は、中学校時代の「いじめ」「中学校
時代に周囲の理解が無かった」ことです。


●心と愛の気づき

私は、プロレスラーの友人とインド、アメリカには一年間で四回、
千葉県での合宿も数回などを経験しました。私がインドに行った
のは、アーユルヴェーダなどの療法を受けるためでした。ある時
私は、自分自身にたいして素直に見つめ直しました。それまでは、
殻に閉じこもり現実逃避していました。国内外での経験によって
言葉では言い表せないほどの真心と愛を感じました。一つは、母親
の愛情でもあります。ずっと、私と共に苦しい体験をしている中でも
愛を絶やすことがありませんでした。実は、私がインドへ旅をした
のも母親の直観でした。そして、プロレスラーのホームページを
見てインドへの旅を知りました。それが、一つの大きな転換期の
始まりでした。

 

私の自己体験で言えば、直観、素直な気持ち、愛と心、人生観、
世界観、地球観、宇宙観、死生観が重要だと気づきました。そして、
母親の寛大な愛情によって世界への旅もできました。様々な価値観、
文化を知り気づき、少しずつ人間成長できました。


●古里の大崎上島での無から有の実現

22歳のときに古里の大崎上島に帰りました。母親に「中学校
時代が辛かった」と伝えたとき、涙が溢れだしました。

 

その後、心の病も少し安定したときに、8年前に「ヒナタ文学」
という冊子創刊の一号を自費出版しました。部数は、50部。
人生のスタートラインに立てた気持ちになりました。年々、部数は
増えてゆき、今現在、10号を自費出版して累計一万部を達成しました。
また、ホームページには、ヒナタ文学7号〜10号の電子書籍(無料)
を掲載しています。

 

そして、3年前に古民家にヒナタ文学堂という観光案内所・休憩所・
憩いの場・フリースペースをオープンしました。今まで大崎上島に
無かったことを誕生できた喜びは、私だけではなく、両親も幸せに
感じています。それが、私の人生観をチェンジすることになりました。

 

そして、私は、詩人、作詞家、作家、エッセイスト、写真家の目標
ができました。文学だけではなく、教育、心の相談、カウンセラー、
食育、福祉、観光、町づくりも積極的にしています。ヒナタ文学の
任意団体も設立しました。2016年に三大宮様賞の「東久邇宮記念賞」
と、文化の日に「東久邇宮文化褒賞」を受賞しました。
また、2018年には、冊子・ヒナタ文学11号を発行する企画もあります。


●一新塾で感じた同志の存在

私は、生まれて初めて同志という言葉の深さに気づきました。
友人、親友、家族と違った、何かに挑戦できる一新塾の仲間の存在は、
私に生きる情熱を感じました。

 

私が一新塾に入塾したのは2008年、志と信念をもって心の病から
脱却して歩んでいきたいとの思いが湧き上がったからです。

 

当時、私は一新塾の研修で「ファミリー・コミュニケーションズ」という
プロジェクトを立ち上げました。理由は、私と父親の親子関係です。
私は、父親からのアドバイスも、父親への相談も、父親との会話も
なかったです。家族が会話をすること、朝起きて「おはよう」などの
基本的なプロジェクトですが、私の人生で父親の存在は、猛烈に
恐かったです。父親は父親で家族を強く考えての企業戦士でした。
このプロジェクトは、今現在、「ファミリー・コミュニケーションズ」
は完了して、毎日、私も母親だけではなく、父親との会話も楽しく
しています。その経験は、現代社会の家庭でも言えることです。
プロジェクト立ち上げ当初に活動していた一新塾の仲間にも大崎上島へ
来て頂きました。私にとって同志とは、まずは、一緒に自分自身を
見つめ直し、一緒に家族を見つめ直してか始まることだと感じました。


●大きな夢・生きる勇気・無限の可能性

私の大きな夢は、日本代表の世界詩人になることです。過去では
なく、現実を大切に生きて、未来へ前進してゆきます。そして、
人と人との善い出会いは、無限の可能性を生み出しています。そして、
かつて私苦しめた「いじめグループ」を許す心で生きています。
私は37歳となり命と生きる勇気、多くの助け・支え・理解に感謝
しています。

 

今現在は、現実を直視して死生観を常に考えて生きています。
自分自身にたいして失望・悲観などを体験したことが、今となれば
人生の肥やしとなっています。


●将来的ビジョン・心の時代へ

私の古里・広島県豊田郡大崎上島町は、瀬戸内の真ん中に位置する
離島です。温暖でエーゲ海のような場所です。大崎上島には橋が
架かっていませんので日本を縮図した小さな楽園とも言えます。

 

私の将来的ビジョンは、豊かな心の人間成長が重要であり、広い
価値観、広い視野と、柔軟な心も大切だと感じています。世の中は、
お金と物質だけではなく、人間としての幸せな人生の道を創りたい
です。たしかに、橋が架かると交通にしても便利になってゆきます。
しかし、大崎上島は、橋の架かってないことで移住者も増加しています。
また、海外の旅行者も訪れています。

 

小さな楽園の自然あふれる島の魅力を世界へと発信できるように
してゆきます。日本一幸せな離島社会の実現こそ、大きく言えば
日本社会の幸せへとつながると感じています。

 

検索「ヒナタ文学」
公式ホームページ http://www.hyuga-yuichi.com/

 

 

★誰もが志を生きる一新塾

http://www.isshinjuku.com/

 

一新塾OGの野田香里さんが北海道新聞に。
10月に占冠(しむかっぷ)中央小学校で、村の特産品のメープルシロップのPR動画を作るための授業をされました。

記事の写真は、動画に入れるナレーションを収録する児童の皆さんの様子です。

この授業は、文化庁の「文化芸術による子供の育成事業」の一環で行われました。
野田さんはこれまで執筆業をされながら、歌舞伎役者を追ったドキュメンタリー映画を作られ、東京の小学校で映画を介在に歌舞伎の授業を行ってきました。

 

 

<ご参考>
▶占冠発のメープルシロップ まちおこしレポート
http://kurashigoto.hokkaido.jp/report/20161005091500.php

 

★野田香里さんの活動はこちらに執筆いただいています。
一新塾新刊「人生と社会を変える根っこ力〜政策提言・社会起業・市民活動」
http://www.isshinjuku.com/03bosu/b_issryku_book.html

今回は、一新塾第37期・第39期の小池勉さんのメッセージをお届け
いたします。

小池さんは、2015年11月に一新塾に入塾され、翌年、「フィールド・
フォー・シチズン」プロジェクトを立ち上げ、神奈川県秦野市を
現場に、一新塾の同志と共に活動を開始されました。

小池さんは、今年は、1反の田んぼを借り受け、お米の栽培に
チャレンジされています!私も7月に現地に訪問、一緒に草取り
をさせていただきながら秦野の素晴らしい自然と人の魅力を
感じさせていただきました。

それでは、小池さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

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塾生活動レポート

 『農家と市民をつなげて耕作放棄地を憩いの場へ』
  〜シェアファームで耕作放棄地をゼロへ〜

     一新塾第37期・第39期 東京本科 小池勉

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●耕作放棄地をゼロへ

 耕作放棄地と市民をつなげれば耕作放棄地をゼロにできる。
農家と市民がつながることで疲弊した農村も活性化し、市民も
自然に癒され一石二鳥になる。こんなことを考えたところから
プロジェクトは始まりました。

●増え続ける耕作放棄地

 平成28年現在、農家の平均年齢は66.8歳、そして耕作放棄地
は28.4万ha。東京ドーム6万個もの面積が利用されずに眠って
いる農地となっています。

 農業が魅力を失い、耕作放棄地が増え続けることで、
田園風景は失われイノシシやシカなどの獣害も増加しています。
そして何よりも、農業が体験できるという貴重な機会が失われ
ています。

●耕作放棄地と市民をつなげる

 我々には田畑を守るのは農家という先入観があります。しかし
耕作放棄地が増え続けている状況では、そんなことも言っては
いられません。現在は特定農地貸付法があり、農地所有者から
地方公共団体や農協が農地を売買、貸借して、会社やNPOなど
が農業委員会による承認を受けて市民農園を開設できるように
なっています。

●絆を深められない人生

 私は生まれて4日後のクリスマスイブに母親を亡くしました。
 母親との早すぎる別れが影響しているのかどうかは分かりませんが、
人との付き合いが下手で何気ないコミュニケーションをとるのが
苦手です。それでも、父親が植物好きだった影響から農業関係の
仕事に就きました。物言わない植物に癒されることで、複雑な
人間関係を忘れることが出来ました。

●好きではなかった故郷

 私は3歳になった頃に、神奈川県秦野市に移り住みました。
秦野市は私の故郷です。しかし都会に憧れていた自分には、
山と緑に囲まれた盆地である秦野を好きにはなれず、結婚後は
まるで転勤族のように数年ごとに、茅ヶ崎、横浜、厚木などを
転々としました。

 とはいえ長男である自分は、親が高齢となったら故郷・秦野に
戻ると決めていました。10年ぶりに戻った故郷には知り合いは
いませんでした。

 そこで、仲間を増やすために母校の小学校のおやじの会に
入りました。おやじの会のメンバーでは、秦野市で生まれ
育ったものは少数派で、秦野市に移り住んできた人ばかりです。
懇親会で飲んで話が盛り上がってくると口々に秦野市の素晴らしさ
を語ります。山と緑に囲まれた自然が残り、名水で知られる秦野。
40歳を過ぎてようやく、故郷である秦野の素晴らしさに気付か
されたのです。

●一新塾での活動

 自分の志(根っこ)を見つける。そんな強い思いで一新塾に
入塾し「フィールド・フォー・シチズン」という名前のプロジェクト
を立ち上げました。

 プロジェクトを行うにあたっては秦野市のチベットと呼ばれ、
昭和の田園風景が色濃く残る上(かみ)と呼ばれる地域を選び
ました。我々のプロジェクト活動に理解を示し、後ろ盾となって
くれる地域の顔役の農家さんとも出会い、昨年の10月より
市民農園シェアファームの運営を始めました。

●シェアファームでの日々

 耕作放棄地は宝の山です。現在、シェアファームでは1反の
田んぼを借り受け、お米の栽培をしています。

 昨年の10月に背丈ほどの高さに伸びた草を刈るところから、
田んぼのプロジェクトはスタートしました。そして春になり
田を耕し始めると、田んぼのシーズンの始まりです。

 6月には多くの仲間が集まり田植えを行いました。

 ところが、7月に入ると除草剤を使っていない田んぼには、
眠っていた草のたねが目覚めはじめ、田んぼは草に覆われました。
7月中は多くの仲間と草を取り続ける日々でした。また殺虫剤を
使っていないためイナゴの大群も押し寄せ、稲の葉もずいぶん
食べられました。

 9月になると稲の穂もこうべを垂れ、動物に狙われます。そこで
イノシシやシカの侵入を防ぐためのネットや、スズメから稲穂を
守る網をかけるなど作業が続きました。竹の切り出しで、ヤマビル
に血を吸われたり、ブユに刺されて何日も腫れが引かなかったりと、
苦労は尽きません。稲を手で刈り竹を組んで干す作業は、1反とは
いえ大変な労力です。休憩時間には、お米をつくるのは大変な作業
の連続で、昔のお百姓さんは大変だったんだねと話をしています。

●シェアファームの展望

 一年を通して魅力がいっぱいのシェアファーム。田んぼのある
神奈川県秦野市柳川は丹沢のふもとにあり、大自然に囲まれています。
時にはイノシシの肉が手に入ることもあり、ボタン鍋を食べ、初夏
には大発生するイナゴは捕まえては佃煮にします。6月にはタケノコ
が出て、7月には蛍が舞い、冬には落ち葉を集めて、焼き芋も食べます。

 今年の参加者はボランティア活動という形で協力したいただきました。
今後は、クラブ・フィールド・フォー・シチズンとして年会費を集め、
シェアファームの経営を安定させていくことが、人と人をつなげて、
絆を深めて、耕作放棄地をゼロとする、我々のビジョンを達成するため
に重要であると考えています。

 皆さんもぜひシェアファームで自然の恵みを体験してください。

 

■新しい時代を創造する一新塾
説明会残りわずか!

10月14日(土)15時〜17時45分

10月18日(水)19時30分〜21時45分(最終回)
http://www.isshinjuku.com/

 

世界秩序は大きく波打ち、
先進国は高齢社会に突入し、
人生100年時代を迎え
ライフスタイルの転換が求められ、
IoTやAIにより
働き方に革命が起こる時代。

 

私たちの生き方にも、
私たちの社会にも、
これまで確かそうだった
敷かれたレールに
大きな亀裂が入ってきました。

 

激動の時代、これまでの価値観が
大きく揺らぐ中で、
いま、もっとも求められるのは、
揺るがぬ、自分の重心、
「根っこ力」です。

 

私たちは、自らの根っこを
掘り下げることで、
国づくりの一端を
担うことが出来ます。

 

すべての人たちは
志を生きることが出来ます。

 

一人ひとりの人生こそが
社会創造の礎なのです。


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【 参加者募集 】
東京・大阪・名古屋・仙台
「一新塾 体験セミナー&説明会」
http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html

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一新塾は第41期が、2017年11月に開講します。
一新塾体験セミナー&説明会を開催中です!

 

今、時代が求めるのは、「根っこでつながる力」。
志を軸に、仲間と真の協働を果たすことができるか。

「社会起業」「市民活動」「政策提言」で未来創造に挑んでみませんか?
そのヒントが一新塾体験セミナー&説明会で学べます。
 

【主な内容】
●なぜ一新塾で学ぶと人生と社会が変わるのか?
●激動の時代、なぜ、今、市民なのか?
●志を生きるロールモデルの30人の講師
●ゼロベースでビジョンを描くには?
●仲間と協働し、現場主義を生きる方法
●20世紀リーダーと21世紀リーダーの違い
●「根っこ(志)」と「幹」をつなげる問題解決フレームワーク『6つの箱』とは?
●「社会起業」「政策提言」「市民活動(NPO)」で社会を変える方法論
●志のコミュニティから生まれたOBOGのプロジェクト紹介!

 

講 師:森嶋伸夫(一新塾代表理事・事務局長)
テーマ:「“根っこ力”が社会を変える!」
参加費:無料
申込み:http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html

 

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【東京本科 体験セミナー&説明会】
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日時:
9月 2日(土)15:00〜17:45
9月 6日(水)19:30〜21:45
9月 9日(土)15:00〜17:45
9月13日(水)19:30〜21:45
9月16日(土)15:00〜17:45

※現時点で決定しているスケジュールです。
ご都合あわない方はこの先も予定しています。

会場:一新塾セミナールーム
(住所)東京都港区芝3-28-2カスターニ芝ビル2F
(地図)http://isshinjuku.com/map.html

申込み:http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html

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【大阪地域科 体験セミナー&説明会】
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日時:
8月26日(土)13:00〜15:45
9月30日(土)13:00〜15:45

会場:難波市民学習センター
(住所)大阪市浪速区湊町1丁目4番1号 OCATビル4階
(地図)http://www.osakademanabu.com/namba/

申込み:http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html

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【名古屋地域科 体験セミナー&説明会】
---------------------------------------

日時:
8月27日(日)13:00〜15:45
10月1日(日)13:00〜15:45

会場:ウィルあいち(愛知県女性総合センター)
(住所)愛知県名古屋市東区上堅杉町1番地
(地図)http://www.will.pref.aichi.jp/frame/f-kotu.html

申込み:http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html

---------------------------------------
【仙台地域科 体験セミナー&説明会】
---------------------------------------

日時:
9月10日(日) 13:00〜15:45
10月9日(月祝)13:00〜15:45

会場:仙台市民会館 
(住所)仙台市青葉区桜ケ岡公園4番1号
(地図)http://www.tohoku-kyoritz.co.jp/shimin/koutu/guide.htm

申込み:http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html


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【通信科 電話での個別説明 】
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ご多忙な方、上記地域以外の方を対象に通信科をご用意しています。
随時、お電話での個別説明を10〜15分程度させていただきます。
(東京・大阪・名古屋・仙台での説明会へのご参加も大歓迎です)

申込み:http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html

 


【講師プロフィール】

森嶋伸夫(一新塾代表理事・事務局長)

1964年生まれ。1988年慶應義塾大学卒、積水ハウス(株) に入社。
「都市開発」「まちづくり」の仕事に携わる。
1996年一新塾へ入塾。
1997年政策学校一新塾マネジャーへ。大前研一氏の下で薫陶を受ける。
2002年一新塾のNPO化に伴い、代表理事・事務局長就任。
20年で4700名の塾生の“志を生きる挑戦”に立ち会い、人生の転機での相談役。
これまでに1000を超える「政策提言」「社会起業」「市民プロジェクト」をインキュベート。
誰もが、いつでも、どこでも、市民を生きられる『志を生きる方程式』のメソッドを確立。
市民起点の新しい国づくり、地域づくりの支援に全国を日々奔走している。

著書に『根っこ力が社会を変える』(ぎょうせい)、
共著に『一新力』(文屋)、『今のニッポンを変えろ!』など。

2025年には認知症患者の数が全国で700万人を超えるとの推計があります。
今回は、浦安市にいち早く認知症カフェをオープンした一新塾第32期の
齋藤哲さんのメッセージをお届けいたします。
齋藤さんは、一新塾の仲間と『オムソーリ・プロジェクト』を立ち上げ、
“認知症から家族を守る、分かち合い社会の実現”をビジョンに掲げ、
浦安を現場に奮闘中です。

齋藤さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

『オムソーリ・プロジェクト』
〜認知症から家族を守る 分かち合い社会の実現〜

一新塾第27・32・34期 東京本科 齋藤哲

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「オムソーリ」とは、スウェーデン語で「悲しみの分かち合い」を意味する言葉。
家族任せの介護から、地域の人や介護のプロと分かち合う社会へ。
そんな想いを込めてプロジェクトの名称とした。


●他人事ではなかった、認知症

 

父が前頭側頭型認知症と診断された。
「認知症の中でも、家族が最も大変なタイプの認知症です」
医師から告げられたのは、全く聞いたこともない病名。
認知症?何もわからない。
とにかく病気について知ろう。
そう思い、認知症について書かれた本を読んだ。

 

理性を司る前頭葉の機能低下が起こり、人が変わったように羞恥心や自制心が
なくなり、反社会的な行動を起こす。認知症について詳しく書かれた分厚い本。
2ページしか割かれていない前頭側頭型認知症についての解説。
その最後の一文に絶望した。
「進行を止めたり治したりする治療法はまだありません。」
父との時間はもう戻らない。全く違う人だと思っていかなければならない。
そう考えると涙が止まらなかった。


●自分で治療法を考え、治そう

 

自分が考え出した解決策は、この病気の治療法を見つけ、父の病気を治すという
ことだった。なぜ父がこの認知症になってしまったのか。どうして前頭葉、側頭葉
の機能低下が起こるのか。医療の世界でもまだわかっていない答えに、無謀に
ぶつかろうとし、また絶望した。仮に誰かが治療法を見つけたところで、その時
にはもう父は亡くなっているだろう。どうせ間に合わない。当時の私は全く冷静に
考えることができなくなっていた。


●一新塾へ

 

そんな絶望の最中に飛び込んできた一新塾からの塾生案内メール。自分を救う道は
ここしかない、そう直感した。27期では参加しながらも、自分の都合で最後まで
通いきれずに中途半端にしてしまっていた。自分自身の志も見つけきれなかった。
今しかない、ここしかない!

「治療法を見つける」という無謀な解決策ではなく、父の病気を受け入れ、
新たな解決策を見出して行こう。そう心に決め、一新塾に32期生として参加した。


●オムソーリ・プロジェクト立上げ

 

父の病名がわかってからも家族の困難は続いた。70歳を過ぎたばかりの父の体は
元気で病識もない。家族が行動を制限しようとすると、必ずと言っていいほど衝突した。
病名がわかったからといってすぐに介護保険のサービスが使えるわけではない。
介護認定を受けるまでの期間はどうすることもできなかった。
認定が下りてからも、介護保険のサービスの利用を試みるが、言葉巧みに職員を
振り切って帰って来てしまう。家族は仕事を辞めて24時間付き添うしかないのか、
そう感じながら生活していた。

 

しかし、24時間寄り添い続けることは体力的にも不可能。仕事を辞めれば収入も
途絶えてしまう。医療も介護も充てにできない状態だったが、仕事を辞めること
もできず、父を一人置いておくことしかできなかった。

 

一新塾に入塾した当時、認知症患者は日本全国で462万人と推計され、話題になり
始めていた。私と家族が直面した困難な家庭環境に、それだけ多くの人たちが
苦しんでいる。高齢化がますます進んでいく日本。それに伴い認知症患者の増加
していく。認知症の人だらけになってしまう将来の日本を想像し、ぞっとした。

 

認知症の介護を全て家族任せにしていては、日本社会は成り立たなくなってしまう。

 

どうしたら良いかわからない中、一冊の良書に出会った。
『寝たきり老人のいる国いない国』(大熊由紀子著)
1980年代の取材を元に書かれたその本には、日本の尊厳の失われた悲惨な介護と、
北欧諸国の本人の意思を尊重した介護の姿が詳細に書かれていた。30年以上前の
話にも関わらず、本人の意思尊重の点では現在の日本よりもはるかに進んでいる
印象を受けた。

 

日本の介護の環境はまだまだ良くすることができる。
それまでは日本の介護は何の役にも立たないと絶望していたが、この本との出会い
が未来の介護を創るという発想に転換するきっかけになった。


●オムソーリ・カフェをオープン

 

入塾から3か月。何とか2人の一新塾のメンバーとともにプロジェクトが立ち上がった。
社会人としての経験は積んでいるものの、全員が認知症については全くの素人。
まずは学ぶことからスタートした。

 

その過程で出会ったのが、『認知症カフェ』だった。どうやら目黒区に1カ所だけ
あるらしい。さっそく学びのために現場視察へと向かった。視察先での体験は
忘れられないものになった。

 

勉強しにいったつもりが、介護の先輩に囲まれていると、自然と自分の家庭環境
や悩みが口からポロッとこぼれている。気が付けば一通りの悩み相談を終え、
気持ちも楽になっていた。

 

同じ経験をした人にだからこそ、何でも話すことができる。何かを強制される
こともなく、自然な形で会話を楽しみ、認知症の情報を得て、気持ちも楽になる。

 

私の住む浦安市にもこんな場所を創りたい!
そんな想いで浦安市内の古民家を借り、『オムソーリ・カフェ』をスタートした。


●最初はただ、父の居場所をつくりたかった

 

定年後も趣味の写真を撮りに行ったり、散策をしたりと穏やかな暮らしをしていた父。
この病気さえなければ、もう少し老後の人生を謳歌できただろう。この病気のせいで、
家族もしんどい思いをし、父を追い詰め、父の行動を制限せざるを得なくなった。
何とかして、地域に父の居場所を、人と交流が持てる場所をつくりたかった。
私自身も救われたかった。


●オムソーリ・カフェは月に一回、土日に開催

 

オムソーリ・カフェは、平日働く介護者でも参加できるよう、土日に開催することにした。
浦安市にも認知症の家族会があったが、平日の日中のため参加できなかった苦い思い
があったからだ。

 

場所を借りた古民家はとても落ち着いた環境で、介護する家族だけでなく、
認知症の方もくつろいでもらえる温かみのある場所。
今では場所を喫茶店のレンタル・ルームに移し、月1回の開催を続けている。
介護する家族だけでなく、介護業界、医療業界、司法書士事務所、政治家の方など、
本当に多様な方々に参加いただいている。

 

介護家族だけでは答えられない難しい問題も、プロからのアドバイスをもらうことも
できる。また、ケア・マネージャーなど、関係性があると相談しにくいことも、
第三者だからと積極的にお話いただける方もいる。
3年半続けるうちに、何とか自分の介護経験を他の人の役に立てたいと、運営を
サポートしてくれるメンバーもたくさん生まれた。


●認知症カフェ連絡会

 

オムソーリ・カフェを立ち上げたころ、認知症カフェは千葉県全体を見回しても
ほとんどなかった。カフェを立ち上げてから半年ほどの間、自分たちも認知症カフェ
を立ち上げると視察に来てくれる方の参加が増えた。その頃に出会ったメンバーで、
千葉県の認知症カフェ連絡会、情報交換会を開催している。

 

各団体のメンバーはみな主体的。運営の悩みや工夫の共有から始まった会だが、
今では行政も招き、100名規模の情報交換会の開催、認知症カフェMAPの作成、
千葉県認知症カフェの一覧作成と様々な事業に取り組んでいる。

 

自分が志を立てたことで、様々な地域の有志とも多く出会う事ができた。
浦安市でも行政と連携し、認知症カフェ連絡会ができて活動も進めている。
 

 

<<一新塾5月開講!説明会あと少し!>>
◎東京 5/10,13,17

ご予約はhpより http://www.isshinjuku.com/

一新塾33期の工藤雅生さんが4月4日に癌のため他界されたとのご連絡をいただきました。名古屋の仲間がずっと声をかけ励まし寄り添っていただいておりました。
                                       
工藤さんは、「マネー至上主義」の効率優先社会についていけない人たちが心を病んで孤立していることに大きな問題意識を抱いていました。
人間が人間として自信を持って生き生きと生きている社会、人の為に自分を生かせる生き方をしている社会を切望されていました。

 

工藤さんが取り組まれたのは、「リヤカーをバトンに日本一周リレー旅」プロジェクト。
東日本大震災のボランティアの際にがれきの中から見つけた壊れたリヤカー。それをバトンにリレーで日本一周を目指します。 
誰かが次の街までリヤカーを牽いてそしてまた誰かが次の町まで牽いていくプロジェクトです。

 

「一見意味の無さそうな事を懸命に取り組むことで分かる『生きている』という実感、これを多くの人に感じてもらいたい」と語っていた工藤さん。

 

昨年6月にお会いした時の元気な工藤さんが脳裏に焼き付いていて、未だ信じられませんが、
工藤さんの志をしっかり受け継いで歩んでまいりたいと思います。

 

いよいよ3月4日、いったん廃止になったJR路線が全国で初めて復活します!

「ふたたびプロジェクト」事務局長の寺本克彦さん(一新塾12期)の活動が

中国新聞(2/28)で紹介されました。
「継続は力なり」です!

 

※一新塾では卒塾後、地域で活躍されている方が多くいらっしゃいます。

体験セミナー3月から東京・大阪・名古屋・仙台にて開催します。

http://www.isshinjuku.com/

21日NHK「ひるまえほっと」の番組で一新塾OGの峰松めぐみさんが企画・運営する「うらやす子ども起業塾」の2016年夏の様子が放送されました。

 

峰松さんの「子どもの未来創造支援プロジェクト」の企画とビジョンに浦安市職員の方が共感され、2014年の夏から「うらやす子ども起業塾」開催しています。プロジェクトメンバーは浦安市民の大人たち。今年も浦安市の協力をいただき、起業体験をしてみたい子どもたち(小学5年生〜中学生)を10人募集したところ、17人が7月に中央公民館に集合。

 

浦安の秋祭り(9/18)で、お店を出して利益を上げる。そのための企画をみんなで立て、実践する「うらやす子ども起業塾」が始まりました。

 

全国でもめずらしいのは「実際に現金を扱い管理する」こと。活動も本格的。地域にインタビューに出向き、どうやって企業が利益をあげているのかも学び、何を売るかミーティングを重ねました。事業計画をたて、資料を提出してお店を出すためのお金を銀行役の方に融資交渉をしてお金を借りれるまで練り直すというプロセスも踏み、とうとうお店を出店!当日のお客の呼び込みなど奮闘しました。

 

毎年開催して今期が3期生。本気で将来起業したいと考えている子の「参加して夢に近づいた」との言葉を聞いて、峰松さんが一新塾で語られていたことと重なりました。

 

以下の文章は、峰松さんが2014年に第一回目を立ち上げた時の思いを書かれた一新塾メールマガジンのものです。卒塾した子どもたちは浦安の他のイベントでも活躍しているとの報告もいただきました。峰松さんの「根っこ力」が地域にじわじわ広がっていると思いました。
http://www.isshinjuku.com/mailmagazine/news/kn_140811.html

 

 

「漠然とした思いだけれど、形にしたい。でもどこから始めればいいかわからない。」という方は一度一新塾に来てみませんか?
一新塾には道を拓く知恵と学びと仲間がいます。

【一新塾 体験セミナーはあと少し 11月6日開講】
http://www.isshinjuku.com/
東京  9/28, 10/5,8,12,15
大阪 10/1(最終)
名古屋10/2(最終)
仙台 10/10(最終)

一昨日は、一新塾OBであり、一新塾理事である前澤哲爾さん(山梨県立大学教授)に「地域プロデューサー養成講座」をテーマにご講義いただきました。

 

今回のテーマは2つありました。
「社会の活動のプロデュース」と「自分の人生のプロデュース」です。

 

●「社会の活動のプロデュース」。
今でこそ、日本全国に普及しているフィルムコミッション(FC)ですが、1999年まで日本には一か所もありませんでした。
FCとは、映像制作の撮影環境改善のための公共機関です。このFCを日本で初めて普及させる旗振り役になったのが、前澤哲爾さんです。従来の常識を覆して、8年間で全国101ヶ所に設立する大きなムーブメントを起こしましたが、その裏には、練り上げられた戦略がありました。「これをしたい」から逆算する『詰将棋』と世の中の流れに乗る『オセロゲーム』です。

 

●「自分の人生のプロデュース」。
人生の節目で、成長のために古い殻を捨てる“脱皮”を繰り返してきたという前澤さんの脱皮人生に感動しました。ワークで、自分自身の“脱皮”に向き合いながら、人生の意味を掘り下げる機会となりました。同時に、未だ見ぬ自分の可能性が感じられてわくわくする気持ちが湧き上ってきました。

 

 

※前澤さんは、昨年は、ジャン・ユンカーマン監督のドキュメンタリー映画「沖縄うりずんの雨」の製作にも携わられました。

 

※一新塾で「もやもや」を志に転換!http://www.isshinjuku.com/
説明会開催中:東京(水・土)・大阪(10/1)・名古屋(10/2)・仙台(10/10)