激動の時代にあって自らの人生にじっくり向き合い、今後の人生設計に思いを巡らせていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?

激動の「社会の現実」に「自分の人生」を投げ入れることで、化学変化が起こり“第2の人生”に向けての道が拓かれる方も少なくありません。

舞台も「業界」から「地域」に乗り換えるなど、縦割りを超えて広い世界を展望して、新しい生き方へ向かう、個々の実験が始まっています

今回は第25期「大阪」地域科の吉見精二さんのメッセージをお届けします。吉見さんの人生の歩みと熱き思い、ぜひ、じっくりお読みください。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■ 『地域を元気にするツーリズム創造事業がライフワーク 』
■■    〜旧余呉町の地域創造型観光プロジェクトの取り組み!〜
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■■■               一新塾第25期「大阪」地域科
■■■■    (有)地域観光プロデュースセンター代表取締役社長
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●私のこれまでの人生〜会社人間から早期の乗り換え

私はいま66歳です。会社を早期退職して10年が経ちます。
ジェイティービー在職時代は国内旅行の企画商品づくりと販売促進の仕事が長く、沖縄にも駐在し、地域の旅行素材を商品化したり誘客キャンペーンを全国に仕掛けたりするプロデューサーの仕事をしました。いまでいう着地型観光と呼ばれるビジネススタイルの草分け・元祖を自負しています。そのころの沖縄は本土復帰10周年を迎える頃で、JAL・ANAがジャンボ機を飛ばし、激しく競い合うことで沖縄観光が上昇曲線に乗っかった時代です。


●会社時代の私の誇り

当時はオフだった冬の誘客対策に「暖然沖縄」キャンペーンを企画しました。その時、なかでも、地元住民の協力を得て「沖縄伝統芸能の夕べ」は、現在もジェーティビーが誇る「杜の賑わい」沖縄版の原型として繋がっています。

本来は二人か四人で踊る伝統芸能を広い舞台一杯に大勢で登場させる試みは前代未聞でした。これまで琉球舞踊は研究所は300もあり競い合う間柄で一緒に登場することは無かったからです。有名な大先生方を集めた企画会議で熱く語り説得してやっとの思いで開催にこぎつけました。


●会社人間から社会的人間に

会社を早期退職する動機は、55歳を境にして自由奔放に生きたいという気持ちが強かったからです。「夢と棲む人生を送ります」という挨拶状を送って自由の身になりました。始めは趣味の陶芸で悠々自適の陶芸人生を送ろうと、信楽に伝統的な穴窯を築いて作陶と陶芸教室の講師をしていました。

ある時、観光振興セミナーに参加して聞いた「手垢のついた観光」という講師の語るフレーズに衝撃を受けました。旅行会社の行うマス的旧来観光のことを言うのです。これからの観光は地域づくりと一体になってこそ意義有るものになるということなのでしょう。私は、すぐさまそのことについての勉強をしました。ドラッガーを読んでネキスト・ソサエティだとか、NPOであるとかに大いに関心を深める機会にもなったのです。

そして、滋賀県が主宰する「おうみ未来塾」に入塾し、滋賀県中のNPO団体や面白い活動をしている人材と交流を深めたことが、地域プロデューサーを目指した活動を始めるきっかけになったのです。また、機会あるごとに行政の人たちとも意見を交わす関係をつくってゆきました。このことが、自分の人生の転換期といえます。


●イノベーション(新たな価値創造)を期して一新塾に入塾

5年前に、有限会社地域観光プロデュースセンターという会社を創業しました。地域づくり型ツーリズムの手法で地域を元気にしようと提唱しました。
目指す事業は、おもに農山村地域の住民やNPOが地域のプログラムや旅行商品づくりに主体的に取り組んでもらい地域に交流人口を増やすというものです。さらに、コミュニティビジネスを興し経済的に少しだけ豊かになり、また、自分達が主役になって交流事業を行うことで地域への誇りを取り戻すというものです。そのプログラム化、旅行商品化、ツーリストの誘客をコーディネートがビジネスモデルです。言い換えれば、主体的な市民による地域の元気再生プロデュース事業です。

しかし、全県的に啓発フォーラムなどを何度も自費を投じて実施してきましたが、なかなか活動の広がりに火がつきませんでした。あきらめず、どう展開するかが課題となっているときに、思い立って一新塾に入塾することにしました。

いままでの自分は、自分のミッションにこだわる余り準備過剰でしたが、相手方の地域への踏み込みが遅速と不足していたと謙虚に反省するところからスタートしようと考えました。

そして今後は、支援をしたい相手方の地域のホンネが聞くことに本気で取り組みたいと思いました。さらに、特定の地域を選び、一人でなく多彩な人たちと応援プロジェクトを組成して、「着地型観光」の住民主体によるモデル事業を実現させ、いずれは、他の地域へも水平拡大することを目指すことにしました。

一新塾では、「地域を元気にするツーリズム創造事業のサポート」をテーマにしたプロジェクトを立ち上げて、この指とまれと同志を募ることにしました。メンターの力を借りてイノベーションすることにチャレンジしているところです。


●プロジェクトの現場は高齢化する過疎化地域を選ぶ

プロジェクトの対象地域として、今年の1月に長浜市に吸収合併された人口3900人の旧余呉町を選びました。そして、元気な高齢者・女性の集う住民グループ「また来たい余呉を作るアイディア会議」の関係者と親交を深めることにつとめてきました。

活動推進の中心人物は中山克己さんです。もとは学校の先生で退職後地域で活動を始められました。中山さんは体験プログラムの企画・募集によって地域に交流人口が増えることをプロデュースしたい。それにより地域が元気になることが目標にされています。


●一新塾の3月現場視察で旧余呉町を訪ねる

現場視察のプログラムは、老舗の水飴屋さん、古民家を再生した子ども小劇場、そば道場で手打ちそばの昼食と地元交流。古いお寺の囲炉裏端で白玉ぜんざいを頂き、その後、地元メンバーの方々との交流の機会を設ける、という日帰りプランでした。

塾生との交流・座談会と懇親交流会には、地元から10名以上の人が参加してくださり、塾生との和気藹々の談話が交わされました。質問も飛び交っていました。初めての交流にはとても見えない懐かしい光景でした。


●現場視察参加者と旧余呉町について検証

参加者は7名があり、終了後、真摯な意見を聞くことができました。感想・意見 の内容は、「現場に出て自分で見る、話を聞く、ことの大切さに改めて気づきました。行くまでの仮説と現実との違い、つくづく実感しました」。「余呉の皆さん、元気でしたねーこちらが力をいただきました(笑)」と、Sさんから。 また、「地域に行くとやっぱり人が一番面白いと感じました。お寺の奥さんには圧倒されました。話し上手で気遣いもできて、素晴らしい方」。「高齢者の方が若い人をもっと立ててあげる配慮があっても良いと思いました」。という声をFさんから。そして、「教職を退職された方や、元気な奥様方がまちづくりに積極的に参加されていて、人材にもめぐまれていますね。」という感想をOさんからも頂きました。


●現場視察の交流会で聞いた地域への思い・姿勢

一方、地元の人たちの声として印象に残ったものとしては、「うちらの地域には何にもない。けれど、なんでもあるんや!」という意味深い嬉しい発言もお伝えしておきます。また、長浜市余呉支所の中山伊佐美さんからは、「地域で地域の 人たちが何かやろうとした時は、行政が絡まないことには実現しない。これからも。 可能な限り協力してやっていきましょう」という発言があり、合併後も気持ちで支援するとの気概を感じました。


●地域の「現状の問題」、「社会ビジョン」と私のアクション

いま、「社会ビジョン」を官民が共有し行政が主体的市民に協働を委ねることで、 地域課題の解決の最初の一歩となるはずです。
私は、長浜市や滋賀県の自治振興、農村振興、出先の振興局にもタイムリーに提言し、 旧余呉町を応援してゆきます。