節目

先週は、一年前に入塾された24期生の卒塾式でした。
1年前に入塾されてから今日まで、密度の濃い一日一日が思い浮かびます。

「志を生きよう!」との思いをもって、一新塾の門を叩いていただきました。そして、一市民として、「社会の現実」に身を投じていただくことで、
プロジェクトが次から次へと生まれました。
社会変革者としての当事者意識が大きく育まれながら、同時に、
自らの根っこを掘り下げ、その意味を深めていく歩みがありました。

ある時は、悩み、葛藤し、紆余曲折の歩みがありました。
しかし、志を果たす道を歩むとは、これまでの出会いや出来事の一つひとつが、何一つ無駄なことなく一つに結ばれていくプロセスであると改めて実感しました。同志と共に体験した、一つひとつの出会いと出来事は、志を育むためのかけがえのない大切な財産となるのだと思います。

この日、110名の26期生に、主体的市民の道を歩む同志として、
加わっていただきました。

『 今、沖縄で何が起こっているのか? 』

普天間基地の移設問題で、いま、日本は大きく揺れています。
一新塾第24期生の春田一吉さん。春田さんは、沖縄には年数回、20数年行っており、5年前より辺野古で新基地反対で座り込みをされている方々と活動を共にされてきました。
昨年8月に一新塾第24期で「東京の方々に辺野古を伝えようプロジェクト」を立ち上げ、春田さんの志に賛同する塾生と一緒に活動がスタートしました。

プロジェクトメンバーの一人、長野県在住の長崎光芳さん。
2009年9月20日〜23日に春田さんとともに初めて辺野古を訪れました。

●その時の熱き現場視察体験記はこちら!
http://www.isshinjuku.com/04i_hassin/merumaga/kn_091028.html

そして、2010年4月29日〜5月6日、春田さんと共に再び辺野古を訪れた長崎さん。現地で肌で感じた実感を綴って下さいました。長崎さんの切実な憤りと湧き上がるあたたかい気持ち、お届けさせていただきます。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■       『 今、沖縄で何が起こっているのか? 』
■■         〜 4/29-5/6 GW 辺野古訪問2回目〜    
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■■■■                    一新塾第24期 本科
■■■■■□                       長崎 光芳

汝の敵を愛せよ

座り込み2200日を越えた辺野古のテント村で嘉陽のおじいに伝えていただいた言葉、それは、聖書の一文であり『相手への尊厳』を重んじる言葉である。

想像してみてください。(ジョン・レノンじゃないけれど・・・)

あなたのご近所に人を殺す訓練をされている住人がいることを基地のある都市は治外法権なんだから、レイプも強盗も引き逃げも甘くみてくれると思っている住人がいることを沖縄の方々は65年間ずっと耐えてきたのです。
「またかっ」と日常茶飯事のできごとなのです。
「公害じゃなくて人害だ」

宿泊先の民宿のお父さんは言った。

もっと今沖縄で何が起こっているのか多くの方に知っていただきたい。
沖縄によく『癒し』を求めに本土の観光客は来てくれますが
本当に『癒し』が必要なのは沖縄県民の方だよ。

テント村で平良牧師は言った。

もっと、沖縄の今を知る努力を内地の人はして欲しい。
テント村に来てくれるのはいいが、「がんばってください」
ってなんだよ!他人事としか聞こえないよ。

東恩納 琢磨議員は言った。

辺野古に行かなければわからならかったことがある。
辺野古に行かなければ感じられないことがある。

沖縄基地建設反対派の稲嶺名護市市長が当選、
4.25沖縄県民集会で9万5千人以上が集結し、県民一丸となって県内移設反対の民意を示した沖縄

それでも政府は沖縄に基地を置く方針を変えなかった。
私は沖縄にくる前から政府に何の期待も持っていない人間のひとりだが、
基地建設される沖縄に恩恵のある軍産複合体利権の弾圧があるとしか思えない。

それは、ひとつに民主主義は沖縄に存在していないということ。
ということは、日本は民主主義国ではないということ。

『権力は人にあらず』

相手が人であればいつか解りあえる日を期待したいが
『権力』は人ではない。それを私はあらためて沖縄で確信した。

でも、逃げることはやめにしよう。
自分からも、この国からもどうせ見切りをつけるなら戦ってから決めればいい。

そんな気持ちにさせてくれたのは、私と同年代、それよりも若い世代(25〜30代)が沖縄を変えようと、真剣に沖縄の未来を語り、人生をかけたミッションに挑んでいる姿を数多く目の当たりにしたからだ。

『熱は伝導する』その若さから伝わる『熱』を私は確かに沖縄で感じとってきた。

もし、国を変えるものがこの世にあるとするならば、
それはまさしく、『その熱があるか、ないか』の違いだけではないだろうか。

辺野古の方々は2200日を越える戦いを今も続けている
市民が協力して国家権力に立ち向かう意味は、はかりきれないほど大きい。

その大きさの意味を知り、戦い続けてきた方々にはゆるぎない『実感』があった。

『基地はどこにもいらない』

沖縄で出会った素晴らしい方々の胸にいつもそれはある。
沖縄県民の心にいつもそれはある

『基地をなくすにはどうしたらよいだろう』

沖縄が基地に頼らないで沖縄で食べていければいい。

基地に頼らない沖縄経済の自立が、
基地には反対だけど生活の為に泣く泣く基地容認派にならざるをえない方々
を救い基地容認の票が少なくなる。

基地容認の票が少なくなるだけ、基地反対派の勢力は強まる。
基地がなくなれば沖縄からアフガンなどへ飛ぶ戦闘機もなくなっていくだろう。
別の基地を模索・検討する間、どこにも爆薬は落とされない。
すなわち、基地に頼らない沖縄経済の自立は平和活動になるのだ
そんな経済活動に参加して自分の命を燃やしてみたい。
そんな夢を私は沖縄で見た。

すでに、沖縄一新塾の集まりでお会いした片岡 勝さんは
それを実現すべく沖縄で動いていた。
「沖縄から覚醒される日本」を掲げて。

私は『良心』という美徳で支えられている日本国民が大好きです。
だから、同じ日本であるにも関わらず沖縄ばかりが犠牲になっている現状を知った以上

『放っておけない気持ち』になった日本国民のひとりです。

弱くて、美しくて、尊いものを護る本能。
私はその本能のままに生きることに決めた。

カリスマリーダーの時代から一市民の時代へ

いま、パラダイムシフトが起こっていますが、リーダーというカテゴリーにおいても大きな転換が起こっているのではないでしょうか。それは、カリスマリーダーの時代から一市民の時代へのパラダイムシフトです。

かつては、一部の限られた人たち、突出した才能や専門性を持つ人たちにリーダーとしての特権が与えられました。

しかし、いま、名もなき一市民でも、自らの志を鮮明にして、その志に身を投じることで、誰もがリーダーになれる時代となったことを、14年間、一新塾生の挑戦に立ち会わせていただくことで実感しています。
今でこそ、社会変革のフロントランナーとして、政治の分野で、社会起業の分野で、突出した活躍をしている一新塾卒塾生も、かつては、名もなき一市民でした。
一歩行動に踏み出すたびに、悩みも葛藤もありました。紆余曲折の歩みの中で、手探りで道を尋ね、同志との切磋琢磨で互いの志を鮮明にすることで徐々に道が開けていきました。

そもそも、私たちが生きるこの社会を礎としてずっと支え続けてきたのは、名もなき一市民の人たちの現場での汗と知恵です。その奥には、名誉や称讃などの野心から離れた純粋な志がありました。どんな困難な試練があっても真心をもって挑戦し、限りを尽くして生きる。その純粋な志は一市民の日々の生活のなかで脈々と伝承され続け、今も息づいているのです。
試練の時代、道なきところに道を切り拓く知恵の源泉は、まさにここにあるのではないかと思います。


辺野古視察

人生賭けて、身を投じて行動する現場では、市民としての純粋な志が鮮明に一本通っている。

東京で間接情報を聞くだけだと、普天間基地の移転先の場所がどこなのかの表面的な部分だけしか目がいかないが、実際に現場に来て、現場の人と出会い、その出会った方の人生を通して、人間にとって大切なものとは何であるのか、その問題の本質が浮き彫りとなる。

長年、座り込みを続けてこられた女性行動家との出会い。
背筋がピンと伸び、凛とした透明で揺るがない、基軸が貫かれ、人間にとって何より大切なものを見据えている方だった。

「座り込みをずっとしていると、いろいろ考えるの・・」
なぜ、座り込みをするのか?
なぜ、基地が必要なのか?
なぜ、沖縄なのか?
なぜ、日米同盟なのか?
なぜ、戦争はなくならないのか?

彼女が牧師の主人と共に沖縄に来たのは、沖縄返還前から。
彼女の原点はベトナム戦争。
そのころ、ここの飛行場から米兵の乗った飛行機がベトナムへ飛び立ち、
戦争をして、戻って来た。
日本が戦争に加担していることに憤りを感じたという。

また、環境アセスメント法に違反する那覇防衛施設局の辺野古ボーリング調査に対して命がけの阻止行動。多くの住民が立ち上がり、体を張ってカヌーで乗り出した。また、海上に立てた櫓の上での座り込みでも、櫓から海に振り落とされる命がけの衝突があった。

「信仰がなくては闘い続けるのは難しい」
毎日座り込みを続ける仲間の7割はクリスチャンとのことだった。

「現場にいる敵が本当の敵ではない」
米国海兵隊の一兵士。米国は格差社会。大学に行けない人に軍隊に行けば大学にいけるぞ、との言葉がきっかけで軍隊を志願する。軍隊に入ってからは過酷な訓練で感性を剥ぎ取られて殺人マシーンと化していく。任務を果たして、本国に戻って、大学に入る。しかし、上からの命令に絶対服従を叩き込まれていて、学ぶことができない状態になっているという。
現場にいる敵とは時にわかりあえる。現場にいる敵が本当の敵ではない。
本当の敵はその奥にある権力構造だ。

命をかけて行動する現場。
形ある大きな力にも揺るがない、市民性を貫く、尊い光を感じさせていただいた。

『 一人を変えることからの社会変革 』〜松陰の姿勢に学ぶ〜

明治維新、背後にあった私塾の存在。
「志を同じくする仲間と熱く語り合いたい!」
維新の志士たちは、同志を探し回って、同志がどこそこにいるとなれば、
“脱藩行為”をしてでも、同志に会いに行った。会えば、夜を徹して熱く語り合った。 そして、他に同志はいないのか、どこそこにいるぞ、となれば、また、藩を越えて 同志に会いに行った。

そして、いつしか、維新の志士たちのネットワークは3000名を超え、新しい国を開く ということがありました。その時、私塾は同志が繋がりあうための装置として機能しました。時を超えて、いま、世代を超え、縦割りを超え、同志が繋がりあう場として 一新塾の役割があるのだと思います。

「平成の松下村塾を目指す!」一新塾創設時の大前研一の言葉です。

江戸時代の末期、ペリーの来航によって、吉田松陰は浦賀を訪れていたペリーの艦隊を眺め、「日本を守るためには、まず外国を知らねば守れない」と、黒船に乗って渡米することをもくろみました。しかし、松陰の必死の懇願も通じず、アメリカ側は乗船を拒否します。

死を覚悟しての行動でしたが、結局、自首を決意し、松陰は野山獄に入牢されることとなります。その野山獄で出会ったのは、長い獄中生活で、いつ自由になるとも知れず、希望を捨て、表情もなく、まるで生ける屍(しかばね)となっていた11人の若者でした。

松陰は、死んだ目をした若者の一人にまず語りかけます。「欧米列強の国々が押し寄せるこの時代をどう受け止め、どう行動すべきなのか?生きるとはいかなることか?」限りを尽くして一人にとことん向き合い、あらん限りの情熱を注ぎ込み、共に立ち上がろうとぶつかっていきました。ついには、若者の胸の中では、埋もれてしまっていた志が揺さぶられ始めるのでした。
すると、その様子を見ていた他の若者が「私も学ばせてください!」と声を上げます。一人、また一人と加わって、いつしか獄舎は学び舎と化していきました。

松陰は、野山獄から出た直後に、叔父から松下村塾を受け継ぐこととなりました。ここで行われた、“突き抜けた教育”は、まさに野山獄で一人に魂込めて限りを尽くしてとことん向き合った中で磨き上げられたものだと思います。そして、幾多の維新の志士たちがここから巣立っていくこととなったのです。松陰は、一人を変えることからの社会変革の実践者でした。

この松陰の姿勢は、社会変革に挑みたいと志を立てた人たちに最も求められているものではないでしょうか。

応えたい対象者を一人に絞り込む。
具体的に誰に応えたいのか、徹底的に絞り込み、一人の人間に定めていきます。その人に会いに行き、話を聞かせていただき、その人に徹底的にアクセスしていくことで、問題の根源もビジョン(願う未来の現実)も浮き彫りになっていきます。そして、その一人に応えるために自らの志を鮮明にして限りを尽くして完全燃焼する。その熱が激しければ激しいほど、続々と他の方へと連鎖を起こしていきます。

社会が変わるとはそういうことだと思います。


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