一新塾第23期「東京」本科卒の松澤章さんが、現在、財政破綻した福島県泉崎村を元気にするため、東京日本橋から泉崎村までの220キロを、泉崎村をPRしながら行脚中です。(6月19日に日本橋をスタート、6月26日到着予定)。

●行脚の予定
 国道4号線(旧4号)をひたすら北上
H22年6月19日AM10時 東京日本橋出発〜
       20日埼玉南部〜埼玉北部
       21日埼玉北部〜栃木県小山市
       22日栃木県小山市〜栃木県宇都宮市
       23日栃木県宇都宮市〜栃木県矢板市
       24日栃木県矢板市〜栃木県那須塩原市
       25日栃木県那須塩原市〜福島県白河市
H22年6月26日14時 泉崎村役場到着

21日午後、松澤さんと電話で話をしました。「日本橋〜泉崎村220km」と書かれたタスキをかけて現在、小山市を元気に行脚を続けています。

松澤さんは明日6月22日の14時〜の栃木放送ラジオ「みんなのラジオ」にラジオ出演されるとのことですので、取り急ぎ共有させていただきます。
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 6月22日(火)の14時〜 
 栃木放送ラジオ「みんなのラジオ」の番組内で15分程度
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松澤さんがご自身のブログに書かれている、このたびのチャレンジに挑むことになった経緯を共有させていただきます。

 〜〜以下、松澤さんのブログの引用です〜〜

【亡き村長との約束】
●泉崎村って? なんで歩くの?
 泉崎村は福島県の南部に位置する村です。
 バブル期び住宅団地や工業団地の造成を行ったが買い手がつかず、逆に莫大な借金を抱え財政破綻寸前の危機にありました。
 2000年2月、就任直後にそれを知ることとなった小林日出夫村長は事実を村民に公表。
 村民自らで借金返済をする道を選択します。小林村長自ら福島県から東京までの220km
 を歩く「財政再建行脚」を行い、村営の住宅団地の販売PRをしました。

 だが悲劇は突然訪れます。
 売り込みに奔走し、68億円あった借金を半分以下として、借金返済のめどがたってきた矢先、
 小林日出夫村長は、任期途中の2009年の9月18日に63歳という若さで急逝してしまいます。

●泉崎村との約束
 一新塾という私塾があります。NPO法人の政策学校であり、様々な講師を招いた講義を通して、官僚や政治家にすべてを任せるのではなく「主体性を持った市民」を輩出ことを目的としています。その一新塾が、小林日出夫村長との出会いの場となりました。

 いまでも残る小林日出夫村長のブログの記述
 http://blog.livedoor.jp/izumizaki/archives/51597688.html

 小林日出夫村長の辿った道のりを逆に歩き、泉崎村を応援をしたい。
 東京から泉崎村に歩いていって泉崎のよさを体験したい、様々な人に泉崎村を知ってもらい、元気になってほしいのです。
 泉崎村を心から応援するために歩きます。

 そして、twitterで色々とつぶやき、みんなとつながりながら220kmを旅したいと思います。
 そんな願いから「220km つながり行脚」と称して1週間かけ行脚を行います。
24期「大阪」地域科卒の森本栄美さん。4月に「えみこころ」を起業され、
“農山漁村の加工品”を“都市の商店街”で出張販売する活動を開始され奮闘中です。

このたび、森本さんより6月22日にKBS京都ラジオ出演されるとの
ご連絡をいただきましたので、取り急ぎ共有させていただきます。
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 6月22日(火)の午前7時15分〜 約12〜3分間
 KBS京都ラジオの情報ワイド番組「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」の
 「噺の朝ごはん」のコーナー
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森本さんには「一新塾ニュース第418号」にて、このたびのチャレンジにいたるドラマをつづっていただきました。
6月16(水)には、日本を代表する社会起業家である飯島博氏(NPO法人アサザ基金代表理事)に一新塾にお越しいただきました。

「アサザ・プロジェクト」は、“湖と森と人を結ぶ”市民型公共事業として、のべ20万人もの人々が参加し、200を超える学校を結びつけた壮大な社会実験となっています。

飯島さんの徹底した現場主義から生み出された突き抜けたビジョンと世界観に触れることで、私たち自身が行動を起こすヒントを得ることが今回の講義のねらいです。

そして、今年も、既成概念を打ち破るご講義をいただきました。
これまでのものの見方から脱し、「空間を読みかえる」ことでこんなに可能性が拓かれるのかと、驚きの連続でした。

また、飯島さんがモヤモヤしたものを問い続ける中で、遭遇したガンジーの塩の道の話。ガンジーのばかばかしくも創造的な行為で多くの人たちを動かしてしまう計り知れない可能性を見て、

「子ども時代のあのときの自分が生きている!」

との実感があったとのお言葉はとても胸に響きました。
まさに答は自分の中にあるのだということに気づかせていただきました。

私たちも自らの根っこをしっかり掘り下げながら前進してまいりたいと
志を新たにさせていただきました。

今回は、このたび一新塾第24期を卒塾された地域科の森本栄美さんのメッセージをお届けいたします。森本さんは、4月に「えみこころ」を起業。“農山漁村の加工品”を“都市の商店街”で出張販売する活動を開始されました。

先日5月25日の『日本農業新聞』でも、森本さんの奮闘が紹介されました。

そして、6月9日(水)から11日(金)まで大阪市東住吉区の「駒川商店街」
での出張販売が決まりました!
「駒川商店街」は、ちょうど1年前、森本さんが最初に視察に訪れ、プロジェクトを立ち上げるきっかけとなった商店街でもあります。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■     『“農山漁村”と“都市の商店街”の橋渡しになる! 』
■■    〜天下の台所と言われた大阪から全国の方へ伝えたい〜
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■■■■               一新塾第24期「大阪」地域科
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集落の核である総合商店の相次ぐ廃業、生産加工者である農山漁村の方たちが、売り先がなく困っている現状、また、まちの公営住宅に住む高齢者が、中小の小売店やスーパーの閉店により、買い物に不自由している現状。消費活動や流通の郊外化が進むなか、孤立していく農山漁村と都市高齢者。

両方とも疲弊している現実を知り、お互いが支え合い、再生するための橋渡し役ができればと、“農山漁村の加工品”を空き店舗が目立つ“都市の商店街”で販売する活動を始めました。
そして、今年35歳を迎える節目の4月に「えみこころ」を起業しました。
歩いて買い物ができる、都市の新しい「産直」、そして生活者起点の新しい
流通のカタチを築いていくために。

●これまでの人生

小・中学時代に、共働きで家族団らんの時間が持てなかったこと、祖父母の介護の手伝いができなかったこと、高校時代に優等生だった友人たちとのギャップに、いつしか強いコンプレックスを抱くようになっていました。

社会人になっても、「人からよく思われたい、負けたくない」という意識が
強く、他人の評価ばかりを気にして、転職を重ねていきました。最初に就職したのは、外資系の化学メーカー。次に、工務店で内装の現場監督、設計事務所で内装デザイン、高校での情報実習助手、生協と様々な世界で学ばせていただきました。

しかし、「本当に没頭できることを見つけ、今までの弱い自分を克服したい。刺激し合える仲間がほしい」との思いが湧き上ってきました。そんなときに一新塾を知りました。入塾してからは、日常生活のなかで楽しみ・喜びを見出すこと、人の長所を探すのが好きだったので、この良い面を活かせないかと考えていました。また、長い間建築業に携わっていたこともあり、まちづくりに強い関心がありました。

●目覚めた自分

一新塾に入って第1回目の定例会、大阪市東住吉区の駒川商店街の視察でした。小さい頃に行った商店街の活気がそこにはありました。商店主の威勢のいい掛け声やお客さまとのやりとりを見て、こちらが温かい気持ちになり、スーパーにはない、商店街ならではの人と人とのつながり、対面販売の魅力を再認識しました。

また、勉強会のなかで、まちづくりの観点から地元のシャッター街以外にも地方が抱える現状を知りました。特に、物流が途絶えたため業務用の冷蔵・冷凍庫で食糧を備蓄せざるを得ず、プロパンガスも届かないので薪を使って生活している集落があることは、私にとって大変衝撃的でした。「買い物」というごく身近なテーマだからこそ、また対称的な活気のある現場を見たからこそ、地方の痛みがよりリアルに感じられたのかもしれません。

●プロジェクトの立ち上げ

買物客が商品を目で見て、商店主と対話をしながら、満足して買う。そんな当たり前のことができない今の「買いもの」事情。「商店街が負の遺産ではない!!」視察を終えて、商店街の良さを改めて感じた私たちは、
「日本の商店街を元気にする株式会社」プロジェクトを立ちあげました!

●商店街の現場に飛び込む!

今までで商店街は50ヶ所以上、商店は100軒近く、地元大阪を中心に
兵庫・奈良・滋賀、そして東は横須賀まで足を運びました。商店街を中心に、外部環境や行政が抱える問題、例えば財政難など根本原因を調べ、それぞれにあった地域ビジョンを立てていき、各地でワークショップを行っていきました。

そんななか、和歌山のかつらぎにある花園という集落で、片道2時間かけて市場に仕入れに行き、集落に住む人たちの日常生活を支えて、がんばっている商店主に出会い、心を打たれました。

かたや、地方にあるシャッター街。最も驚いたのは、シャッターを閉めた店
がどこも困っているわけではないという事実でした。「ものを置いたら売れる時代ならよかったが、このご時世、開けた方が赤字になるから」と。しかし、商売をやっていたことのある人なら、きっとお客さまの喜ぶ顔が見たいはず! 商店街の空き店舗で出張販売をするのは、そういう諦めかけている商店主に気付きをもたらしたい、という思いもあります。

●農業に関心を持った理由

ターニングポイントは、視察を通して、「商店街が元気=生鮮食品店がある」ことに気づき、八百屋そして農業に関心を持つようになったことでした。現場に行ってお話を聞き、山間部では関東などの平野部とは違い、作付面積が小さく、大規模な生産はできないものの、そのぶん農産物一つひとつに対する愛情が強いことを感じたのです。

それにもかかわらず、JAの統廃合が進むなかで、地域に支所がなくなり、取り残されていく集落、直売所のスーパー化、それに伴い増え続ける廃棄される野菜たち。ヒアリングを続けていくなかで、地域ぐるみで必死にがんばっている農産加工品に力を入れている生産者が増えてきていることを知りました。

●地方が元気になるお手伝いがしたい!!

「食」は暮らしの原点。天下の台所と言われた大阪から全国の方へ伝えたい思いがあります。「地方特産品」を軸に、地方の「売りたいもの」を都市の「買いたいひと」へ届けたい。商店街を核として、地方のストーリーのある商品に、ひとの温かなサービス(心)を込めて、都市での買い物をするひとに届けたい。農山漁村のチャレンジする姿勢を支援し、地方で産業がおこり、元気になるためのお手伝いがしたいと。

その思いが強くなったのは、宮津に仕入れ交渉に行ってからです。天橋立で有名ですが、観光客が激減しており、人口が二万人を切るという深刻な状況。そこで、水産業を元気にしようと、加工品に付加価値をつけ、都市の人に買ってもらうことで、売上を上げ、若い人の雇用を生み出したいとの思いを聞きました。なんと、異業種の工務店さんが、建築の知識を活かし、「天橋干し」を開発。「まちのみんなの生活水準が上がり、新しい家を買ってくれるようになるのが夢だ」と語る姿を見て、一層刺激を受けたのです。

●生活者起点の流通のカタチを目指して

生協で地域訪問をしていたとき、便利さを求める一方、運動がてらに、近所の人と買い物をするのを楽しみにしている単身高齢者が多いことを感じていました。また、私自身も都市での生活に慣れ、車を運転しないこともあってか、道の駅や大型商業施設など郊外型の買い物には、どこか違和感があったのです。

そこで、歩ける範囲で拠点を設けるために、大阪市内の商店街の空き店舗のほか、近くの住宅の軒先・駐車場・集会場・福祉施設・企業・マンション・公営住宅の敷地内などでも販売しようと、自転車で駆け回る毎日です。地域の方たちに対面でサービスをするのは、対話を通して、コミュニケーションが図れたり、ご用聞きや安否確認も兼ねられると思ったからです。

また、出張販売をしているなかで、リピーターの方も増えてきました。
今後は、さらなる利便性のアップのために、会員制度やステーション(商品の受け取り拠点)も考えています。

さらに、商店街を利用されている方には、買い回り品と地方特産品をセット
にした定期的な宅配なども、商店主と協働して行う予定です。
これらは、年明けに開設するアンテナショップと連携ができればと思います。

●私の人生のライフワーク

「大阪の森本です!」初めて電話をしたり、会いに行ったりするときの第一声です。これからも、農山漁村や商店街、都市で暮らす生活者のなかに飛び込んで、多くの人に出会い、活きた情報を届けていこうと強く思います。

いつか私が子供を持ったとき、心に熱い思いを持って、一生懸命に働く姿に、誇りを持ってもらえたら、さらには、次の世代を担う子供たちにも、この事業を通して、地方で働ける環境を整えていけるよう、まずは自分ができることから始めていく覚悟です。

私たちが老いたときに、家族や友人との孤立で寂しい思いを抱えても、
若い人たちが近くにいて話ができれば、元気はきっと連鎖すると思うから。
このたび、一新塾第18期生の向後功作さんのメッセージをお届けします。

向後さんは、一新塾受講期間中に勤務先の銚子電鉄の経営危機に直面。ぬれ煎餅を買ってください!!電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」 との呼びかけに2週間で1万件の注文が殺到! 多くの市民を巻き込んでの 復活劇を最前線に立って奮闘された様子は、一新塾ニュースでも何度かご紹介 させていただきました。

(詳しくはぜひ、向後さんの著書『かんばれ!銚子電鉄 〜ローカル鉄道とまちづくり』日経BP社刊をご覧ください。)

その向後さんから、「第二ステージに向けて1歩を踏みだします!」との
ご連絡をいただきました。
銚子市のまちづくりプロデューサーとして新たな挑戦に向かう向後さんのミッション・ビジョン、ぜひ、ご一読ください!

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■    『 銚子市のまちづくりプロデューサーとして生きる! 』
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■■■■                   一新塾第18期 本科
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この度、27年間勤務した銚子電気鉄道株式会社を退職しました。
20年前から考えてきたことを、実現するための1歩を踏みだそうと考えた結果です。

私が描いた銚子市のビジョンです。

●銚子市ビジョン

新しい観光「ニューツーリズム」でこれまでに銚子に無かった観光のスタイルを 根付かせようと考えています。そこから、個人や地域の利益を生みだすことにより、市民のやりがいを芽生えさせることが出来たら良いと思っています。

銚子の産物のおいしさを伝える人、まち歩きの楽しさを案内出来る人、伝統的な知恵を伝えられることを生き甲斐に感じられるお年寄りが街中に沢山観られることを、市民の笑顔と健康の元にできたらと思っています。株式会社いろどりのように。


●銚子市の現状

それまでの銚子は「生活に困らないまち」でした。
豊富な第一次産業や第二次産業に支えられて衰退の危機感の感じ方に世代の差が大きくありました。

また各産業の中でも利害関係の主張により意見がかみ合わなかったり、一言で言えば「まとまりがない」状態でした。現在、中心市街地は商店街機能が著しく減退し人口も7万人を割り込み、観光客も減少しています。

かつて、大いに賑わいっていた頃の銚子には、資本家を中心にプロデュースする人たちがいましたが、現在では行政依存が大きく、プロデューサー不在の地域です。


●地域との密接な連携の必要性

22年前運転士から、鉄道業務を管理する部署へ異動となりました。小さな会社ですから営業から設計・開発・申請、実行、検証など全てのことに関わりました。また同業の鉄道会社の担当者と意見交換をする機会も多く、「地方の一事業者だけでやっていくことは無理がある、共同でおこなうことや、同じ目線で補い合うことでもう少し、コストと労力のかけないでやっていけることがあるのではないか」と考えるようになりました。

その後、銚子市内でいくつもの市民活動に参加させていただきました。地域との密接な連携の必要性の重要さを強く意識するようになり、そこにのめり込めばのめり込むほど、会社での業務をしながら地域の活性化や、地方鉄道の存続維持の問題に関わることに時間不足を感じるようになりました。


●プロデューサーへの決意!

そして10年ほど前から、「家族に会社を辞めてやっていきたい」意志を伝えました。銚子市世紀越え事業の市民企画委員として、官民一体の事業に参画させていただいたことが転換点でした。「銚子市の活性化は行政主導でなくても、市民主体でも可能」なんだと、考え方を進める切っ掛けとなりました。

そして、40歳の誕生日を迎えようとしていた頃に、千葉大学工学部都市環境システム学科の社会人枠のことを知り、「まちづくりについてきちんと学ぼう」と意を決して入学しました。

千葉大学での4年間で、まちづくりについては考えたり行動したりいろいろな知識や経験を持った多くの人たちに出会いながらも、世代や経験の違いなどの様々な要因により、まとまらないプロジェクトやかみ合わない意見の行き違いが、それまでの銚子と被って見え、調整役としてプロデューサーが必要なんだと確信しました。

そして、それは誰かを待つことではなく自分でやらなければ道は開けないと考えるようになり、プロデューサーとなる決意をした上で、自分の周囲の人たちや、地元の県会議員などにも意志を伝えてきました。


●一新塾との出会い

私は、まちづくりプランナーやコンサルタントとして活動するのではなく、銚子というフィールドの中で、具体的に市民と共に働くプロデューサーとして活動していくことを目標としました。

そんな折り、一新塾第4期生の(株)ライトレール代表取締役の阿部等氏と出会い、一新塾の存在を知り研修室のドア叩かせていただいた訳です。
さっそく、自己実現について足りないものを見つけたくて、そのきっかけに
なればと入塾させて戴いたことを昨日のように思い出します。


●銚子電鉄の危機を乗り切る

入塾後、当時の勤務先であった銚子電鉄の危機を「ぬれせんべい」の販売で乗り切ったことは、全国的に知れ渡ることとなりました。そのことが切っ掛けで知り得た人達はとても多く、今の私を支えてくれている宝となりました。あの危機を乗り切ったことによって、それまでに関わった人たち、その後に関わった人たちとの絆はさらに強くなっていきました。そしてその最中でも、私は銚子電鉄を辞めてまちづくりプロデューサーへの志を口にして、今日までの準備をしてきました。


●見えてきた私の進む道

明確にプロデューサーを目指すと決めたころから、観光立国に向けた政策も動きだし、観光庁が設立されました。そして、私の進む道として見えてきた
のは、銚子市の「ニューツーリズムによる観光によるまちづくり」と「地方の鉄道沿線の活性化」のプロデュースです。さらに、地方鉄道が連携し共同で事業を進めることでコストダウンを図ったり、PR力を拡大しつつ地域鉄道として地域利益に貢献できる鉄道経営に関わらせて戴くことです。


●「ニューツーリズム研究会」「一般社団法人交通環境整備ネットワーク」を立ち上げ!

地元銚子での活動の基盤は、5月に入ってから市役所との関係づくりに努めると共に、地元の有志の皆さんと「ニューツーリズム研究会」を立ち上げて動き出しています。

地方鉄道事業へのアプローチとしては、昨年4月に交通ジャーナリストや
国土交通省のOB、地方鉄道数社の社長、そして大学関係者や一般市民の皆さんに参加していただいて一般社団法人格を取得し交「通環境整備ネットワーク」を設立し、活動を始めていました。地域鉄道フォーラムや鉄道茶論の開催と、学生を対象としたセミナートレインを事業として行いました。

いまこうしてスタートラインに立った段階ですが、しっかりとした走りを
イメージして第一歩を踏み出していきたいと思います。