一昨日は、一新塾OBであり、一新塾理事である前澤哲爾さん(山梨県立大学教授)に「地域プロデューサー養成講座」をテーマにご講義いただきました。

 

今回のテーマは2つありました。
「社会の活動のプロデュース」と「自分の人生のプロデュース」です。

 

●「社会の活動のプロデュース」。
今でこそ、日本全国に普及しているフィルムコミッション(FC)ですが、1999年まで日本には一か所もありませんでした。
FCとは、映像制作の撮影環境改善のための公共機関です。このFCを日本で初めて普及させる旗振り役になったのが、前澤哲爾さんです。従来の常識を覆して、8年間で全国101ヶ所に設立する大きなムーブメントを起こしましたが、その裏には、練り上げられた戦略がありました。「これをしたい」から逆算する『詰将棋』と世の中の流れに乗る『オセロゲーム』です。

 

●「自分の人生のプロデュース」。
人生の節目で、成長のために古い殻を捨てる“脱皮”を繰り返してきたという前澤さんの脱皮人生に感動しました。ワークで、自分自身の“脱皮”に向き合いながら、人生の意味を掘り下げる機会となりました。同時に、未だ見ぬ自分の可能性が感じられてわくわくする気持ちが湧き上ってきました。

 

 

※前澤さんは、昨年は、ジャン・ユンカーマン監督のドキュメンタリー映画「沖縄うりずんの雨」の製作にも携わられました。

 

※一新塾で「もやもや」を志に転換!http://www.isshinjuku.com/
説明会開催中:東京(水・土)・大阪(10/1)・名古屋(10/2)・仙台(10/10)

 

大阪地域科で学ばれた折本武士さんは、広島県呉市生まれで、大阪市在住の
フリーランスのプロカメラマンです。

市民として社会に向き合い、自分の根っこを掘り下げて、家族の在り方、地域
コミュニティの在り方を深め「家族をわくわく楽しみ、家族から平和を実現する」
とのビジョンを描かれ、身近なところから行動に一歩踏み出しました。

2年半前より自宅の集会所を使用した「マンション子育て交流会」を十数回開催
されています。また、折本さんの活躍は地域のフリーペーパーで紹介されたり、
地域の絆が着々と広がっています。

折本さんには、写真に興味を持ちカメラマンになるきっかけとなった一枚の
写真がありました。

折本さんの志を生きる人生をご紹介させていただきます。

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 塾生活動レポート

        『家族で写真を楽しむプロジェクト』
   ベストショットから逆算して家族の思い出を写真に残そう!〜

                     一新塾第32期・34期・36期
                           「大阪」地域科 
                             折本武士

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●家族から平和を実現する

 私の社会ビジョンは「家族をわくわく楽しみ、家族から平和を実現する」
ことです。

 日本の現状は心の貧しさが・離婚件数の多さと・出生数の少なさに大きく
影響を与えています。私の住む大阪府も離婚率が高く、全国的にもワースト
2位で、府より市の方がより率が高いと言われています。コミュニティーの
最小単位である家族から円滑なコミュニケーションをはかることで、健全な
人間関係を築くスタートラインに立つことができます。

 私はリレーのようにその循環が地域にそして日本に良い影響を与える世界を
イメージしています。そのバトンはきっと将来、子どもたちへ、そのまた次の
子どもたちへとつながっていくはずです。


●ハード面とソフト面の変化

 根本原因は地域コミュニティーが担っていた、みんなで子どもを育てる環境
がすっかり影をひそめてしまっていることです。特に都市部にその状況が顕著
に見られます。「居間からリビングへ」マンションなどの共同住宅による
ハード面の変化と、地域コミュニティーのソフト面の変化が家族一人一人の
心の貧しさに大きく影響を与えていると考えました。


●祖父とのつながり

 転換のきっかけは自分が子どもの頃に聞かされた、祖父の被爆体験の話です。
当時広島県庁に勤めていたおじいちゃんは広島に空襲などの被害が少ないこと
に疑問を持ち、職を離れて地元である呉市に戻りました。その一週間後に8月6日
を迎え原爆を逃れることができたそうです。数日後に現地に行くと職場の同僚
は皆亡くなっており、自分だけが助かったということです。祖父の子、つまり
私の父親はその時まだこの世にいません。

 私は毎年夏が来るたびに子どもの頃に何度も聞いたその話を思い出します。
その度に被爆三世としての目に見えない恐怖や不安が襲ってくるのですが、
同時に亡き祖父の志を受け継ぎ平和な世の中を継続させたいという思いがこみ
上げてくるのです。


●父親とのベストショット

 私がずっと大切にしているベストショットは幼稚園の時の父親との親子合同リレー、
父親にバトンを渡す瞬間を母親が撮ってくれた一枚です。中学受験に失敗し、
高校進学の選択を親から反対を受け、両親への反発心から高校生活の半分を勉強
せず、その後の大学受験に就職、結婚。それは答えのない問いの連続でした。
そんな辛く孤独な時期にいつもそばにあったその写真のおかげで家族のつながり
を実感することができました。

 私と家族と地域が、バランス良く写りこんだそのリレーの場面は祖父母が思い
描いた平和な世界の一つであったことでしょう。そして生涯の中でも大変な反面、
かけがえのない時期であると言われる子育て期間を家族で最大限に楽しもうと
思うきっかけとなりました。


●家族会議で話し合う

 現在、私は4歳の息子と2歳の娘を持つ二児の父親で、妻と共働きしながら子育て
奮闘中の身です。子どもたちの成長を気軽なスマートフォンで記録していますが、
気づいたことは家族全員が写った写真が意外に少ないということです。それは家族
の誰かがカメラを持って撮らないといけないことが理由です。私は家族全員の写真
は子どもと一緒にいれる時間の質を高め、育児と仕事を両立させるツールになると
考えました。

 そこで週末の計画を家族のベストショットから逆算して立てることにしました。
「旅行先でこんな写真を撮りたい」「家族みんなであんな写真を撮ってみたい」と
いった週末の予定を話し合う「家族レジャー会議」の場で家族みんなの意見、アイ
デアを出し合い実行の可能性や優先順位を決めます。今年の冬は「雪山を背景に
みんなで写真を撮りたい」ということになり、滋賀県のスキー場にて家族全員で
写真に写りました。自撮り棒を使用して撮り、プリントアウトしたものをリビング
に今飾っています。子どもたちも懐かしそうにその写真を見ては微笑んでいます。

 家族の写真にはお金に変えることのできない普遍的でエネルギッシュな力があります。
そして自分がここにいてもいいのだと感じさせてくれる癒しや連帯感を高める力も
あるかもしれません。家族レジャーの一場面を全員で写真に残し可視化することで、
豊かで楽しい育児生活を過ごすことができているのです。


●マンションコミュニティーを考える

 4年前に大阪のへそと言われる浪速区に引っ越してきて子育て生活をスタート
させました。縁もゆかりもない土地、そして都会のマンションでの子育てに不安を
覚えた私たち夫婦は2年半前より自宅の集会所を使用した「マンション子育て交流会」
を開催しています。

 初めは絵本の読み聞かせや風船遊びなどから始まった会ですが、一新塾生などと
コラボして「親子学習教室」「アロマ講座」「親子ヨガ」「音感英語教室」「有機
野菜の試食会」「防災防犯講座」など様々な会をこれまで十数回開催。毎回5組から
10組程度の家族の参加があり、子どもも入れて総勢で10名から20名ぐらいでわいわい
楽しんでいます。近所付き合いが難しい現代の中で、自宅マンションから協力する
子育てを実現できているように思います。

 会を始めたばかりの頃は小さくて、はいはいだった子が歩けるようになり、
そのうちに走り回り、言葉を話せるようになり、そして二人目や三人目のお子さん
の出産を一緒になって祝福できたりと、ご近所さんと一緒に喜びを共有できたこと
も会を始めて良かった点です。会の記録と思って撮っていた子ども一人一人の写真
をまとめたアルバムは時が経つにつれ思い出の宝物へと変換されています。


●かけがえのない一新塾の同志

 一新塾では様々な年代、業種、価値観の方とたくさん議論することで自分の
コミュニケーション能力の才能が開花されたように思います。才能というと少し
大げさですが、短所が補われて長所が伸びたといった感じです。今ではどんな人
とでも気軽にコミュニケーションをはかることができます。

 印象的な出来事は先日、本屋さんでとあることがきっかけとなり、観光中の
マレーシア人夫婦に話しかけて夕食に自宅へ招待したことです。急なゲストで
子どもたちも大喜び。カードゲームなどで盛り上がったのですが以前の自分
だったらそのような積極的な行動はとれなかったように思います。

 これまで一新塾で出会った同志はかけがいのない仲間です。本音で語り合える
友人は自分自身の鏡のようであり、志を膨らませるエネルギーのような存在です。
個人差はあれ子育て中は、精神的にも肉体的にもバランスを保つのが難しい時期
と言えます。そのようなタイミングで一新塾と出会い、学びを深め、仲間と切磋
琢磨できたことが、大変貴重な時間となりました。二人目の娘の出産予定日が過ぎ、
連絡を待つ状態でそわそわしながら講義を受けたことを昨日のことのように思い
出します。

「愛とは、大きな愛情をもって小さなことをすることです」
マザーテレサの言葉ですが目の前の家族を大切に思い、自己の成長と社会の変革
にこれからも取り組んでいけたらと思います。その選択を選び続けることが
私のゴールです。

 

 

※ネクストリーダー養成学校

「一新塾」体験セミナー&説明会はこちら!

http://www.isshinjuku.com/

 

一新塾OBの重光喬之さんは「脳脊髄液減少症」(脳脊髄液が漏出または減少することで、とてつもない痛みや記憶障害・睡眠障害・視覚障害・めまい・吐き気など様々な症状が同時に起こる病気)を抱えながら一新塾に2010年に入塾され、発達障害児の施設を支援するNPO法人を起業。痛みを抱えながらも活動されています。その重光さんが以下の記事で紹介されています。
【ガマン】難病で痛みに慣れ過ぎたら盲腸で大惨事になった男から、みんなに伝えたいメッセージ【ダメ、絶対】
https://plus-handicap.com/2016/07/7600/

 

 

※一新塾は自分の「人生」と「社会」を交じり合わせ新しい社会創造のプロジェクトを生み出す知恵と方法論を仲間と学びあう場。
東京・大阪・名古屋・仙台、で8月より説明会開催します。
【秋開講】http://www.isshinjuku.com/

 【被災地のひとり親家庭の支援続く 寝占理絵さん】

3月8日朝日新聞に一新塾OGの寝占理絵さんが立ち上げられたNPO法人マザーリンク・ジャパンの活動が朝日新聞に掲載されました。
寝占さんもシングルマザーとして娘さんを育てられあげられた方です。震災後ボランティアをへて活動を立ち上げられ現在も東京と被災地を行ったり来たりされています。


3月8日朝日新聞『被災地のひとり親、支え急務 NPO、就職を後押し』



新しい人生が始まる一新塾は、5月開講です!



上毛新聞(2月16日)に一新塾OG野田香里さん(映画監督)が掲載されました!

<上三原田の歌舞伎舞台を撮影 映画監督 野田香里さん 手作りの伝統芸能 後世に>
『渋川市赤城町の「上三原田の歌舞伎舞台」の舞台操作技術などをまとめた映像作品の制作が進んでいる。昨年11月、5年ぶりに行われた公演で、事前の会場設営や研修風景、当日の舞台操作などを記録、後世に伝える同市の取り組み。撮影や編集を担当した映画監督、野田香里さんに、作品への思いや今後への期待を聞いた。・・・』



■一新塾38期体験セミナー予約スタート!
 大前研一創設のネクストリーダー養成学校。
 http://www.isshinjuku.com/
今回は、一新塾第35期・第37期生の加藤善幸さんのメッセージをお届けいたし
ます。ビジネスマンとして活躍してこられた加藤さん、次代の子ども達に
より良い社会を残すために少しでも社会に恩返ししなければとの強い思いで、
川口市の地域の現場に飛び込み「ユメキッズ」プロジェクトを始動しました。
加藤さんの地域をフィールドでの挑戦をお伝えさせていただきます。

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 塾生活動レポート
              『ユメキッズ』
          〜子どもを軸に地域を活性化〜

                 一新塾第35・37期 東京本科 加藤善幸

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●これからは社会への恩返しの人生にしたい!

 私の幼少期は喘息がひどく、当時、家族は死を覚悟していたといいます。
 でも本人にはあまり自覚がなく、これまでは恩恵を受けるだけでなにも
恩返しをしていない人生を送っていました。

 しかし、東日本大震災や友人の死がきっかけとなり、このままではいけない、
自分自身の生き方を変え、次代の子ども達により良い社会を残すために少し
でも社会に恩返しをしなければと強く思うようになりました。


●でも、何をどうやって?

 気持ちだけが焦り、モヤモヤばかりが募っていた時に、一新塾を知り思い
切って門をたたきました。入塾後は何度も人生の振り返りを行いました。

 振り返りの中で、小中学校と人の目を気にして波風を立てないように生きて
きた自分が、高校時代にケンカ覚悟で友達に自分の意見をぶつけたときに、
それをみんなに受け止めてもらえたこと、それによって“自分の意見を主張
しても大丈夫なんだ。うまくいくんだ。”と自分の考え方が変わったことを
思い出しました。

 「思い切って動けば 願いが実現する」その経験によって自分が大きく成長
してきたことを再認識しました。

 一方、小学生になる娘も少し離れた幼稚園に通っていたこともあり、地域
との関わりが少なく同年代の友達が近所にいない状況で、引っ込み思案な性格
が父親としては気になっていました。

 これらをうまく結びつけることができないかと考え、私の経験を子ども達
にも経験してほしい、さらにその行動が社会を良くする動きに結びつけば社会
への恩返しにもなると考え、一新塾の仲間と、居住地である埼玉県川口市で
ユメキッズを立ち上げました。


●ユメキッズのビジョン

 地域のみんなが知り合いで、輪の中心に子どもがいる。
 そんなビジョンの実現を目指して、子どもが一歩を踏み出す機会の提供、
その行動が地域貢献につながる場の提供をしていきます。

 長期的には、地域の方々が地域の問題に対して、「あれをこうすれば
できるんじゃないか?」、「我々とあそこが組んだらできるんじゃないか?」
と自発的に行動を起こし、自分たちでなんとかしちゃう地域を目指します。


●社会や地域、そして娘が抱える課題

 現代は、町内のつながりや地域交流が希薄になったとよく言われます。
 地域住民の多くは家庭・学校・職場以外のコミュニティにはあまり関わりを
持っていない状況です。

 同様に自分の娘も地域との関わりが少なく、新しいことには尻込みして
チャレンジをためらう場面をよく見てきました。

 その解決策の1つとして子ども会がありますが、すでに習い事で忙しい、
他が提供するイベントの方が魅力的に映る、といった理由で参加希望者が
少なくあまり活発ではありません。

 親としても地域に関わることは自分の負担が増えてしまう、かえって面倒
なことになるとさえ思われており、親の姿勢が子どもに影響し、子どもも
積極的に関わることが少なくなってきているようです。

 そのため、子どもは様々な人が協力して作り上げていくようなコミュニティ
を経験することが少なく、人は支えあって生きていることを実感しにくい社会
になっているのではないかと思います。
 

●自分が変わらないといけない

 ビジョン実現のために一新塾において講師の目標実現に至るまでの実践内容
を聞き、また講座では行動を起こすことの重要性をこれでもかと学び、これまで
思うだけで行動に移していなかった自分が変わらなければならないことを痛感
しました。

 そして、自分は幼少期の助けられた命と今日こうして生きていることに感謝し、
恩返しのために思ったことは行動に移していこうと決意しました。


●考えると行動するでは大違い

 ビジョンは固まりました。そして自分が変わり、動くことでプロジェクト
を進めようと決意を決めました。しかし、頭ではわかっていながら、
「うまくいかなかったらどうしよう」と考え込み、何かと理由とつけて行動
を後回しにしがちでした。そんな時に一新塾の仲間から支えられたり、檄を
飛ばされたりと、背中を押してもらうことがしばしばありました。

 そのおかげで、ほぼ0だった地域との関わりを拡げることができ、停滞する
ことも、失敗イベントもありましたが、地元の商店街の中にビジョン実現を
目指すための拠点を見つけることができました。


●ユメキッズ活動計画

 地域で出会った方々に支えられて「ユメキッズ」は、川口市芝地区にある
「縁joy和ッショイ工房」を基地として活動をスタートすることが出来ました。

 プロジェクトの一つ目は、「×ユメキッズ プロジェクト」。
 様々なパートナーと連携し、子どもを軸としたイベントや勉強会を開催し、
子どもたちの自主性や達成感、地域貢献活動を行います。

 二つ目は、「地域活性化隊 プロジェクト」。
 「地域活性化隊」を結成し、隔週日曜日に、テーマ設定から課題案実行まで
を子ども達自らで考え、実行する場を提供しています。


●今後の目標

 以下が、いま、私たちが考えている「今後の目標」です。

 1年後:地域活性化隊の継続開催。参加者が友達を連れてきてくれるように。

 3年後:川口市で活動が認知される。他地区でも同様の取り組みが始まる。

 5年後:全国規模で活動が紹介される。コンサル活動も始まる。

 10年後:地域で子供を育てる仕組みが定着する。地域の人同士で新たな動きが出る。

 このような成長イメージを考えています。
 

●さいごに

 活動は始まったばかり。成果はまだわずかですが、活動を続けることで、
娘がユメキッズの広報担当としてチラシの作成・配布や友達を誘って連れて
くようになり、地域との関わり方が変わってきました。

 今では、娘に引っ張られて活動を行うことさえあります。今後も小さな一歩
を積み重ねて、少しでも社会に恩返しができるように行動を継続していきます。
ありがとうございました。
  
WEBページ:http://yumekids1110.wix.com/index

■一新塾38期体験セミナー予約スタート!
 志を生きる方程式をお伝えいたします。
 今回は、一新塾第30期生の稲川憲司さんのメッセージをお届けいたします。
岐阜県大垣市出身で、東京でのサラリーマン時代に一新塾第30期に入塾された
稲川憲司さん。一新塾で出会った山地竜馬さんの呼びかけで、2013年3月に
鹿児島の離島、人口150人の口永良部島を初めて訪問します。それがきっかけと
なり、稲川さんは2013年6月〜2014年5月の1年間、口永良部島に移住されました。
昨年5月、口永良部島で火山が爆発的噴火。その後も、島民の皆さんの応援を
ずっとされています。

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 塾生活動レポート

        『行政的安全か? 島民意識的安全か?』
          〜火山噴火の島、口永良部島〜

                   一新塾第30期 東京本科 稲川憲司

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●2015年5月29日

 2015年5月29日、ひとつのニュースが日本中を駆け巡りました。鹿児島の離島、
人口150人の口永良部島で火山が爆発的噴火をしたのです。(噴煙は火口から
高さ9千メートルまで達しました。)実は、口永良部島、噴火の凡そ1年前まで
僕自身も島民で有りました。一新塾での現場研修がきっかけで、2013年6月〜
2014年5月の1年間、期間限定移住をしていたのです。

※一新塾ニュース2013年12月29日

 火山噴火のあった2015年5月29日は、統一地方選挙出馬の1ヵ月後。敗戦後の
虚脱感で満ち満ちていた中、衝撃的なニュースを目の当たりにしました。


●現場訪問

 全島避難、島民全員が屋久島(口永良部島は行政区としては世界自然遺産の
島、屋久島町に属しています。)へ避難してから、僕が現場訪問出来たのは8月
と9月のそれぞれ数日間でした。既に避難所から仮設住宅等へ島民の皆さんが
移動された後でした。1年振り以上に島民の皆さんと再会しましたが、様々な
ご不自由な中、屋久島・日本中の皆さんからの支援に感謝されていました。
口永良部島は元々、地域の結びつきが強く、屋久島とも地縁/血縁/経済で強く
結ばれています。災害の甚大さと比して、避難時の混乱が比較的少なかったのは、
そのような地域力/島民力による賜物だと思います。


●島民の皆さんの本当のストレスは何だったか?

 長引く避難生活で島民の皆さんの本当のストレスは何だったのでしょうか。
勿論、生活上の様々な物資の不足、不便はあったと思います。しかし、僕が
思うに、島民の皆さんに本当のストレスになったのは、行政的安全を押し付け
られることへの抵抗感であったように思います。

 火山噴火は、確かに甚大な災害です。しかし、そこは火山島という災害可能性
のある伝統の中で生きて来た島民の皆さん。(これまでもちょこちょこと火山
噴火はあったのです。)島民意識的安全では、山が噴火の際は逃げ、ある程度
収まったら島に戻り生活を営めばいい、火山と共に生きている、ということなの
です。

 ところが、現代は、先鋭化・短絡化するマスコミかの批判の目に晒されている
からか、行政が一律紋切型の安全判断しか出来ない時代。島民の皆さんの伝統的
な安全感覚が尊重されない行政対応が、今回、僕が最も考えさせられた点でした。
(一時的な帰島許可をなかなか出せない行政対応に業を煮やしたある親子は、
全島避難指示の中、自らの漁船で家畜の救出に向かってしまいました。)


●お正月を口永良部島で迎えて

 その後、幸いにも火山活動が収まって来、2015年12月25日に一部地域除く避難
解除がなされました。僕は、会社の休みを利用して、年末年始を口永良部島で過
ごすことが出来ました。新岳噴火の土石流で、「緑の火山島」だった山肌は削られ、
この半年間の大雨による土砂崩れが、港から湯向集落への道のりにあちらこちら
に散見されました。

 今回の火山爆発だけでなく、台風など自然災害と常日頃向き合ってきた島民の
皆さん。火山噴火からの復興と言っても、日常の中で、ぼちぼちやって行くかと
言う感じです。

 元旦夜は、島の漁師ヨットマンに伊勢海老を食べさせて貰い、個人的には十分
に楽しんでしまった口永良部島再訪となりました(笑)

 帰途には屋久島の仮設住宅にも寄りました。夜の仮設住宅はまだまだ灯りが
消えることが有りません。口永良部島の最大集落である本村集落は、ご高齢の方
中心に 帰島の準備にご苦労されている方も少なくないとか。


●口永良部島応援のお願い

 今回の口永良部島の噴火で、僕は行政対応の限界を改めて感じさせられました。
最早、誰かが悪い、何かが悪いではなく、行政であるが故の行政の限界の露呈・・・ 
そんな中、屋久島町有志の方々の多くの応援、また、島内外で口永良部島を盛り
立てようとする市民力には本当に勇気付けられます。

*島民有志の「えらぶ年寄り組」運営の口永良部島ポータルサイトでは、
 避難状況についいて有用な情報発信をして頂きました。

*ここ数年、口永良部島に通い続ける名古屋のNさんは、リストバンド
 「応援島ス!口永良部島」を販売し、売上金を口永良部島の復興のため
 に寄付しています。http://ouenshimasu.com/

 大阪地域科の25期白川光弘さんからお便りをいただきました。

白川さんは、塾生時代に立ちあげた「明るい水産業を創る」プロジェクトをその後も地道に続けています。


「現場視察」から始まった岡田浦漁協の方との交流。毎年秋に「わかめの種付け体験」、年が明けた3月には「わかめ収穫体験」を、「明るい水産業を創る会」の仲間とともに実施しています。

その活動が、南海電鉄関係のウェブマガジン「SUI」に取り上げられました。

記事をどうぞご覧ください。

http://www.nankai-sui.jp/okada/151223_025/

 一新塾にも、脳脊髄液減少症の痛みをずっと抱えながら社会起業家として活躍しているOBの方がいます。知的・発達障害児の育成現場での相互の学びを目指すNPO法人両育わーるどを設立した重光喬之さんです。

重光さんが当事者同士がゆるやかに繋がれる場を目指して、ご自身が痛みと共に生きる体験を記事にされています。


■プラスハンディキャップ
『出会いと別れと痛みがもたらした変化【脳脊髄液減少症】』
今回は2012年5月から2014年5月の2年間、一新塾で学ばれた峰松めぐみさん
に卒塾後の活動報告をいただきました。

2012年8月、一新塾で「子どもの未来創造支援プロジェクト」を立ち上げた
峰松さん。忙しい仕事と両立させながら浦安を現場に奮闘。プロジェクトで
描いた企画を浦安市中央公民館に持ち込み2014年8月「うらやす子ども起業塾」
をスタートされました。

浦安の子ども達と共に歩んだ2年間の「うらやす子ども起業塾」のご経験
をもって、ますます志を前進されている峰松さんの挑戦をお届けさせて
いただきます。

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塾生活動レポート

「子どもの未来創造支援プロジェクト」

一新塾第30期・32期 東京本科 峰松めぐみ

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●「自分だって、やればできるんだ!!」

私が目指す社会は、子どもたちが将来への夢を語って実現に向けて
行動できる社会です。

「自分だって、やればできるんだ!!」
「一歩を踏み出せば願いは実現するんだ!!」
「将来こんなことをやってみたい!!」

と目を輝かせて笑顔になる子どもたちが増えれば、笑顔と希望にあふれた
社会が創られていくと私は確信しています。

私が現場としているのは、縁あって4年前から住んでいる千葉県浦安市です。
浦安の子どもたちが地域のために行動し、自分たちの考えたことを実現して
いくことにより、浦安市民たちが笑顔になります。そして、チャレンジする
ことの楽しさを知った子どもたちが大人になった時、夢と希望のバトンは
その子どもたちに受け継がれて浦安に主体的行動の連鎖が広がっています。


●将来のためにどのように行動して良いかわからない

しかし現状としては、子どもたちは計り知れない潜在能力を持っているはず
なのに主体的な行動を起こすことができていません。

「将来やりたいことがない」
「将来のためにどのように行動してよいかわからない」

このような言葉を発する子どもたちが多くいます。

私が現場とする浦安市は東京ディズニーリゾートをはじめ埋め立て事業に
よって、近年急激に人口が増えた町です。朝夕の通勤ラッシュ時には駅周辺
に多くの人が集まっていますが、主体的に地域での活動に参加している人は
ごく少数です。

子どもたちの行動範囲も「家庭、学校、習い事」の域を出ず、視野が広が
りません。高学歴の両親をもつ家庭で育ち、さまざまな習い事に通い詰める
新浦安に住む小学5年生の女の子は「親戚の子たちは楽器のコンクールで賞
をとったりしているけど自分は賞を取ったことがない。」と「コンクールで
賞をとったことがない=自分は出来の悪い子」という思い込みを抱えていま
した。また「水泳を習っているので水泳の選手になりたいなあと考えたり
しているけど、他にもなりたいものがいくつかあって迷っている。」とも
言っていて将来のために具体的にどのように行動して良いかわからないで、
もがいている様子でした。


●大人が子どもの意志を否定する

さまざまな原因が考えられますが、現状の根本原因のひとつに
「子どもたちが主体的に行動できるような場が少ない」ことが挙げられます。

現場の子どもたちを見ていつも驚かされますが、子どもたちは大変好奇心
旺盛で、大人が場を用意してさまざまな経験をさせてあげればどんどん吸収
していきます。ですので、現状として子どもたちが積極的に行動できていな
いのは決して子どもたちに行動できる能力がないからではなく、能力を活かす
ことのできる環境がないからです。

そして、もうひとつ大きな原因は「大人が子どもの意志を否定する」ことです。
これに気付いたのは現場でとある女の子が発した「どうせ、私が何言っても
大人はダメって言うんでしょ?」という言葉でした。確かに現実を考えなけ
ればならないときもある。でも、最初から否定していては子どもの可能性は
伸ばせません。まずは子どもたちを信じてあげることが必要なのです。


●これまでの人生

「なんで私はこんなバカなんだ
なんで私はこんなに無能なのだ
なんでこんな人間なんだ」

これは、私が中学3年生の時に学校や習い事で評価されなかった日に書いた
日記です。当時、漠然と報道記者になりたいという夢はあったものの引っ込み
思案で人前で話すことが苦手だった私。周囲と自分を比較しては「自分は何で
こんなダメな人間なのだ」と心の底でいつも苦しんでいました。


●転換のきっかけ

私の努力を決して認めてはくれないと思っていた母親から、大学3年生の時
に興味のあった新聞社でのインターンシップ先を自ら開拓した時に「あなたの
頑張りには感心します」というメールが届いたことや、メディアサークルの
幹部として千人規模のイベント運営を成功させた体験により、自分の可能性を
少しずつ信じることができるようになっていきました。そして、自分の殻に
閉じこもらずに一歩を踏み出せば、夢は夢で終わらずに形になるのだということ
を知りました。


●新しい自分

周囲の人と自分を比較せず、ありのままの自分で生きていきます。
私は決して物事を器用にこなせる人間ではありません。しかし、もともと
才能に満ち溢れていて完璧に物事をこなせる人間などほとんどいないと思います。
不器用でも、あきらめなければ夢は叶うのだということを自らの生き様を持って
伝えていきたいと思います。


●うらやす子ども起業塾

ビジョン達成の手段として「地域社会全体で子どものチャレンジを応援する場
を創る」と在塾中2年間に渡りプレゼンで言い続けていましたが、仕事と両立
しながら子どもを集める方策がわからず実現への道は困難を極めました。

しかし、私が在住する千葉県浦安市の職員の方や私のビジョンに共感して
くれた仲間たちの協力を得られたことにより、昨年2014年8月に浦安中央公民館
にて第1回目の「うらやす子ども起業塾〜失敗を恐れずLet’ challenge〜」を
開催することができました。この起業塾では、小学5年生〜中学生を対象に
「浦安の人たちを笑顔にする」をミッションに自分たちで会社を作り事業を
行ってもらいます。

第1回目はかき氷の中にアイスを入れてトッピングしたアイデア商品を売る
「Japan Smile Cool」と駄菓子とクイズを組み合わせた「なつかし屋」が設立
されました。好評を得て、今年の夏休みに第2回目を開催しました。1回目の
時は、講座時間が間延びしてしまったため時間を短縮して実施しましたが、
時間内に納めようと大人が介入しすぎてしまい子どもたちが納得のできないまま
進んでしまってモチベーションが下がってしまった子が出てしまったことは
大きな反省でした。まだまだ試行錯誤の最中ですが、昨年参加した子どもたち
が夏の講座が終わった後も地域でのお祭りなどでの出店を重ねるうちに、
「浦安で起業したい」「起業塾のような講座を運営してみたい」と少しずつ
将来の夢を語ってくれるようになったことは大きな一歩です。

■一新塾「市民プロジェクトコース」
http://www.isshinjuku.com/curriculum/course03.html