2025年には認知症患者の数が全国で700万人を超えるとの推計があります。
今回は、浦安市にいち早く認知症カフェをオープンした一新塾第32期の
齋藤哲さんのメッセージをお届けいたします。
齋藤さんは、一新塾の仲間と『オムソーリ・プロジェクト』を立ち上げ、
“認知症から家族を守る、分かち合い社会の実現”をビジョンに掲げ、
浦安を現場に奮闘中です。

齋藤さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

『オムソーリ・プロジェクト』
〜認知症から家族を守る 分かち合い社会の実現〜

一新塾第27・32・34期 東京本科 齋藤哲

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「オムソーリ」とは、スウェーデン語で「悲しみの分かち合い」を意味する言葉。
家族任せの介護から、地域の人や介護のプロと分かち合う社会へ。
そんな想いを込めてプロジェクトの名称とした。


●他人事ではなかった、認知症

 

父が前頭側頭型認知症と診断された。
「認知症の中でも、家族が最も大変なタイプの認知症です」
医師から告げられたのは、全く聞いたこともない病名。
認知症?何もわからない。
とにかく病気について知ろう。
そう思い、認知症について書かれた本を読んだ。

 

理性を司る前頭葉の機能低下が起こり、人が変わったように羞恥心や自制心が
なくなり、反社会的な行動を起こす。認知症について詳しく書かれた分厚い本。
2ページしか割かれていない前頭側頭型認知症についての解説。
その最後の一文に絶望した。
「進行を止めたり治したりする治療法はまだありません。」
父との時間はもう戻らない。全く違う人だと思っていかなければならない。
そう考えると涙が止まらなかった。


●自分で治療法を考え、治そう

 

自分が考え出した解決策は、この病気の治療法を見つけ、父の病気を治すという
ことだった。なぜ父がこの認知症になってしまったのか。どうして前頭葉、側頭葉
の機能低下が起こるのか。医療の世界でもまだわかっていない答えに、無謀に
ぶつかろうとし、また絶望した。仮に誰かが治療法を見つけたところで、その時
にはもう父は亡くなっているだろう。どうせ間に合わない。当時の私は全く冷静に
考えることができなくなっていた。


●一新塾へ

 

そんな絶望の最中に飛び込んできた一新塾からの塾生案内メール。自分を救う道は
ここしかない、そう直感した。27期では参加しながらも、自分の都合で最後まで
通いきれずに中途半端にしてしまっていた。自分自身の志も見つけきれなかった。
今しかない、ここしかない!

「治療法を見つける」という無謀な解決策ではなく、父の病気を受け入れ、
新たな解決策を見出して行こう。そう心に決め、一新塾に32期生として参加した。


●オムソーリ・プロジェクト立上げ

 

父の病名がわかってからも家族の困難は続いた。70歳を過ぎたばかりの父の体は
元気で病識もない。家族が行動を制限しようとすると、必ずと言っていいほど衝突した。
病名がわかったからといってすぐに介護保険のサービスが使えるわけではない。
介護認定を受けるまでの期間はどうすることもできなかった。
認定が下りてからも、介護保険のサービスの利用を試みるが、言葉巧みに職員を
振り切って帰って来てしまう。家族は仕事を辞めて24時間付き添うしかないのか、
そう感じながら生活していた。

 

しかし、24時間寄り添い続けることは体力的にも不可能。仕事を辞めれば収入も
途絶えてしまう。医療も介護も充てにできない状態だったが、仕事を辞めること
もできず、父を一人置いておくことしかできなかった。

 

一新塾に入塾した当時、認知症患者は日本全国で462万人と推計され、話題になり
始めていた。私と家族が直面した困難な家庭環境に、それだけ多くの人たちが
苦しんでいる。高齢化がますます進んでいく日本。それに伴い認知症患者の増加
していく。認知症の人だらけになってしまう将来の日本を想像し、ぞっとした。

 

認知症の介護を全て家族任せにしていては、日本社会は成り立たなくなってしまう。

 

どうしたら良いかわからない中、一冊の良書に出会った。
『寝たきり老人のいる国いない国』(大熊由紀子著)
1980年代の取材を元に書かれたその本には、日本の尊厳の失われた悲惨な介護と、
北欧諸国の本人の意思を尊重した介護の姿が詳細に書かれていた。30年以上前の
話にも関わらず、本人の意思尊重の点では現在の日本よりもはるかに進んでいる
印象を受けた。

 

日本の介護の環境はまだまだ良くすることができる。
それまでは日本の介護は何の役にも立たないと絶望していたが、この本との出会い
が未来の介護を創るという発想に転換するきっかけになった。


●オムソーリ・カフェをオープン

 

入塾から3か月。何とか2人の一新塾のメンバーとともにプロジェクトが立ち上がった。
社会人としての経験は積んでいるものの、全員が認知症については全くの素人。
まずは学ぶことからスタートした。

 

その過程で出会ったのが、『認知症カフェ』だった。どうやら目黒区に1カ所だけ
あるらしい。さっそく学びのために現場視察へと向かった。視察先での体験は
忘れられないものになった。

 

勉強しにいったつもりが、介護の先輩に囲まれていると、自然と自分の家庭環境
や悩みが口からポロッとこぼれている。気が付けば一通りの悩み相談を終え、
気持ちも楽になっていた。

 

同じ経験をした人にだからこそ、何でも話すことができる。何かを強制される
こともなく、自然な形で会話を楽しみ、認知症の情報を得て、気持ちも楽になる。

 

私の住む浦安市にもこんな場所を創りたい!
そんな想いで浦安市内の古民家を借り、『オムソーリ・カフェ』をスタートした。


●最初はただ、父の居場所をつくりたかった

 

定年後も趣味の写真を撮りに行ったり、散策をしたりと穏やかな暮らしをしていた父。
この病気さえなければ、もう少し老後の人生を謳歌できただろう。この病気のせいで、
家族もしんどい思いをし、父を追い詰め、父の行動を制限せざるを得なくなった。
何とかして、地域に父の居場所を、人と交流が持てる場所をつくりたかった。
私自身も救われたかった。


●オムソーリ・カフェは月に一回、土日に開催

 

オムソーリ・カフェは、平日働く介護者でも参加できるよう、土日に開催することにした。
浦安市にも認知症の家族会があったが、平日の日中のため参加できなかった苦い思い
があったからだ。

 

場所を借りた古民家はとても落ち着いた環境で、介護する家族だけでなく、
認知症の方もくつろいでもらえる温かみのある場所。
今では場所を喫茶店のレンタル・ルームに移し、月1回の開催を続けている。
介護する家族だけでなく、介護業界、医療業界、司法書士事務所、政治家の方など、
本当に多様な方々に参加いただいている。

 

介護家族だけでは答えられない難しい問題も、プロからのアドバイスをもらうことも
できる。また、ケア・マネージャーなど、関係性があると相談しにくいことも、
第三者だからと積極的にお話いただける方もいる。
3年半続けるうちに、何とか自分の介護経験を他の人の役に立てたいと、運営を
サポートしてくれるメンバーもたくさん生まれた。


●認知症カフェ連絡会

 

オムソーリ・カフェを立ち上げたころ、認知症カフェは千葉県全体を見回しても
ほとんどなかった。カフェを立ち上げてから半年ほどの間、自分たちも認知症カフェ
を立ち上げると視察に来てくれる方の参加が増えた。その頃に出会ったメンバーで、
千葉県の認知症カフェ連絡会、情報交換会を開催している。

 

各団体のメンバーはみな主体的。運営の悩みや工夫の共有から始まった会だが、
今では行政も招き、100名規模の情報交換会の開催、認知症カフェMAPの作成、
千葉県認知症カフェの一覧作成と様々な事業に取り組んでいる。

 

自分が志を立てたことで、様々な地域の有志とも多く出会う事ができた。
浦安市でも行政と連携し、認知症カフェ連絡会ができて活動も進めている。
 

 

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