今回は、2017年11月に一新塾第39期を卒塾された福嶋敬宜さんの

メッセージをお届けいたします。

福嶋さんは、病気を顕微鏡を使って診断する病理医として20数年ご活躍です。

 

これまでに、

「病理医になった私が、様々な情報が氾濫する中、社会に伝えるべきは、がんの実像だ」

との思いで書籍『振り回されない「がん医療」』(ワニブックス・2016年)などの

出版活動もされてきました。
http://eritokyo.jp/independent/today-column-book1.htm

 

そして、ネクストステージへのチャレンジとして、一新塾で2人の同志とプロジェクチーム

を結成し、『「がん学び」推進で明日の医療を変える』ビジョン実現に向け邁進されて

いらっしゃいます。

 

福嶋さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

  

  『「がん学び」推進で明日の医療を変える』

 

      一新塾第39期 東京本科 福嶋敬宜

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●がんはありふれた病気!?

医学の進歩も目覚ましい現代ですが、がんによる死亡数は増え続けています。
一生のうちに男性は2/3人、女性は1/2人ががんを患うと聞くと、いかに
身近な病気になったかがわかると思います。

 

そんな中で、がんと告知された人が1年以内に自殺を起こすリスクは、
通常の約24倍に上り、34%は依願退職や解雇で職を失うとも報告されています。
がんが未だに恐怖や絶望を引き起こしていることも明らかです。それもあってか、
「がん」には、そこに付け込む怪しいビジネス(魔法の壺から〇〇水、
〇〇免疫療法まで)が星の数ほどといってよいくらいうごめいています。


●「がん学び」で変えられるもの

そこで、私たちが掲げた社会ビジョンは、「がん学び」推進で、社会の空気と
明日の医療を変えるということです。

 

確かに、がんは風邪のように安静にしておけば治る病気でも、皆が助かる病気
でもありません。がんと診断された人の約4割はがんによって亡くなるのも事実
です(6割はある程度抑えられる)。しかし,治るかも知れない「がん」なのに
自殺して寿命を縮めること、怪しげな療法に無駄に全財産をつぎ込むようなことは、
防ぐことができると思います。

 

そのためには、がんになる前から、「がん学び」によりがんに関するほんの少し
の知識と心構えを身につけておき、いざという時に適切な行動が取れるようになる
と良いと思います。そんな「自分で医療選択ができる主体的患者」が増えていく
ことは、結果として現在の医師主導の医療型から「患者との共同型医療」へ医療も
変えていく可能性があります。また、世の中の人の、がん患者に対する接し方も
変わると思います。


●人生観を変えた初めての歳下の患者の死

私は大学の医学部を卒業した後、臨床研修を経て病理医となり20数年が経ちました。
病理医とは、病理診断という、がん医療では、その治療の根拠になる顕微鏡レベル
の判断を行う医師のことですが、患者の前に顔を出すことはあまりありません。
なので「縁の下の力持ち」「Doctor’s doctor」などと呼ばれたりもします。

 

そんな私の人生観をも変えたのは、研修医1年目に自分が担当していた19歳の男性
が胃がんで亡くなったことでした。「彼が死に自分が今生きている理由は何だろう。」
「なぜ、自分だけは例外のように思ってしまう人が多いのだろう。」など、その後も、
思い出しては考えを巡らせています。


●病理医だからこそ

病理医となった私は、病院で病理診断を行ったり、がんで亡くなった患者さんの
病理解剖を行いながら、病棟にいる時とはまた別の視点で「がん」について考える
生活を送ってきました。

 

いつの日からか、そんな、がんにまつわるいろいろな思いを、一般の人達にも
伝えたいと思うようになり、書籍の出版にもこぎつけました。地味な本でしたので
あまり売れませんでしたが、新聞で書籍を紹介してくれたY新聞の記者からは
「病理医だからこそ、見えてくる真実、伝えられることはまだあるはずです」と
励まされ、再びやる気を起こし、気づくと一新塾に入塾していました。


●一新塾チーム結成

チーム結成後は、がん患者へのインタビューや企業や行政の実情、そして中学校
でのがん教育の視察などを行い、メンバーと議論を重ねました。そして、まず若い
世代を対象にした「がん学び」推進から始めることにしました。

 

ただ、がんというテーマを任意団体で扱うことの難しさもありました。商売?
それとも宗教?などと疑われても仕方がありません。そこで、私たちは、教育機関
など信頼できる団体に活動についての理解を求め、会の共同開催を目指しました。
それでも、ある大学にはプロジェクト準備途中でキャンセルされたこともありましたが、
幸い、塾生期間中に都内の大手予備校のきれいな講堂を使って,高校生を対象に
第一回目の「がん学び」の会を開催することができました。

 

参加者からは「もっと学びたい」「(同世代の)他人の話を聞くとためになる」
「身近な人にも伝えたい」「正しい知識を得るためにアンテナを立てておこうと思った」
など、我々の予想も超えて前向きな声が沢山あり感激しました。もちろん、一回の
セミナーの力などたかが知れていますが、参加者の何人かにとって、「がん」を
考えるきっかけになってくれるだけでも充分だと思い、次に進みたいと思います。


●今後の展開

将来的には「がん学び」推進の対象を、子供達に限らず、企業人も含め様々な
人たちに広げていければと、以下のような展開を考えています。

 

◎セミナ&ワークショップの開催(学校、大学ほか)
◎メディアへの適切な情報提供・情報発信
◎行政への政策提言(不適切な医療情報に対する規制強化)
◎企業向けセミナー・就労支援

 

また一人の医師からの情報発信には物理的にも内容的にも限界がありますので、
各専門家(看護師・ソーシャルワーカー・介護士・医師・弁護士ほか)チームでの
教材作成や講演者派遣などの事業化も視野に入れています。

 

社会の空気を変えて行くことは、言うほど簡単なことではありませんが、
 TVのワイドショーなどでも毎日のようにがんが話題になる時代ですから、そこを
少しでも軌道修正できるような情報発信、働きかけなども戦略的に行っていき、
少しずつでも風向きが変わってくることに期待したいと思います。そしていつの日か、

卒塾式でもらった「だるま」の片目に目を入れたいと思っています。

 

★根っこ力で未来を創造する一新塾

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今回は一新塾第22期(2009年5月卒塾)の日向裕一さんの

メッセージをお届けいたします。日向さんは、瀬戸内の真ん中に
位置する大崎上島在住の詩人です。創作された詩を「ヒナタ文学」
として発表されています。3年前に古民家にヒナタ文学堂という
観光案内所・休憩所・憩いの場・フリースペースをオープンしま
した。

 

日向さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

 

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塾生活動レポート

『波乱万丈の激動の中で見つけた芸術と文学への道』
〜ゼロベース=無限の可能性に気づいた人生〜

一新塾第22期 日向裕一
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●自信なき少年時代・閉ざした心

私は、中学校1年生の二学期から不登校となりました。
原因は、いじめ、嫌がらせ、精神的苦痛でした。当時の担任
の先生からは、「登校しなければ中学校の卒業を認めない」
と言われました。

 

周囲の大人たちは、私の表明的な明るさ・元気な外面だけ
を見て判断をしていました。私の両親、とくに父親は仕事が
忙しく母親に「なぜ、学校へ通わないのか」と強く怒りの心
を持っていました。私は、遺書も書いたり、母親への家庭内
暴力もしたり、泣き叫んだり、地域の保護者からは冷たい目
で見られていました。そして、同級生から「害児だ」と言わ
れたり、「お前、殺さるぞ」との暴言を言われてきました。
私は、ますます心を閉ざしました。

 

ある日。保健室の先生が「適応指導教室」を紹介してくれ
ました。そこに通う学生たちとの出会いは、私にとって本当
に楽しく安心して過ごせる居場所でした。

 

そして、当時、私の人生の支えとなったサッカーボールと
の出会いがありました。私は、サッカーに夢中となり、毎日、
サッカーのことを考えていました。他校の先生は、私のサッ
カーにたいする情熱を理解してくれて知り合いを通しフジタ・
ジュニアユースの練習生として参加させてくれました。後に
フジタ・ユース(ベルマーレ平塚)に所属することになりま
した。国際サッカー専門学院で一年間、猛烈な練習をしましたが、
プロの実現は叶いませんでした。この体験が過去の私であり、
心の苦しみを隠してサッカーへの道に行きました。
家族にも友人にも心の苦しみを打ち明けることができなかったです。


●調理師としての道・絶望感

私は、沖縄調理師専門学校を卒業して調理師免許と技術考査
(調理学科)を取得しました。広島県に帰り、飲食店で働き
始めました。当時、20歳頃です。

 

しかし、就職した飲食店に、いじめグループが嫌がらせに
来ました。結局、嫌がらせが続き一ヵ月で退職して、心の病に
なっていました。当時は、いじめグループから逃げることを
考えて県外のコンピュータ専門学校に入学しました。ですが、
体調が悪化して中学校時代と同じく不登校になり、その間、
救急車に何度も運ばれました。


●心の爆発

東京での新たな挑戦は、作詞家になることでした。
私は、12歳頃から詩を書くのが好きでした。私は、音楽
プロダクションのオーディションを会場・東京国際フォーラム
で受けて合格しました。スタジオで作詞担当となり、プロジェ
クトに参加しました。また、音楽業界セミナーにも積極的に
出席したり、一生懸命に音楽活動していました。

 

しかし、突然、身体が震えるほどのめまい、心の爆発みたい
に猛烈な不安感となり、荷物をまとめて広島県の家に帰郷しました。
22歳頃です。結果的に、パニック障害、心身症、思春期障害、
統合失調症の病気と診断されました。お薬の副作用と自暴自棄
で体重も短期間で100キロとなり、最高体重160キロに
なりました。リストカット、自殺未遂4回、肺水腫、心不全、
呼吸不全などで意識不明の重体にもなりました。その後も入退院
を繰り返しました。

 

今現在、私が住んでいる場所は、広島県豊田郡大崎上島町です。
母親の実家である築100年の古民家に住んでいます。私は、
大崎上島の出身で中学校時代は、広島県内の他の地域に住んで
いました。根本的な原因は、中学校時代の「いじめ」「中学校
時代に周囲の理解が無かった」ことです。


●心と愛の気づき

私は、プロレスラーの友人とインド、アメリカには一年間で四回、
千葉県での合宿も数回などを経験しました。私がインドに行った
のは、アーユルヴェーダなどの療法を受けるためでした。ある時
私は、自分自身にたいして素直に見つめ直しました。それまでは、
殻に閉じこもり現実逃避していました。国内外での経験によって
言葉では言い表せないほどの真心と愛を感じました。一つは、母親
の愛情でもあります。ずっと、私と共に苦しい体験をしている中でも
愛を絶やすことがありませんでした。実は、私がインドへ旅をした
のも母親の直観でした。そして、プロレスラーのホームページを
見てインドへの旅を知りました。それが、一つの大きな転換期の
始まりでした。

 

私の自己体験で言えば、直観、素直な気持ち、愛と心、人生観、
世界観、地球観、宇宙観、死生観が重要だと気づきました。そして、
母親の寛大な愛情によって世界への旅もできました。様々な価値観、
文化を知り気づき、少しずつ人間成長できました。


●古里の大崎上島での無から有の実現

22歳のときに古里の大崎上島に帰りました。母親に「中学校
時代が辛かった」と伝えたとき、涙が溢れだしました。

 

その後、心の病も少し安定したときに、8年前に「ヒナタ文学」
という冊子創刊の一号を自費出版しました。部数は、50部。
人生のスタートラインに立てた気持ちになりました。年々、部数は
増えてゆき、今現在、10号を自費出版して累計一万部を達成しました。
また、ホームページには、ヒナタ文学7号〜10号の電子書籍(無料)
を掲載しています。

 

そして、3年前に古民家にヒナタ文学堂という観光案内所・休憩所・
憩いの場・フリースペースをオープンしました。今まで大崎上島に
無かったことを誕生できた喜びは、私だけではなく、両親も幸せに
感じています。それが、私の人生観をチェンジすることになりました。

 

そして、私は、詩人、作詞家、作家、エッセイスト、写真家の目標
ができました。文学だけではなく、教育、心の相談、カウンセラー、
食育、福祉、観光、町づくりも積極的にしています。ヒナタ文学の
任意団体も設立しました。2016年に三大宮様賞の「東久邇宮記念賞」
と、文化の日に「東久邇宮文化褒賞」を受賞しました。
また、2018年には、冊子・ヒナタ文学11号を発行する企画もあります。


●一新塾で感じた同志の存在

私は、生まれて初めて同志という言葉の深さに気づきました。
友人、親友、家族と違った、何かに挑戦できる一新塾の仲間の存在は、
私に生きる情熱を感じました。

 

私が一新塾に入塾したのは2008年、志と信念をもって心の病から
脱却して歩んでいきたいとの思いが湧き上がったからです。

 

当時、私は一新塾の研修で「ファミリー・コミュニケーションズ」という
プロジェクトを立ち上げました。理由は、私と父親の親子関係です。
私は、父親からのアドバイスも、父親への相談も、父親との会話も
なかったです。家族が会話をすること、朝起きて「おはよう」などの
基本的なプロジェクトですが、私の人生で父親の存在は、猛烈に
恐かったです。父親は父親で家族を強く考えての企業戦士でした。
このプロジェクトは、今現在、「ファミリー・コミュニケーションズ」
は完了して、毎日、私も母親だけではなく、父親との会話も楽しく
しています。その経験は、現代社会の家庭でも言えることです。
プロジェクト立ち上げ当初に活動していた一新塾の仲間にも大崎上島へ
来て頂きました。私にとって同志とは、まずは、一緒に自分自身を
見つめ直し、一緒に家族を見つめ直してか始まることだと感じました。


●大きな夢・生きる勇気・無限の可能性

私の大きな夢は、日本代表の世界詩人になることです。過去では
なく、現実を大切に生きて、未来へ前進してゆきます。そして、
人と人との善い出会いは、無限の可能性を生み出しています。そして、
かつて私苦しめた「いじめグループ」を許す心で生きています。
私は37歳となり命と生きる勇気、多くの助け・支え・理解に感謝
しています。

 

今現在は、現実を直視して死生観を常に考えて生きています。
自分自身にたいして失望・悲観などを体験したことが、今となれば
人生の肥やしとなっています。


●将来的ビジョン・心の時代へ

私の古里・広島県豊田郡大崎上島町は、瀬戸内の真ん中に位置する
離島です。温暖でエーゲ海のような場所です。大崎上島には橋が
架かっていませんので日本を縮図した小さな楽園とも言えます。

 

私の将来的ビジョンは、豊かな心の人間成長が重要であり、広い
価値観、広い視野と、柔軟な心も大切だと感じています。世の中は、
お金と物質だけではなく、人間としての幸せな人生の道を創りたい
です。たしかに、橋が架かると交通にしても便利になってゆきます。
しかし、大崎上島は、橋の架かってないことで移住者も増加しています。
また、海外の旅行者も訪れています。

 

小さな楽園の自然あふれる島の魅力を世界へと発信できるように
してゆきます。日本一幸せな離島社会の実現こそ、大きく言えば
日本社会の幸せへとつながると感じています。

 

検索「ヒナタ文学」
公式ホームページ http://www.hyuga-yuichi.com/

 

 

★誰もが志を生きる一新塾

http://www.isshinjuku.com/

 

昨日は、7時間を超える40期本科とOBOGコース合同の特訓講座!

 

時代の潮流を読み解きながら、先駆者の志を受け継ぎ、

地域ブランドの可能性にも思いを馳せて、自分自身と真摯に向き合い、

根っこをさらに深堀りし、次なるアクションの準備を進めました。

 

いつだって仲間がいるし、いつだってネットで調べられる。

計画してからでなく、走りながら考えるNOWIST!

 

★誰もが志を生きる一新塾

http://www.isshinjuku.com/

この度、(株)マスタード・シード22を設立された一新塾OBの岸保宏さんが出版されました。
ライフデザインブックスより「地域農業のスプラウト」です。

https://www.amazon.co.jp/F/dp/4908492581/


「明日の農業を守る」という使命を生きる、一つひとつの挑戦が綴られています。

 

●(株)マスタード・シード22
http://ms22.jp/

 

 

★誰もが志を生きる一新塾

http://www.isshinjuku.com/

「根っこ」と「幹」をつなげるフレームワーク『6つの箱』講座。大阪、名古屋、東京で終えました。(仙台は年明け)

 

6つの箱は市民の知恵の伝承のツールです。
市民として志を生きる挑戦に挑んだ一つひとつの現場体験から、次に続く人たちの道標を提供してくれます。

 

●ミッション・ビジョンありき!
●「トップダウンリーダー」と「ボトムアップリーダー」の違い
●ヒト・モノ・カネ戦略の構想

 

6つの箱を回した分だけ、根っこが掘られ、計り知れない知恵とエネルギーが内から湧き上がってきます!

 

■一新塾新刊「人生と社会を変える根っこ力〜政策提言・社会起業・市民活動」
https://www.amazon.co.jp/dp/4863591306/