『 コミュニティーキッチン <いぬゐの郷> 』

 今回は昨年11月に一新塾入塾、現役生として、チームプロジェクト活動に、講義に奮闘中の第25期生の笹淵恭子さんのメッセージをお届けします。
 笹淵さんは、音楽学を専門として、日本の大学を卒業後、フランス政府給費留学生としてパリに渡られ、2000年にわたる西洋音楽の構造的歴史の研究に半生をついやされました。その後、ファッション関係の会社勤務(フランスと日本の橋渡し役)、ご家族の介護、看病をへて、社会の役に立ちたいという気持ちで、地域のボランティア活動に。「私の残りの人生の仕事は、私の住んでいる地域再生にある」という強い思いで一新塾の門を叩いていただきました。
笹淵さんの 熱きメッセージをぜひ、ご一読ください。

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■■      『 コミュニティーキッチン <いぬゐの郷> 』
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■■■■                     一新塾第25期 本科
■■■■■□                        笹淵 恭子

 私は一新塾25期生として、「コミュニティーキッチン<いぬゐ郷>」(いぬゐとは北西部の和式名。千葉の旧幕張地区を中心とする地域名として付けた名前です)の立ち上げを2月に宣言し、6月にプレオープン、7月から始動しました。
行動し、現場と対話しながら進もうと、先ず自宅を開放してスタート、小さな、小さな一歩を踏み出したところです。

 プロジェクトの長期的目標は、千葉市の旧幕張地域を自立した地域(根っこを持った地域)として立ち上げること。そのためにはここに住む人々が国や行政に頼ることなく、新しい協働体を作って、自分達の問題を自分達で解決していく地域にしていくことです。


●私と地域の問題

 私と<地域>というテーマの結びつきは、私の半生をかけた西洋音楽の研究を抜きにしては考えられないことでした。18世紀末の音楽社会学的変革に、今の日本の社会の変革が学ぶべき点があるという非常に強い思いが、私にあります。


●西洋音楽の18世紀末の変貌と日本における地域の変貌 

 西洋音楽には理論と実践という二項が歴史の始まりから存在しました。
というより、音楽といえばまず理論としての学問であり、実践(音のパフォーマンス)はその下で派生的に生じる存在でしかありませんでした。こうした二層構造の中で、宮廷や教会の言われるままに音楽をしていた、いわばお抱え職人としての18世紀の音楽家が、市民社会の出現と共に、庇護者を失い、音楽作品を売って生計を立てなければならなくなり、その結果、その人ならではのオリジナルな芸術作品を作る自立した芸術家という存在が出現いたしました。

 この状況は、現在の日本で求められる地域の変貌に酷似しています。明治維新で西洋の近代国家制度を取り入れて以来、地域は国から地方自治体へと降りてくるピラミッド型の底辺にあり、上からお金を与えられ、指導を受ける存在でしたが(これはまさに、18世紀の市民社会出現前の、お抱え職人的存在と同じ)、今や国家の財政は破綻といってもいいような状況にあり、制度は硬直化して動かなくなり、もはや、地域が自らの根っこの上に自らの力で立ち上がるしかなくなりました。地方分権、地域主権といった政治の言葉も、この歴史的転換から出るべくして出てくる言葉と私には思われます。


●私が住んでいる旧幕張地域の自立のために

 地域が自立するためには、新しい協働体を作らなければなりません。なぜ、<新しい>のでしょうか? 旧来の人の繋がりがあらゆる場所で崩壊し、個人がバラバラの状態で放り出されて、いわゆる無縁社会が出現しています。ここでは、もはや強い意思を持って人の繋がりを意識的に新しく創り出してゆくことによってしか、人は生きられなくなりました。これは今まで日本の歴史になかった状況です。


●コミュニティーキッチン「いぬゐ郷」
 
 私はこの新しい協働体つくりを、現在乱れている食の問題から始めます。
人の繋がりがなくなった今、一人で食事をとる孤食が増えました。また、家庭で調理せずにコンビ二弁当や出来合いのものを買って食べることが、ごく普通のこととなっています。これでは、栄養のバランスはとれず、添加物の多い食事をとる結果となって、健全な心と健康な体を維持することは到底出来ません。当然のごとく、アレルギーの子どもは増え、得体の知れない病気に悩まされる人が多くなりました。又、鬱病、自殺も食事と全く無関係とは言えません。

 キッチン「いぬゐ郷」では、自分が望む時には、人と一緒に楽しく食事が出来ること、栄養のバランスが取れた食事がとれること、栄養価を高く保つ調理法(低温蒸し)等に留意しています。

 バランスのとれた食事として、一食の中ですべての必要な栄養分が取れる <いぬゐカレー>を定着させようと試みています。明治時代に外国から入ってきたカレーが、日本人の食として定着した今、スパイスの集合体としてのカレー粉をいぬゐ郷の畑で生産し、日本全国に、また世界に発信したいと思っています。
カレーの自立(!)です。

 また「いぬゐ郷」の重要な調理法として、低温蒸しの方法を取り入れます。60℃〜80℃で食材を処理することによって、栄養価を増し、素材の自然な味を損なわずに調理することが出来ます。


●協働体作りをどのように?

  こうした食事の提供と共に、集まった人、一人一人が持っている生きる知恵を共有し、一人だけでは得られない知恵を分かち合う場をオーガナイズしたいと思います。そして誰もが主人公になれる場作りをし、それぞれの人が生きる楽しさ、意味をもてるようにしていきたいと思います。一つの例として、80歳の料理上手な高齢者に料理を教えてもらっています。ここでは料理に限らず、いろいろな知恵を話してもらうことによって、教えてもらう人は生活が豊かになり、一方この高齢者は自分が役に立てることに大きな喜びを感じ、その喜びが教えてもらう方にも伝わってきます。


●<いぬゐ>とは?

 そして、このキッチンには必ず音楽のライブがあり、皆で歌って笑って、
大変楽しい雰囲気が作り出されています。集まりには歌が大きな効果を出すことがわかってきました。フランス語にINOUI(まさにいぬゐと発音します)という言葉があって、この中にoui(聴覚)という音節が入っています。北西部の和式名として<いぬゐ>と名付けただけですが、私と地域の同志が音楽畑出身であること、そして私は音楽の研究のためフランスに長く滞在したことを考えると、不思議なつながりを感じます。そして、いぬゐという言葉は、フランス語で<前代未聞>という意味ですが、この言葉の通り、前代未聞な地域、オリジナルな地域となるよう願っています。

 そして私個人にとって、このプロジェクトの大きな意味は、音楽においては 理論家であった私が、地域作りでは現場の実践家(プレイヤー)に転換したことです。プレイヤーとして、今後食のみならず、他のさまざまな問題に順次取り組んでいくつもりです。

稲毛の団地 NPOが地元産直野菜販売

一新塾第20期生の山本直史さん。千葉市議会議員として、NPO法人「にこにこ稲毛」の代表として、市民が立ち上がることによる社会変革に邁進されていらっしゃいます。このたび山本さんが代表を務める「にこにこ稲毛」の取り組みが、8月8日(日)の千葉日報に紹介されましたので、共有させていただきます。

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空き店舗活用で街を活性化
稲毛の団地 NPOが地元産直野菜販売 〜カフェ併設、パートで雇用創出も 

稲毛区柏台の団地で、撤退したスーパーの空き店舗をNPOが活用、新鮮野菜などを扱う店をオープンした。
市内農家と提携したり、自らも耕作放棄地で作物を栽培。高齢化が進む団地の“買い物難民”対策や地元住民をパートタイマーに雇用するなど、農業を軸に「街を活性化する新しい社会貢献のプロジェクト」が始まった。

 京葉道路沿いの稲毛ファミールハイツは1973年に完成。約1300世帯、3千人が暮らすが、団地の“宿命”ともいえる高齢化が進んでいる。
 3年前には団地の一角に入居していた大手スーパーが撤退。客用の駐車場がない同店に駐車違反の取り締まりを強化した法改正が打撃となった。
 至近の買い物場所を失った住民のために立ち上がったのがNPO法人「にこにこ稲毛」(山本直史代表)。空き店舗を買い取り新鮮野菜などを扱う店を7月にオープンした。

 手作り感漂う店内には市内の契約農家から仕入れた取れたて野菜が市価より割安で並ぶ。近隣住民30人には、店員として働く場を提供した。
 旬の野菜を使った総菜やデザート、イタリアンを提供するカフェもユニーク。食育指導士や専門シェフが監修するメニューに住民が憩い始めた。
 さらに、店前の都市計画道路予定地が財政難から当面着工の見通しが立たないことから市と交渉、45台分の駐車スペース確保にも成功した。
 新たな試みはまだまだ続く。NPOでは市内の耕作放棄地のうち緑区の6600平方メートルを借り受け自ら作物を栽培、収穫第1号のトウモロコシが間もなく加わる。

現在の来店客数は2〜300人。カフェに友人を連れてきたハイツ住民の女性(70)は「近いし、安心して来られるのがいい」と開店を歓迎する。
NPO事務局長の前川琢也さん(42)はコインパーキング会社の元役員。「素人集団で始めたが、問題点も整理されてきた」とまずまずの手応えを明かす。
                 (2010年8月8日 千葉日報 14面より

『 地元大田区を元気にする合同会社VALNを設立 』

一新第21期(07年11月08年11月)にて、「ギャングエイジ・ シェアリング・ キャンプ(GASC)」プロジェクトを立ち上げ、地元の大田区の現場に 飛び込まれた菊地真紀子さん。2009年6月には大田区の「子育て応援わいわい EXPO」の実行委員長として、地域の様々な立場の方との素晴らしい協働を果たされました。
 こうした活動の延長線上で、2010年、菊地さんは地元の同志とともに合同会社VALNを設立されました。大田区の可能性をとことん引き出し社会変革に邁進し続ける菊地さんの熱きメッセージをぜひ、ご一読ください。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■    『 地元大田区を元気にする合同会社VALNを設立 』
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■■■■                    一新塾第21期 本科
■■■■■□                       菊地 真紀子


 今年の4月1日に大田区で合同会社VALNを設立しました。NPOでもなく 株式会社でもなく合同会社(LLC)という形にこだわったのは、自立した 個人が専門スキルを活かし協同していきたいと考えたからです。めざすビジョン は循環型ネットワークで地域を変革し、新しい価値創造と感動創出。一言で言えば地元大田区を元気にすることです。具体的には「産業変革で地域を活性し、ものづくり中小企業や学校を元気にすること」「働き方の変革をして地域の中で自分らしく働ける女性を増やすこと」「地域の産業をアピールして羽田から世界へ発信すること」。ソーシャルの視点が大きいネットワークビジネスです。

●現場に飛び込むきっかけ

  実は、一新塾の門を叩くまで、地域には自分の居場所はないと感じていた一人で、地域活動に全くといっていいほど関わっていなかった私ですが、21期生として「ギャングエイジ・シェアリングキャンプ」プロジェクトを立ち上げました。そして、チーム活動の現場として選んだのが生まれ育った地元大田区でした。小学校高学年の子どもの居場所をつくり、地域ネットワークで子育てをささえる仕組みをつくることを目的として現場に飛び込み活動をスタートさせました。活動の一環として地域で支える子育てイベントの実行委員長として区内を歩いたことで区の現状を見ることとなりました。


●「たくさんのもったいない」をなんとかしたい!

 多くの子育て中ママが自分のキャリアを活かして働きたいと望みながら、子どもを預けることができず断念している現状。出展者としてご縁をいただいたものづくり企業は世界に誇るすばらしい技術を持ちながら、それを発信することなく宝の持ち腐れになっていること。ものづくり高校に通う子どもたちが、ものづくりを誇りに思えない、夢や希望が持ちにくくなっている現状。大田区はハブ化する羽田空港、大田市場があります。様々な文化遺産や観光資源、黒湯温泉や浜辺公園など地域資源がたくさんありますがどうも宣伝や広報が行き届いていない。そこに暮らす人たちさえそれに気づいていないのです。

  こういうたくさんのもったいない!をなんとかしたいという思いがVALNの設立につながりました。女性が地域の中で子育てしながら仕事ができる、ものづくりの技術に女性の感性を活かす。地域のことは地域で暮らす人が解決するのが一番、自分たちの感性で大田区の良いところをアピールする。地域変革をめざし起業を決意しました。


●ビジョンありきで現場主義を貫く

 「頭で考えるだけでなく、まず行動する」「当事者の生の声を聴くこと」
一新塾のチーム活動を通して身に染み付いたことです。データは大切ですが、まず現場ありきで直接当事者の声を聴いて問題解決をしていくことを学びました。誰かがやってくれるのではなく、自分で解決する覚悟をすると助けてくれる支援者や仲間が広がりました。一生懸命な人を支援しあうことの尊さも一新塾で学びました。

  イベントで協同した仲間と昨年末に731名の子育て当事者に「子ども手当てどう思う?」というアンケートを行い、報告書にまとめシンポジウムを開催しました。社会全体で子育てを支える必要性を痛感するとともに、現場主義の大切さを改めて認識しました。何よりも当事者の声がマスコミを動かし社会を動かし政策に影響を与えたのです。そのとき一緒に活動したメンバーもVALNのスタッフとして参画してくれています。

 子育てや教育 女性の就労と産業の活性 様々な問題を縦割りではなく、緩やかなネットワークでつなげ、風穴をあけていきたいと思います。実際にボランティアではなく事業として継続していくためにはシビアなビジネス視点が不可欠です。まだまだ未熟で課題山積みではありますが、現場主義を貫きながら1つ1つクリアできると信じ活動しています。

 現在一新塾の運営スタッフをさせていだいていますが、塾生の時にはがむしゃらにこなしていた課題が、実は、ビジネスの場で活きてくる重要なメソッドなのだと理解できました。まずビジョンありき。「リーダーは教育者」、「相手の志に敬意を持って接する」いつも肝に銘じています。立ち止まりそうになるときに、頭を整理したいとき、6つの箱を今も回し続けています。


●ボトムアップで変革を!

 時代は確実に変わっていると実感しています。トップダウンで何かを変えるのではなくボトムアップで変革を起こしていける新しい公共、多くの人が自分たちの手で社会を変えようと活動をはじめています。地域の活動をしていると政治の世界へのチャレンジに誘われることがありますが、今は一市民として地域活性ビジネスの世界で実績を作ることが目標です。いつまでも傍観者ではなく当事者でありたいと思います。

※合同会社VALN http://valn.net/

卒塾生の森本栄美さんがラジオ出演!(KBS京都ラジオ)

24期「大阪」地域科卒の森本栄美さん。4月に「えみこころ」を起業され、
“農山漁村の加工品”を“都市の商店街”で出張販売する活動を開始され奮闘中です。

このたび、森本さんより6月22日にKBS京都ラジオ出演されるとの
ご連絡をいただきましたので、取り急ぎ共有させていただきます。
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 6月22日(火)の午前7時15分〜 約12〜3分間
 KBS京都ラジオの情報ワイド番組「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」の
 「噺の朝ごはん」のコーナー
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森本さんには「一新塾ニュース第418号」にて、このたびのチャレンジにいたるドラマをつづっていただきました。

一新塾講師に飯島博氏

6月16(水)には、日本を代表する社会起業家である飯島博氏(NPO法人アサザ基金代表理事)に一新塾にお越しいただきました。

「アサザ・プロジェクト」は、“湖と森と人を結ぶ”市民型公共事業として、のべ20万人もの人々が参加し、200を超える学校を結びつけた壮大な社会実験となっています。

飯島さんの徹底した現場主義から生み出された突き抜けたビジョンと世界観に触れることで、私たち自身が行動を起こすヒントを得ることが今回の講義のねらいです。

そして、今年も、既成概念を打ち破るご講義をいただきました。
これまでのものの見方から脱し、「空間を読みかえる」ことでこんなに可能性が拓かれるのかと、驚きの連続でした。

また、飯島さんがモヤモヤしたものを問い続ける中で、遭遇したガンジーの塩の道の話。ガンジーのばかばかしくも創造的な行為で多くの人たちを動かしてしまう計り知れない可能性を見て、

「子ども時代のあのときの自分が生きている!」

との実感があったとのお言葉はとても胸に響きました。
まさに答は自分の中にあるのだということに気づかせていただきました。

私たちも自らの根っこをしっかり掘り下げながら前進してまいりたいと
志を新たにさせていただきました。


『“農山漁村”と“都市の商店街”の橋渡しになる! 』         〜天下の台所と言われた大阪から全国の方へ伝えたい〜

今回は、このたび一新塾第24期を卒塾された地域科の森本栄美さんのメッセージをお届けいたします。森本さんは、4月に「えみこころ」を起業。“農山漁村の加工品”を“都市の商店街”で出張販売する活動を開始されました。

先日5月25日の『日本農業新聞』でも、森本さんの奮闘が紹介されました。

そして、6月9日(水)から11日(金)まで大阪市東住吉区の「駒川商店街」
での出張販売が決まりました!
「駒川商店街」は、ちょうど1年前、森本さんが最初に視察に訪れ、プロジェクトを立ち上げるきっかけとなった商店街でもあります。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■     『“農山漁村”と“都市の商店街”の橋渡しになる! 』
■■    〜天下の台所と言われた大阪から全国の方へ伝えたい〜
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■■■■               一新塾第24期「大阪」地域科
■■■■■□                       森本 栄美

集落の核である総合商店の相次ぐ廃業、生産加工者である農山漁村の方たちが、売り先がなく困っている現状、また、まちの公営住宅に住む高齢者が、中小の小売店やスーパーの閉店により、買い物に不自由している現状。消費活動や流通の郊外化が進むなか、孤立していく農山漁村と都市高齢者。

両方とも疲弊している現実を知り、お互いが支え合い、再生するための橋渡し役ができればと、“農山漁村の加工品”を空き店舗が目立つ“都市の商店街”で販売する活動を始めました。
そして、今年35歳を迎える節目の4月に「えみこころ」を起業しました。
歩いて買い物ができる、都市の新しい「産直」、そして生活者起点の新しい
流通のカタチを築いていくために。

●これまでの人生

小・中学時代に、共働きで家族団らんの時間が持てなかったこと、祖父母の介護の手伝いができなかったこと、高校時代に優等生だった友人たちとのギャップに、いつしか強いコンプレックスを抱くようになっていました。

社会人になっても、「人からよく思われたい、負けたくない」という意識が
強く、他人の評価ばかりを気にして、転職を重ねていきました。最初に就職したのは、外資系の化学メーカー。次に、工務店で内装の現場監督、設計事務所で内装デザイン、高校での情報実習助手、生協と様々な世界で学ばせていただきました。

しかし、「本当に没頭できることを見つけ、今までの弱い自分を克服したい。刺激し合える仲間がほしい」との思いが湧き上ってきました。そんなときに一新塾を知りました。入塾してからは、日常生活のなかで楽しみ・喜びを見出すこと、人の長所を探すのが好きだったので、この良い面を活かせないかと考えていました。また、長い間建築業に携わっていたこともあり、まちづくりに強い関心がありました。

●目覚めた自分

一新塾に入って第1回目の定例会、大阪市東住吉区の駒川商店街の視察でした。小さい頃に行った商店街の活気がそこにはありました。商店主の威勢のいい掛け声やお客さまとのやりとりを見て、こちらが温かい気持ちになり、スーパーにはない、商店街ならではの人と人とのつながり、対面販売の魅力を再認識しました。

また、勉強会のなかで、まちづくりの観点から地元のシャッター街以外にも地方が抱える現状を知りました。特に、物流が途絶えたため業務用の冷蔵・冷凍庫で食糧を備蓄せざるを得ず、プロパンガスも届かないので薪を使って生活している集落があることは、私にとって大変衝撃的でした。「買い物」というごく身近なテーマだからこそ、また対称的な活気のある現場を見たからこそ、地方の痛みがよりリアルに感じられたのかもしれません。

●プロジェクトの立ち上げ

買物客が商品を目で見て、商店主と対話をしながら、満足して買う。そんな当たり前のことができない今の「買いもの」事情。「商店街が負の遺産ではない!!」視察を終えて、商店街の良さを改めて感じた私たちは、
「日本の商店街を元気にする株式会社」プロジェクトを立ちあげました!

●商店街の現場に飛び込む!

今までで商店街は50ヶ所以上、商店は100軒近く、地元大阪を中心に
兵庫・奈良・滋賀、そして東は横須賀まで足を運びました。商店街を中心に、外部環境や行政が抱える問題、例えば財政難など根本原因を調べ、それぞれにあった地域ビジョンを立てていき、各地でワークショップを行っていきました。

そんななか、和歌山のかつらぎにある花園という集落で、片道2時間かけて市場に仕入れに行き、集落に住む人たちの日常生活を支えて、がんばっている商店主に出会い、心を打たれました。

かたや、地方にあるシャッター街。最も驚いたのは、シャッターを閉めた店
がどこも困っているわけではないという事実でした。「ものを置いたら売れる時代ならよかったが、このご時世、開けた方が赤字になるから」と。しかし、商売をやっていたことのある人なら、きっとお客さまの喜ぶ顔が見たいはず! 商店街の空き店舗で出張販売をするのは、そういう諦めかけている商店主に気付きをもたらしたい、という思いもあります。

●農業に関心を持った理由

ターニングポイントは、視察を通して、「商店街が元気=生鮮食品店がある」ことに気づき、八百屋そして農業に関心を持つようになったことでした。現場に行ってお話を聞き、山間部では関東などの平野部とは違い、作付面積が小さく、大規模な生産はできないものの、そのぶん農産物一つひとつに対する愛情が強いことを感じたのです。

それにもかかわらず、JAの統廃合が進むなかで、地域に支所がなくなり、取り残されていく集落、直売所のスーパー化、それに伴い増え続ける廃棄される野菜たち。ヒアリングを続けていくなかで、地域ぐるみで必死にがんばっている農産加工品に力を入れている生産者が増えてきていることを知りました。

●地方が元気になるお手伝いがしたい!!

「食」は暮らしの原点。天下の台所と言われた大阪から全国の方へ伝えたい思いがあります。「地方特産品」を軸に、地方の「売りたいもの」を都市の「買いたいひと」へ届けたい。商店街を核として、地方のストーリーのある商品に、ひとの温かなサービス(心)を込めて、都市での買い物をするひとに届けたい。農山漁村のチャレンジする姿勢を支援し、地方で産業がおこり、元気になるためのお手伝いがしたいと。

その思いが強くなったのは、宮津に仕入れ交渉に行ってからです。天橋立で有名ですが、観光客が激減しており、人口が二万人を切るという深刻な状況。そこで、水産業を元気にしようと、加工品に付加価値をつけ、都市の人に買ってもらうことで、売上を上げ、若い人の雇用を生み出したいとの思いを聞きました。なんと、異業種の工務店さんが、建築の知識を活かし、「天橋干し」を開発。「まちのみんなの生活水準が上がり、新しい家を買ってくれるようになるのが夢だ」と語る姿を見て、一層刺激を受けたのです。

●生活者起点の流通のカタチを目指して

生協で地域訪問をしていたとき、便利さを求める一方、運動がてらに、近所の人と買い物をするのを楽しみにしている単身高齢者が多いことを感じていました。また、私自身も都市での生活に慣れ、車を運転しないこともあってか、道の駅や大型商業施設など郊外型の買い物には、どこか違和感があったのです。

そこで、歩ける範囲で拠点を設けるために、大阪市内の商店街の空き店舗のほか、近くの住宅の軒先・駐車場・集会場・福祉施設・企業・マンション・公営住宅の敷地内などでも販売しようと、自転車で駆け回る毎日です。地域の方たちに対面でサービスをするのは、対話を通して、コミュニケーションが図れたり、ご用聞きや安否確認も兼ねられると思ったからです。

また、出張販売をしているなかで、リピーターの方も増えてきました。
今後は、さらなる利便性のアップのために、会員制度やステーション(商品の受け取り拠点)も考えています。

さらに、商店街を利用されている方には、買い回り品と地方特産品をセット
にした定期的な宅配なども、商店主と協働して行う予定です。
これらは、年明けに開設するアンテナショップと連携ができればと思います。

●私の人生のライフワーク

「大阪の森本です!」初めて電話をしたり、会いに行ったりするときの第一声です。これからも、農山漁村や商店街、都市で暮らす生活者のなかに飛び込んで、多くの人に出会い、活きた情報を届けていこうと強く思います。

いつか私が子供を持ったとき、心に熱い思いを持って、一生懸命に働く姿に、誇りを持ってもらえたら、さらには、次の世代を担う子供たちにも、この事業を通して、地方で働ける環境を整えていけるよう、まずは自分ができることから始めていく覚悟です。

私たちが老いたときに、家族や友人との孤立で寂しい思いを抱えても、
若い人たちが近くにいて話ができれば、元気はきっと連鎖すると思うから。

『 銚子市のまちづくりプロデューサーとして生きる! 』

このたび、一新塾第18期生の向後功作さんのメッセージをお届けします。

向後さんは、一新塾受講期間中に勤務先の銚子電鉄の経営危機に直面。ぬれ煎餅を買ってください!!電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」 との呼びかけに2週間で1万件の注文が殺到! 多くの市民を巻き込んでの 復活劇を最前線に立って奮闘された様子は、一新塾ニュースでも何度かご紹介 させていただきました。

(詳しくはぜひ、向後さんの著書『かんばれ!銚子電鉄 〜ローカル鉄道とまちづくり』日経BP社刊をご覧ください。)

その向後さんから、「第二ステージに向けて1歩を踏みだします!」との
ご連絡をいただきました。
銚子市のまちづくりプロデューサーとして新たな挑戦に向かう向後さんのミッション・ビジョン、ぜひ、ご一読ください!

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■    『 銚子市のまちづくりプロデューサーとして生きる! 』
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■■■■                   一新塾第18期 本科
■■■■■□                      向後 功作


この度、27年間勤務した銚子電気鉄道株式会社を退職しました。
20年前から考えてきたことを、実現するための1歩を踏みだそうと考えた結果です。

私が描いた銚子市のビジョンです。

●銚子市ビジョン

新しい観光「ニューツーリズム」でこれまでに銚子に無かった観光のスタイルを 根付かせようと考えています。そこから、個人や地域の利益を生みだすことにより、市民のやりがいを芽生えさせることが出来たら良いと思っています。

銚子の産物のおいしさを伝える人、まち歩きの楽しさを案内出来る人、伝統的な知恵を伝えられることを生き甲斐に感じられるお年寄りが街中に沢山観られることを、市民の笑顔と健康の元にできたらと思っています。株式会社いろどりのように。


●銚子市の現状

それまでの銚子は「生活に困らないまち」でした。
豊富な第一次産業や第二次産業に支えられて衰退の危機感の感じ方に世代の差が大きくありました。

また各産業の中でも利害関係の主張により意見がかみ合わなかったり、一言で言えば「まとまりがない」状態でした。現在、中心市街地は商店街機能が著しく減退し人口も7万人を割り込み、観光客も減少しています。

かつて、大いに賑わいっていた頃の銚子には、資本家を中心にプロデュースする人たちがいましたが、現在では行政依存が大きく、プロデューサー不在の地域です。


●地域との密接な連携の必要性

22年前運転士から、鉄道業務を管理する部署へ異動となりました。小さな会社ですから営業から設計・開発・申請、実行、検証など全てのことに関わりました。また同業の鉄道会社の担当者と意見交換をする機会も多く、「地方の一事業者だけでやっていくことは無理がある、共同でおこなうことや、同じ目線で補い合うことでもう少し、コストと労力のかけないでやっていけることがあるのではないか」と考えるようになりました。

その後、銚子市内でいくつもの市民活動に参加させていただきました。地域との密接な連携の必要性の重要さを強く意識するようになり、そこにのめり込めばのめり込むほど、会社での業務をしながら地域の活性化や、地方鉄道の存続維持の問題に関わることに時間不足を感じるようになりました。


●プロデューサーへの決意!

そして10年ほど前から、「家族に会社を辞めてやっていきたい」意志を伝えました。銚子市世紀越え事業の市民企画委員として、官民一体の事業に参画させていただいたことが転換点でした。「銚子市の活性化は行政主導でなくても、市民主体でも可能」なんだと、考え方を進める切っ掛けとなりました。

そして、40歳の誕生日を迎えようとしていた頃に、千葉大学工学部都市環境システム学科の社会人枠のことを知り、「まちづくりについてきちんと学ぼう」と意を決して入学しました。

千葉大学での4年間で、まちづくりについては考えたり行動したりいろいろな知識や経験を持った多くの人たちに出会いながらも、世代や経験の違いなどの様々な要因により、まとまらないプロジェクトやかみ合わない意見の行き違いが、それまでの銚子と被って見え、調整役としてプロデューサーが必要なんだと確信しました。

そして、それは誰かを待つことではなく自分でやらなければ道は開けないと考えるようになり、プロデューサーとなる決意をした上で、自分の周囲の人たちや、地元の県会議員などにも意志を伝えてきました。


●一新塾との出会い

私は、まちづくりプランナーやコンサルタントとして活動するのではなく、銚子というフィールドの中で、具体的に市民と共に働くプロデューサーとして活動していくことを目標としました。

そんな折り、一新塾第4期生の(株)ライトレール代表取締役の阿部等氏と出会い、一新塾の存在を知り研修室のドア叩かせていただいた訳です。
さっそく、自己実現について足りないものを見つけたくて、そのきっかけに
なればと入塾させて戴いたことを昨日のように思い出します。


●銚子電鉄の危機を乗り切る

入塾後、当時の勤務先であった銚子電鉄の危機を「ぬれせんべい」の販売で乗り切ったことは、全国的に知れ渡ることとなりました。そのことが切っ掛けで知り得た人達はとても多く、今の私を支えてくれている宝となりました。あの危機を乗り切ったことによって、それまでに関わった人たち、その後に関わった人たちとの絆はさらに強くなっていきました。そしてその最中でも、私は銚子電鉄を辞めてまちづくりプロデューサーへの志を口にして、今日までの準備をしてきました。


●見えてきた私の進む道

明確にプロデューサーを目指すと決めたころから、観光立国に向けた政策も動きだし、観光庁が設立されました。そして、私の進む道として見えてきた
のは、銚子市の「ニューツーリズムによる観光によるまちづくり」と「地方の鉄道沿線の活性化」のプロデュースです。さらに、地方鉄道が連携し共同で事業を進めることでコストダウンを図ったり、PR力を拡大しつつ地域鉄道として地域利益に貢献できる鉄道経営に関わらせて戴くことです。


●「ニューツーリズム研究会」「一般社団法人交通環境整備ネットワーク」を立ち上げ!

地元銚子での活動の基盤は、5月に入ってから市役所との関係づくりに努めると共に、地元の有志の皆さんと「ニューツーリズム研究会」を立ち上げて動き出しています。

地方鉄道事業へのアプローチとしては、昨年4月に交通ジャーナリストや
国土交通省のOB、地方鉄道数社の社長、そして大学関係者や一般市民の皆さんに参加していただいて一般社団法人格を取得し交「通環境整備ネットワーク」を設立し、活動を始めていました。地域鉄道フォーラムや鉄道茶論の開催と、学生を対象としたセミナートレインを事業として行いました。

いまこうしてスタートラインに立った段階ですが、しっかりとした走りを
イメージして第一歩を踏み出していきたいと思います。

地域を元気にするツーリズム創造事業

激動の時代にあって自らの人生にじっくり向き合い、今後の人生設計に思いを巡らせていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?

激動の「社会の現実」に「自分の人生」を投げ入れることで、化学変化が起こり“第2の人生”に向けての道が拓かれる方も少なくありません。

舞台も「業界」から「地域」に乗り換えるなど、縦割りを超えて広い世界を展望して、新しい生き方へ向かう、個々の実験が始まっています

今回は第25期「大阪」地域科の吉見精二さんのメッセージをお届けします。吉見さんの人生の歩みと熱き思い、ぜひ、じっくりお読みください。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■ 『地域を元気にするツーリズム創造事業がライフワーク 』
■■    〜旧余呉町の地域創造型観光プロジェクトの取り組み!〜
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■■■               一新塾第25期「大阪」地域科
■■■■    (有)地域観光プロデュースセンター代表取締役社長
■■■■■□                     吉見 精二


●私のこれまでの人生〜会社人間から早期の乗り換え

私はいま66歳です。会社を早期退職して10年が経ちます。
ジェイティービー在職時代は国内旅行の企画商品づくりと販売促進の仕事が長く、沖縄にも駐在し、地域の旅行素材を商品化したり誘客キャンペーンを全国に仕掛けたりするプロデューサーの仕事をしました。いまでいう着地型観光と呼ばれるビジネススタイルの草分け・元祖を自負しています。そのころの沖縄は本土復帰10周年を迎える頃で、JAL・ANAがジャンボ機を飛ばし、激しく競い合うことで沖縄観光が上昇曲線に乗っかった時代です。


●会社時代の私の誇り

当時はオフだった冬の誘客対策に「暖然沖縄」キャンペーンを企画しました。その時、なかでも、地元住民の協力を得て「沖縄伝統芸能の夕べ」は、現在もジェーティビーが誇る「杜の賑わい」沖縄版の原型として繋がっています。

本来は二人か四人で踊る伝統芸能を広い舞台一杯に大勢で登場させる試みは前代未聞でした。これまで琉球舞踊は研究所は300もあり競い合う間柄で一緒に登場することは無かったからです。有名な大先生方を集めた企画会議で熱く語り説得してやっとの思いで開催にこぎつけました。


●会社人間から社会的人間に

会社を早期退職する動機は、55歳を境にして自由奔放に生きたいという気持ちが強かったからです。「夢と棲む人生を送ります」という挨拶状を送って自由の身になりました。始めは趣味の陶芸で悠々自適の陶芸人生を送ろうと、信楽に伝統的な穴窯を築いて作陶と陶芸教室の講師をしていました。

ある時、観光振興セミナーに参加して聞いた「手垢のついた観光」という講師の語るフレーズに衝撃を受けました。旅行会社の行うマス的旧来観光のことを言うのです。これからの観光は地域づくりと一体になってこそ意義有るものになるということなのでしょう。私は、すぐさまそのことについての勉強をしました。ドラッガーを読んでネキスト・ソサエティだとか、NPOであるとかに大いに関心を深める機会にもなったのです。

そして、滋賀県が主宰する「おうみ未来塾」に入塾し、滋賀県中のNPO団体や面白い活動をしている人材と交流を深めたことが、地域プロデューサーを目指した活動を始めるきっかけになったのです。また、機会あるごとに行政の人たちとも意見を交わす関係をつくってゆきました。このことが、自分の人生の転換期といえます。


●イノベーション(新たな価値創造)を期して一新塾に入塾

5年前に、有限会社地域観光プロデュースセンターという会社を創業しました。地域づくり型ツーリズムの手法で地域を元気にしようと提唱しました。
目指す事業は、おもに農山村地域の住民やNPOが地域のプログラムや旅行商品づくりに主体的に取り組んでもらい地域に交流人口を増やすというものです。さらに、コミュニティビジネスを興し経済的に少しだけ豊かになり、また、自分達が主役になって交流事業を行うことで地域への誇りを取り戻すというものです。そのプログラム化、旅行商品化、ツーリストの誘客をコーディネートがビジネスモデルです。言い換えれば、主体的な市民による地域の元気再生プロデュース事業です。

しかし、全県的に啓発フォーラムなどを何度も自費を投じて実施してきましたが、なかなか活動の広がりに火がつきませんでした。あきらめず、どう展開するかが課題となっているときに、思い立って一新塾に入塾することにしました。

いままでの自分は、自分のミッションにこだわる余り準備過剰でしたが、相手方の地域への踏み込みが遅速と不足していたと謙虚に反省するところからスタートしようと考えました。

そして今後は、支援をしたい相手方の地域のホンネが聞くことに本気で取り組みたいと思いました。さらに、特定の地域を選び、一人でなく多彩な人たちと応援プロジェクトを組成して、「着地型観光」の住民主体によるモデル事業を実現させ、いずれは、他の地域へも水平拡大することを目指すことにしました。

一新塾では、「地域を元気にするツーリズム創造事業のサポート」をテーマにしたプロジェクトを立ち上げて、この指とまれと同志を募ることにしました。メンターの力を借りてイノベーションすることにチャレンジしているところです。


●プロジェクトの現場は高齢化する過疎化地域を選ぶ

プロジェクトの対象地域として、今年の1月に長浜市に吸収合併された人口3900人の旧余呉町を選びました。そして、元気な高齢者・女性の集う住民グループ「また来たい余呉を作るアイディア会議」の関係者と親交を深めることにつとめてきました。

活動推進の中心人物は中山克己さんです。もとは学校の先生で退職後地域で活動を始められました。中山さんは体験プログラムの企画・募集によって地域に交流人口が増えることをプロデュースしたい。それにより地域が元気になることが目標にされています。


●一新塾の3月現場視察で旧余呉町を訪ねる

現場視察のプログラムは、老舗の水飴屋さん、古民家を再生した子ども小劇場、そば道場で手打ちそばの昼食と地元交流。古いお寺の囲炉裏端で白玉ぜんざいを頂き、その後、地元メンバーの方々との交流の機会を設ける、という日帰りプランでした。

塾生との交流・座談会と懇親交流会には、地元から10名以上の人が参加してくださり、塾生との和気藹々の談話が交わされました。質問も飛び交っていました。初めての交流にはとても見えない懐かしい光景でした。


●現場視察参加者と旧余呉町について検証

参加者は7名があり、終了後、真摯な意見を聞くことができました。感想・意見 の内容は、「現場に出て自分で見る、話を聞く、ことの大切さに改めて気づきました。行くまでの仮説と現実との違い、つくづく実感しました」。「余呉の皆さん、元気でしたねーこちらが力をいただきました(笑)」と、Sさんから。 また、「地域に行くとやっぱり人が一番面白いと感じました。お寺の奥さんには圧倒されました。話し上手で気遣いもできて、素晴らしい方」。「高齢者の方が若い人をもっと立ててあげる配慮があっても良いと思いました」。という声をFさんから。そして、「教職を退職された方や、元気な奥様方がまちづくりに積極的に参加されていて、人材にもめぐまれていますね。」という感想をOさんからも頂きました。


●現場視察の交流会で聞いた地域への思い・姿勢

一方、地元の人たちの声として印象に残ったものとしては、「うちらの地域には何にもない。けれど、なんでもあるんや!」という意味深い嬉しい発言もお伝えしておきます。また、長浜市余呉支所の中山伊佐美さんからは、「地域で地域の 人たちが何かやろうとした時は、行政が絡まないことには実現しない。これからも。 可能な限り協力してやっていきましょう」という発言があり、合併後も気持ちで支援するとの気概を感じました。


●地域の「現状の問題」、「社会ビジョン」と私のアクション

いま、「社会ビジョン」を官民が共有し行政が主体的市民に協働を委ねることで、 地域課題の解決の最初の一歩となるはずです。
私は、長浜市や滋賀県の自治振興、農村振興、出先の振興局にもタイムリーに提言し、 旧余呉町を応援してゆきます。


一新塾第21期生の菊地真紀子さんが中心となって         女性ネットワークで合同会社「LLC. VALN」を起業

 一新塾第21期生の菊地真紀子さんが中心となって、大田区の
 女性ネットワークで合同会社「LLC. VALN」を起業されました!

 本日、2010年4月9日の「羽田経済新聞」にて紹介されました。
 ぜひ、ブログ読者の皆さんに共有させていただきます。

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 「大田区の女性ネットワークが起業
   〜羽田国際化も念頭に地域資源をマーケティング」

 大田区の主婦を中心とする女性ネットワークが4月1日、ものづくりの技術などの地域資源のマーケティングとコンサルティング業務を多角的に行う合同会社「LLC. VALN」(大田区山王2、TEL 090-1509-4112)を設立した。

 代表の菊地真紀子さんらが中心となり、「地域の課題は地域のニーズ(需要)と地域のシーズ(強み)を知る地域のバリュー(女性の感性)が解決できる」という理念の下、「東京都地域中小企業応援ファンド」の助成を受けて起業。地域の課題を分析し、「ものづくり」を核に中小企業・教育機関・行政・助成と若者ら市民による「持続可能な産官学連携の循環型ネットワーク」の構築を目指すという。社名の「VALN」は、理念である「地域ニーズに価値で応える」を意味する「Value Applied Local Needs」の頭文字を取った。

 今後の具体的な活動としては、すでに「大田ブランド」として認知されている地域発の商品の販促・広報、子育てをする女性らが家にいてもスキルを生かして起業するできる環境の整備、商店街の空き店舗を地域の子育て中の母親と子どもや、多くの人と物が集まる拠点に変える試み、オリジナル商品の企画開発・販売などを予定する。「大田ブランド」の展示販売場所としては今年10月に再拡張・国際化する羽田空港での展開も視野に入れる。

 菊地さんは「大田区には中小企業の技術、さまざまなスキルを持つ女性、アイデア豊富な学生、そして国際化する羽田空港がある。これらの資源をつなぐネットワークの力で地域の産業と人々の働きを変えていく。ものづくり企業に活力を与え、そのエネルギーを地域の女性に、地域全体に、そして全国に波及していきたい」と新たな事業のスタートに意欲をみせる。
(2010年4月9日「羽田経済新聞」          
        http://haneda.keizai.biz/headline/535/

失われた温泉地の誇りを取り戻せ!市民4万人 総ガイド計画

熱海を復活させるために、脱サラ起業した一新塾OBの市来広一郎さんがNHK BS-1「関口知宏のオンリーワン」に出演されました。
http://www.nhk.or.jp/only1/
まち歩き&体験プログラムの『熱海温泉玉手箱』実行委員長として奮闘している舞台裏の様子が紹介されました。

番組制作にあたっては、企画をつくり上げる過程やまち歩きのトライアル実施の様子など、1ヶ月半程度の取材を受けたとのことです。
また、3月19日には、熱海芸妓見番にて、番組の公開収録を行われたそうです。1ヶ月半の間に撮影したVTRを会場の皆様と一緒に見ながら、  関口知宏さん、豊田エリーさん、市来さんのトーク、さらに会場に集まった100名の市民の方々にコメントをいただきながらの進行でした。

▼番組名: NHK BS-1「関口知宏のオンリーワン」
▼内容:
失われた温泉地の誇りを取り戻せ!市民4万人 総ガイド計画
         〜市来広一郎 静岡県熱海市〜
▼放映日時:
2010年4月 3日(土) NHK−BS1 23:00〜23:25(前編)
      4月 9日(金) NHK−BS1  9:20〜 9:45(前編・再放送)

      4月10日(土) NHK−BS1 23:00〜23:20(後編)
      4月11日(日) NHK−BS1 17:30〜17:50(後編・再放送)
      4月16日(金) NHK−BS1  9:20〜 9:40(後編・再放送)

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