7月30日、李登輝・元台湾総統がご逝去されました。

李登輝氏の熱い熱い演説を台北にて、

1度だけお聞きしたことがあります。
2000年台湾総統選挙の視察に訪れた際です。


その年に出版した一新塾本の「あとがき」に、

この時に感じたことを記させていただきました。
一部を抜粋させていただきます。

 

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2000年3月17日、台湾総統選挙前日、

私は一新塾卒塾生有志と12名で
台北の地を訪れていた。


台北市内はまさに熱狂だった。
支持候補者の旗を意気揚々と大きく振りながら街に訪れる
何十万もの群衆、得意げに旗を立てて路上を走るドライバーたち。
目の当たりにした台湾市民の生き生きとした表情は、

投票によって自分たちの手で政権が選べる喜びであった。

 

「台湾の将来を決定する選挙に民間の人たちはどういう想いでいるのだろうか?」
ということで訪れた台北だが、実際に来てみるとそんなものでは済まされなかった。

 

台湾人の台湾の将来に対して抱く想いは、

これまでの辛酸の年月を重ねることによって、
それぞれの心に深く刻印されたものであった。

その刻印された想いは群衆の熱狂の渦と化して私たちを圧倒した。

そして、選挙によって民主的かつ平和的に政権交代を実現させ、

みごとに“民主政治の成熟”を証明した。

 

〜中略〜

 

ここに至るまでにまでには、
志がしっかりと人から人へと伝えられていった、

その長い営みを感じずにはいられない。
民主化の過程においては、

80年代後半に“国民党以外の野党の結成”の解禁、

戦後ずっと続いていた“戒厳令”の廃止、

そして、李登輝氏を副総統に選んだ蒋経国氏の存在。

 

李登輝氏は民主化の芽を大切に育んだ。
1991年まで国会議員はほとんどが大陸系で42年間も改選されることなく、

民主主義が機能していなかったが、彼はこれらの終身議員全員を引退させた。

その後、大陸との「国と国との関係」を提起。

 

そして今回、しかるべき後継者にしっかりとバトンを渡す責任を果たしたのではないだろうか。
民進党の陳水扁氏の勝利となった台湾であるが、発展のための試練は今後も続く。
今後、日本が世界でもっとも親日的である台湾とのパートナーシップをどうしていくべきか?
私たちに課せられた課題である。

 

日本に目を向けてみる。
高度成長期には、個人も社会も「欧米に追いつけ追い越せ」と明確な目標を持ち、
そこに向かって邁進していたが、今はその頃の切実さが見当たらない。
現在、大きな岐路に立っている日本が、いまだ閉塞状況から活路を見出せずにいるのは、
”明確なビジョン”が打ち出せずにいるからである。

 

では、なぜ、いまだ”明確なビジョン”を打ち出せずにいるのか?

 

「“明確なビジョン”を描き、台湾を“民主主義”へと
導いたリーダー李登輝氏の言葉が頭をよぎる。
『台湾に生まれた悲哀を感じつつも、
やがて“悲哀の歴史を持つがゆえの幸福”へと
考えが変わっていった』ー台湾に対して、
自分では何もすることができないという悲哀を
創造のエネルギーに転化させたのである。

 

では、“日本の悲哀”とは何か。
現在の日本人の最たる問題は平和ボケで社会
に対する感覚が鈍ってきていることだ。
仕事など多忙な日常の中に埋没し、社会に対する
無関心が蔓延し、いま私たちが危機的状況に
置かれても曖昧にしたままで先送りしてしまう。

時として、危機的状況を何とかしようと奮い立っても
自分ができることの小ささに絶望し、無力感に襲わ
れてしまう。これが日本人の悲哀だ。

 

私たちがしなければならないことは、
社会に対しての鋭敏な感覚を呼び戻し、
“時代の危機感”を本当に自分に引き寄せ
かんじることではないか。

そして、ぎりぎりのところに自分自身を
追い込むことだ。
自分の限界から目をそらすことなく徹底的に
自分と直面したあとに湧き上がる

「それでも自分自身を、そして、社会を一歩前進
させたい」という切実なる想いが“明確なビジョン”
を生み出すのである。

 

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