5月3日は「憲法記念日」。
憲法について考える映画をご紹介いたします。一新塾に以前講師に来られた映画監督ジャン・ユンカーマン氏による2005年の映画「日本国憲法」が本日より5月7日まで限定公開されています。2005年に一新塾でも上映会をいたしました。

なお、6月20日にはジャン・ユンカーマン監督の「沖縄うりずんの雨〜戦後70年、沖縄は問いかける」の映画が公開予定です。この映画の製作は一新塾理事の前澤哲爾氏です。

◆映画「日本国憲法」(5/3〜5/7限定公開)ジャン・ユンカーマン監督作品 https://youtu.be/N1gQtnDvMfM

◆映画「日本国憲法」HP http://www.cine.co.jp/kenpo/about.html

◆映画「沖縄うりずんの雨〜戦後70年、沖縄は問いかける」(2015年)監督:ジャン・ユンカーマン
沖縄慰霊の日にあわせ、2015年6月20日(土)より東京(岩波ホール)、沖縄(桜坂劇場)ほか全国順次ロードショー
http://okinawa-urizun.com/
 今回は2010年11月に一新塾第25期を卒塾された佐藤孝典さんのメッセージをお届けいただきます。佐藤さんは、一新塾で仲間と共に「子ども虐待予防プロジェクト」を立ち上げました。

2010年9月に開催したシンポジウム直後、当時の佐藤さんの振り返りの言葉です。
「本音を言うと、シンポジウム直前まで、私は虐待問題に関わることに恐怖心を抱いていました。私の発言や行動で、虐待被害者を傷つけてしまうこともあるからです。しかし、メンバーが自分の根っこの気持ちをずっと支え続けてくれました。
もうひとつ、シンポジウムでは虐待被害者の方が虐待体験を語ることになっていました。彼らが勇気を出して人前に立つというのに、私だけ怖じ気づいている訳にはいきません。そう思った時、私は初めて本当の覚悟ができました。」

 現在も子ども虐待予防に、日々、奮闘されている佐藤さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

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塾生活動レポート

「子ども虐待予防活動を通じた出会いと学び」

         一新塾第25期 東京本科 佐藤孝典

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●私のミッション

「もうこれ以上、子どもたちの傷つく顔をみたくない。
だから、子ども虐待を予防する仕組みをつくる」

 これが私のミッション(使命)です。

●子どもの虐待が社会問題

 今、子どもの虐待が社会問題となっています。
平成25年度、全国の児童相談所における子ども虐待に関する相談件数は、約7万件で過去最多となっています。子どもが死亡する悲惨なニュースも後をたちません。
平成24年度は、心中を含め90人の子どもが命を落としています。
(※参考:社会保障審議会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会の報告)

 死亡した子どものうち、7割が0〜3歳児で、その中でも0歳の赤ちゃんが最も多くなっています。
加害者の7割が実の母親であり、これらのデータからは、母親が実の子どもを殺してしまうという現実が見えてきます。

●親自身が追い詰められている

これだけのことを並べると、「幼い子どもを殺してしまう恐ろしい親…」と思われますが、実はこの背景には「親自身が追い詰められている」という現実も見えてきています。

●傷ついた少女に出会い

 私は9年前に、ある教育現場で、母から虐待を受け傷ついた少女に出会いました。児童相談所に保護されていく彼女は、安心でもなく、怯えているでもなく、すべてを諦めてしまっているかのような彼女の表情を私は今も忘れることができません。

一方で、この母は母子家庭であるため、夜も懸命に働き家計を支え、必死に生活をしていた姿もありました。母子で経済的にも困り、社会から孤立していくなかで、起きた虐待事件でした。

 その親子と出会うまでの私にとっては、子ども虐待問題は自分とは関わりのない事でした。しかし、目の前の親子を支えられない無力な自分への怒りをきっかけに、子ども虐待問題は身近な問題に変わっていきました。
子ども虐待問題解決のためには、福祉分野だけでなく、制度や、人々の意識の変革が必要だという考えにたどり着いたとき一新塾に出会いました。

●子ども虐待予防プロジェクト

 私は一新塾で、「子ども虐待予防」のビジョンを掲げ、このビジョンに共感してくれた3人の仲間と「子ども虐待予防プロジェクト」を発足しました。

 私たちは一新塾で教わった「現場主義」の考えの元、過去に虐待を受けた被虐待者の方々にインタビューをし、その方と協働してフォーラムを開くことができました。

ここまで書くと順調に活動が進んできているようにも見えますが、実際の私は、子ども虐待問題という深刻な問題に関わることや、主催したこともないフォーラムの実施などに対し、自分のような者が関わってよい問題なのかと、不安感や恐怖心を抱いていました。しかし、そのような不安も仲間とともに乗り越え、フォーラム実施という活動の第一歩を踏み出すことができました。

●解決のためのアクション

 一新塾卒塾後の現在は、東京都三鷹市や武蔵野市を中心に、いくつかの活動を行なっています。

(1)
「被虐待者や専門家と協働した子ども虐待予防啓発フォーラム」の実施。
毎年、全国児童虐待防止月間である11月に、子ども虐待予防啓発フォーラムを実施しています。
被虐待者や、虐待の専門家と協働して、当事者目線の子ども虐待の実態を伝えてきました。

(2)「子どもの居場所・鷹の子の部屋」活動
2011年8月には、子どもの居場所「鷹の子の部屋(※東京都三鷹市で実施)」を開始しました。
学習支援やレクなどを通じて、家庭に居場所のない子どもたちと、地域のボランティアとをつなげる活動でした。
行政機関とも連携し運営していましたが、資金難と人材難で運営が困難になり、現在は休止しています。

(3)都内6つの子育て団体との協働プロジェクト「ゆる育児キャンペーン」
2012年から、都内6つの子育て団体が協働し「ゆる育児キャンペーン」を開始しました。
「完璧じゃなくていい。誰かに頼ってもいい。ココロが軽くなる育児」をスローガンに、ゆるやかな形で子ども虐待防止の活動を行なっています。スウェーデン大使館(※1)と協働して体罰防止を目指したシンポジウムも行っています。

(※1スウェーデンには、体罰禁止の法律があります。「長くつ下のピッピ」著者のアストリッド・リンドグレーン氏が行った、ある文学賞の授賞式での、子どもへの暴力に関するスピーチをきっかけに体罰禁止となりました。)

(4)「あたらしい子育て学級」ワークショップ
2014年11月には、「あたらしい子育て学級」を開始しました。行政や病院で行われる両親学級では学べない、虐待の芽にもなり得る夫婦問題や、叩かない子育て方法などを、他の家族と交流しながら学びます。将来的には、行政と連携して地域のすべての親子に体験してもらえるような形を目指しています。

これらの活動が認められ、平成27年度には、いくつかの助成金を得ることもできました。
これを機に、活動での学びや、当事者とのつながりを活かした冊子づくりを行う予定です。
 子ども虐待問題はとても複雑で解決の難しい問題です。
私は虐待を予防的に解決するためには「支援」という形だけでなく、当事者同士が仲間をつくり、ともに学び、いっしょに困難を乗り越えて行くかたちが理想だと考えています。
子育て中の私たち自身も当事者として、仲間と学びあいながら、子ども虐待のない社会をつくっていけるよう活動を続けたいと思います。


★一新塾体験セミナー&説明会(東京・大阪・名古屋・仙台)
http://www.isshinjuku.com/03bosu/b2_sietumei.html

一新塾卒塾生の平尾清さん(24・26期生)が代表理事をつとめる「NPO法人子ども未来教室」の活動が雑誌「オレンジページ」(4/17号)で紹介されました。「被災地の子どもたちへのアンケートを実地&データー化し、教育などに役立てる」活動です。平尾さんは現在本業は大学教授、山形県酒田市の東北公益文科大学にてマーケティングを活用した地域づくりに取り組まれているそうです。


「これからの社会をどうつくっていくのか?東日本大震災以降、被災地で復興計画が検討されつづけています。ところが、そこにはいちばん大切な要素が欠けています。それは、10年後、20年後を担う子どもたちの意見です。」プロジェクトの趣旨を説明される際には、必ずこの話から切り出します。震災直後から被災地の子どもたちへの教育支援を続けてきました。


なお、この活動は2011年12月に任意団体から始まった「子ども支援フェイスブックプロジェクト」を2015年5月から名称を変更し「NPO法人子ども未来教室」となるとのことです。
詳細はホームページへ→http://class4m.org


 本日は3.11から4年になります。一新塾は長年講師をされていた2011年8月にご病気で他界された故・加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンターの代表理事を長年務めてきた)の志をお受けして、仙台地域科を始めさせていただきました。そのご縁で多くの東北の同志の方々とのご縁をいただいております。 


 今回は、2013年11月に第33期仙台地域科に入塾された同志の菊池信恵さんのメッセージをお届けいたします。菊池さんは、仙台市内で1988年創業の「ニャンワンクラブ」で、ペットホテル・トリミング・ペットタクシー・ペットシッターなどを手がけるペットのお世話専門の会社を経営されていらっしゃいます。


 菊池さんの市民プロジェクトは、仙台市内中心部の観光スポットを巡るバス「るーぷる仙台」に、一人で手を振ることから始まりました。
そして、菊池さんの思いに共感し、一緒にるーぷる仙台に手を振る仲間の輪が広がってきています。私も昨年、菊池さんと東北の同志と共に「るーぷる仙台」に手を振りました!


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  塾生活動レポート

        「るーぷる仙台に手を振ろう」
         〜受容する街をめざして〜

              一新塾第33期・35期 仙台地域科 菊池信恵

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●「るーぷる仙台」に手を振ろう

 私のビジョンは、仙台市内を循環し観光施設を巡る観光バス「るーぷる仙台」を見かけた仙台市民がこぞって「るーぷる仙台」に手を振り、仙台にいらした観光客を笑顔で歓迎する。手を振る市民に気が付いた乗客の方も手を振りかえし、一瞬の交流を楽しむ。そのような光景が溢れる街仙台にすることです。それは、お金のかからない観光事業であると同時に受容体験として、心に残る財産になると思うからです。


●「だれもが不安や悩みを抱えながら生きている」

 私たちやこれからを担う若い人々はとても厳しい社会状況に置かれています。
 格差や鬱、老後や教育や様々な悩みを抱えながら、人間関係においても「認めて欲しい!」「わたしを愛して!」と声なき声を発しながら、私たちは生きているのではないでしょうか。


 一人一人の胸の中に問題や不安を抱えつつも、時に人は旅をし日常を忘れ、また日常へと戻っていきます。「るーぷる仙台」は雨の日も元旦も休みなく観光客を乗せ、市内を巡り、走っています。家の前を走る「るーぷる仙台」を見ていると、乗客もそのバスとすれ違う私たちも同じように、何かを抱えながら生きている、走っていると見えるのです。


●「手を振るというささやかな勇気があれば」

 行きかうバスや、見知らぬ乗客に手を振るなんて、バカげたことかもしれません。誰もそんなことはしていませんし、それに手を振ろうといったって、結構勇気のいることです。でも、例えば九州新幹線の開業時のコマーシャルで、沿線の人々が走る新幹線に手を振っているのを見たとき、胸を熱くした人も多いのではないでしょうか。ちょっとした勇気、ちょっとした動機、ちょっとした道具、ちょっとした集まりちょっとした経験があれば、変わるかもしれないと思うのです。


●「仙台は嫌いだった」

 私の両親は戦後に北海道の函館から仙台に移り住みました。
 戦後の混乱期、親戚知人がいない仙台で、長姉が重篤な病気になり母は病院で付添い、父は会社を辞め次姉の面倒をみてと、とても苦労したようです。私はそのような家族の苦労を知らず生まれ育ったのですが、両親は思い出話の端々に仙台に来て苦労したと話したものですから、私のなかで「仙台は辛いところ」と擦り込まれてしまいました。両親は晩年多くの知人友人を得て、仙台にて和やかな生涯を終えたのですが、私は長年この擦り込みを消すことができませんでした。


 上手くいかないこと、人間関係で躓くと、仙台のせいにしていました。一方で私は子供の頃から、家の前を走る市電や、最近は「るーぷる仙台」に手を振っていました。35年前の初めての海外旅行の際、サンフランシスコでは、嬉しくてケーブルカーから手を振りました。すると大勢のサンフランシスコの人々が手を振りかえしてくれて、必ずやサンフランシスコを再訪すると誓ったのでした。旅先で乗り物に乗ったら手を振る ことは私の趣味になりました。5年前にサンフランシスコへの再訪が実現し、ケーブルカーに乗り手を振ると、またまた多くのサンフランシスコの人々が手を振りかえしてくれて、嬉しくて胸が熱くなりました。


●「60歳でも人は変わることができる」

 実は、私は一新塾へは物見遊山で入塾したのです。
 人と交わることが苦手な私が、ひょんなことから一新塾を知って、何のビジョンもないけれど、ただ頑張っている人をそばで見てみたい、1年だけ通ってみよう、と思ったのが動機です。


 しかし、森嶋さんの指導で真剣に「6つの箱」に取り組むうちに、私は子供のころからの生き難い疎外感が、電車やるーぷる仙台に手を振らせていたのではないか、と気が付いたのです。私は私自身に手を振っているのだ と気が付いたのです。


 それに気が付いて以来、私は私を許すことができ、心から仙台が好きになり、仙台を訪れる人々に仙台を良く思ってもらいたい、また仙台に来てもらえるように、私も何かしたい と思えるようになりました。60歳になってようやく自分に気が付き、変えることができたのです。


●「ひとりひとりに手を振る対象がある」

 この2月末、仙台では震災で石垣が崩れ通行止めとなっていた青葉城へと登る道路が、4年近くかかってようやく開通再開しました。それに伴い、今まで遠回りして青葉城へと巡っていたるーぷる仙台も震災前のコースに戻り、運行時間も平日20分間隔、土日祭日は15分間隔となり、街で見かける機会も多くなりました。


 私は毎日るーぷるが家の前を通るのを見かける度、いつでも取り出せるよう郵便受けにいれた手製の「ようこそ仙台に!」と描いた団扇をるーぷる仙台に向けて振っています。すると、気が付いた人が手を振ってくれて、一瞬の交流が楽しめます。


 時々、仙台の美しいけやき並木にあるメディアテークの前で、仲間たちが集まり皆で手を振っています。皆さんお手製の「ようこそ 仙台に!」と描かれた団扇や紙を持っていると、乗客の方もすぐに気が付いてくれ、バスと外が和やかに繋がり、経験してくれた方は皆楽しいねと言ってくれます。このしみじみとした喜びは、一瞬でも互いを認め合う受容の体験であり、お金のかからない観光事業でもあるのです。


 ひとつのアイディアとして、乗客の方には「こんにちは 仙台!」と描いた紙を車内から外へ振ってもらい、市民は「ようこそ 仙台に!」と描いた紙をバスに向かって振る というのはどうだろか、と思っています。


●「また来たい町、何度も来たい町」

 現場視察の際、「ようこそ仙台に!」と描いたTシャツを着たら何人かの観光客の方に声を掛けてもらえました。観光客も街の人と仲良くなるきっかけが欲しいのだと、大きな気づきを得ました。街の人たちとの交流が生まれると、その街の印象は強くなり、また来たい町、何度も来たい町となるのではないでしょうか。まだまだ仙台の街で手を振る光景は広がってはいませんが、仙台にて手を振りあうことの楽しさを経験していただき、その楽しさを地元へ持ち帰り、自分の場で手を振る対象を探す、そうして日本の各地へ広まると、日本も面白く変化するのではないかと夢想します。


 仙台にいらっしゃる際には、是非るーぷる仙台に乗車して仙台の街を巡ってください。お知らせいただければ、手を振ってお待ちいたします。
また、facebookへの応援も宜しくお願いいたします。
https://www.facebook.com/tewohurou/

 本日は3.11から4年になります。一新塾は長年講師をされていた2011年8月にご病気で他界された故・加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンターの代表理事を長年務めてきた)の志をお受けして、仙台地域科を始めさせていただきました。そのご縁で多くの東北の同志の方々とのご縁をいただいております。 

 今回は、2013年11月に第33期仙台地域科に入塾された同志の菊池信恵さんのメッセージをお届けいたします。菊池さんは、仙台市内で1988年創業の「ニャンワンクラブ」で、ペットホテル・トリミング・ペットタクシー・
ペットシッターなどを手がけるペットのお世話専門の会社を経営されていらっしゃいます。

 菊池さんの市民プロジェクトは、仙台市内中心部の観光スポットを巡るバス「るーぷる仙台」に、一人で手を振ることから始まりました。
そして、菊池さんの思いに共感し、一緒にるーぷる仙台に手を振る仲間の輪が広がってきています。

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  塾生活動レポート

        「るーぷる仙台に手を振ろう」
         〜受容する街をめざして〜

              一新塾第33期・35期 仙台地域科 菊池信恵

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●「るーぷる仙台」に手を振ろう

 私のビジョンは、仙台市内を循環し観光施設を巡る観光バス「るーぷる仙台」を見かけた仙台市民がこぞって「るーぷる仙台」に手を振り、仙台にいらした観光客を笑顔で歓迎する。手を振る市民に気が付いた乗客の方も手を振りかえし、一瞬の交流を楽しむ。そのような光景が溢れる街仙台にすることです。それは、お金のかからない観光事業であると同時に受容体験として、心に残る財産になると思うからです。

●「だれもが不安や悩みを抱えながら生きている」

 私たちやこれからを担う若い人々はとても厳しい社会状況に置かれています。
 格差や鬱、老後や教育や様々な悩みを抱えながら、人間関係においても「認めて欲しい!」「わたしを愛して!」と声なき声を発しながら、私たちは生きているのではないでしょうか。

 一人一人の胸の中に問題や不安を抱えつつも、時に人は旅をし日常を忘れ、また日常へと戻っていきます。「るーぷる仙台」は雨の日も元旦も休みなく観光客を乗せ、市内を巡り、走っています。家の前を走る「るーぷる仙台」を見ていると、乗客もそのバスとすれ違う私たちも同じように、何かを抱えながら生きている、走っていると見えるのです。

●「手を振るというささやかな勇気があれば」

 行きかうバスや、見知らぬ乗客に手を振るなんて、バカげたことかもしれません。誰もそんなことはしていませんし、それに手を振ろうといったって、結構勇気のいることです。でも、例えば九州新幹線の開業時のコマーシャルで、沿線の人々が走る新幹線に手を振っているのを見たとき、胸を熱くした人も多いのではないでしょうか。ちょっとした勇気、ちょっとした動機、ちょっとした道具、ちょっとした集まりちょっとした経験があれば、変わるかもしれないと思うのです。

●「仙台は嫌いだった」

 私の両親は戦後に北海道の函館から仙台に移り住みました。
 戦後の混乱期、親戚知人がいない仙台で、長姉が重篤な病気になり母は病院で付添い、父は会社を辞め次姉の面倒をみてと、とても苦労したようです。私はそのような家族の苦労を知らず生まれ育ったのですが、両親は思い出話の端々に仙台に来て苦労したと話したものですから、私のなかで「仙台は辛いところ」と擦り込まれてしまいました。両親は晩年多くの知人友人を得て、仙台にて和やかな生涯を終えたのですが、私は長年この擦り込みを消すことができませんでした。

 上手くいかないこと、人間関係で躓くと、仙台のせいにしていました。一方で私は子供の頃から、家の前を走る市電や、最近は「るーぷる仙台」に手を振っていました。35年前の初めての海外旅行の際、サンフランシスコでは、嬉しくてケーブルカーから手を振りました。すると大勢のサンフランシスコの人々が手を振りかえしてくれて、必ずやサンフランシスコを再訪すると誓ったのでした。旅先で乗り物に乗ったら手を振る ことは私の趣味になりました。5年前にサンフランシスコへの再訪が実現し、ケーブルカーに乗り手を振ると、またまた多くのサンフランシスコの人々が手を振りかえしてくれて、嬉しくて胸が熱くなりました。

●「60歳でも人は変わることができる」

 実は、私は一新塾へは物見遊山で入塾したのです。
 人と交わることが苦手な私が、ひょんなことから一新塾を知って、何のビジョンもないけれど、ただ頑張っている人をそばで見てみたい、1年だけ通ってみよう、と思ったのが動機です。

 しかし、森嶋さんの指導で真剣に「6つの箱」に取り組むうちに、私は子供のころからの生き難い疎外感が、電車やるーぷる仙台に手を振らせていたのではないか、と気が付いたのです。私は私自身に手を振っているのだ と気が付いたのです。

 それに気が付いて以来、私は私を許すことができ、心から仙台が好きになり、仙台を訪れる人々に仙台を良く思ってもらいたい、また仙台に来てもらえるように、私も何かしたい と思えるようになりました。60歳になってようやく自分に気が付き、変えることができたのです。

●「ひとりひとりに手を振る対象がある」

 この2月末、仙台では震災で石垣が崩れ通行止めとなっていた青葉城へと登る道路が、4年近くかかってようやく開通再開しました。それに伴い、今まで遠回りして青葉城へと巡っていたるーぷる仙台も震災前のコースに戻り、運行時間も平日20分間隔、土日祭日は15分間隔となり、街で見かける機会も多くなりました。

 私は毎日るーぷるが家の前を通るのを見かける度、いつでも取り出せるよう郵便受けにいれた手製の「ようこそ仙台に!」と描いた団扇をるーぷる仙台に向けて振っています。すると、気が付いた人が手を振ってくれて、一瞬の交流が楽しめます。

 時々、仙台の美しいけやき並木にあるメディアテークの前で、仲間たちが集まり皆で手を振っています。皆さんお手製の「ようこそ 仙台に!」と描かれた団扇や紙を持っていると、乗客の方もすぐに気が付いてくれ、バスと外が和やかに繋がり、経験してくれた方は皆楽しいねと言ってくれます。このしみじみとした喜びは、一瞬でも互いを認め合う受容の体験であり、お金のかからない観光事業でもあるのです。

 ひとつのアイディアとして、乗客の方には「こんにちは 仙台!」と描いた紙を車内から外へ振ってもらい、市民は「ようこそ 仙台に!」と描いた紙をバスに向かって振る というのはどうだろか、と思っています。

●「また来たい町、何度も来たい町」

 現場視察の際、「ようこそ仙台に!」と描いたTシャツを着たら何人かの観光客の方に声を掛けてもらえました。観光客も街の人と仲良くなるきっかけが欲しいのだと、大きな気づきを得ました。街の人たちとの交流が生まれると、その街の印象は強くなり、また来たい町、何度も来たい町となるのではないでしょうか。まだまだ仙台の街で手を振る光景は広がってはいませんが、仙台にて手を振りあうことの楽しさを経験していただき、その楽しさを地元へ持ち帰り、自分の場で手を振る対象を探す、そうして日本の各地へ広まると、日本も面白く変化するのではないかと夢想します。

 仙台にいらっしゃる際には、是非るーぷる仙台に乗車して仙台の街を巡ってください。お知らせいただければ、手を振ってお待ちいたします。
また、facebookへの応援も宜しくお願いいたします。
https://www.facebook.com/tewohurou/

 

今回は、2014年11月に一新塾第33期を卒塾された高橋斉さんのメッセージをお届けいたします。


一新塾33期チーム立ち上げプレゼンテーション高橋さん高橋さんは石川県出身。東京でビジネスマンとして日々ご活躍されながら、東京で誰もが地元を感じられ安心できる場所「東京を同郷で徹底的に楽しむ!DOKYO FESTIVAL」を立ち上げ奮闘されていらっしゃいます。昨年行った若い世代の石川県出身者が集まり、「とり野菜みそ」を味わいながら交流するイベントは、さっそく、地元の『北国新聞』(2014年10月27日掲載)にて紹介されています。

※1月31日のイベントも2月1日の北國新聞朝刊に載りました。


高橋さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

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塾生活動レポート


   「DOKYO FESTIVAL」

 〜東京を同郷で徹底的に楽しむ!

 石川県の若もん首都圏ネットワーク〜


    一新塾第33期  東京本科 高橋斉

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●東京で石川県を徹底的に楽しむ!


 私のビジョンは、県人会でもない・同窓会でもない、首都圏で20代30代を中心とした同郷のコミュニティをつくり出す事です。


 このネットワークが20代30代の同郷にとって、いつでも地元の安心が得られる場となり、そこには笑顔があふれ、新しく地元の事・世の中の事を学べ、同郷を中心として多岐に渡る人脈が広がり、人間的成長が達成されている。

そして都会の生活で挫折したり、健康を害したりする事が“地元のチカラ”で予防され、Uターンを考える時には、その成長が糧となっている状況を目指します。


●都会では

多くの地方出身者が 地元の安心感を求めている


 県外進学者の66%がUターンを希望しているというデータがあります。その希望理由の中には安心感を求めているものが多く存在します。東京には県人会をはじめ、出身校別の同窓会組織が多数存在します。しかしながら、どの組織も平均年齢が高く若者が楽しめる場になっていません。多くの若い世代にとって、既存の県人会等は敷居が高く、足踏みしてしまっているのです。


「私、関東に出てきて2年になります。けれども友達以外で地元の人に会った事がなかったんです。今日はたくさんの地元の人に会えて、すごく楽しい。」


 定期的に行っている郷土料理イベントで、20代の参加者が洩らした言葉です。地元を離れて東京に出てきた20代30代の気軽に集える場所が私たちにはなかなかないのです。


●身体を壊してUターンするケースがある


 地元を離れての生活は決して楽なものではありません。終電まで仕事をしながら、食事はコンビになんてケースもざらです。そんな不規則な生活の中で身体や心を壊してしまい、仕方がなくUターンするケースもあります。

対象者に行った「自分の食生活は偏っているか?」という問いかけに対し、ほとんどがYESと答えいています。特に独身者は顕著にその傾向がありました。安心できる地元を離れ、終電まで仕事し、飯はコンビニ・・・精神的にも身体的にも多くの負担を掛けながら、この都会で成長する為に生活しているのです。


●「ただただ帰りたい!」


 私は、石川県で生まれ、3歳から小学6年まで鹿児島県で暮らしていました。2年に一度の石川県への帰省を本当に楽しみに思っていましたし、遠く生まれた場所を誇りに思っていました。


就職は石川県を希望していたのですが、東京勤務となり毎日満員電車に揺られ「ただただ帰りたい!」と感じていました。相談できる同郷も同級生しかおらず、いつの間にか生活の基盤が都会に移ってしまっていました。


●地元婚


 転換のきっかけは結婚でした。いわゆる地元婚というやつです。同郷の安心できる場所が近くにある事で「ただただ帰りたい!」という気持ちがなくなりました。

その結果、いま居る場所を冷静に見つめ直すことができ、私自身が真に地元に貢献できる人財としてUターンする上で、その成長させてくれるリソースが東京には沢山ある事に気が付きました。


 また、彼女はずっと地元で過ごしており、当然ながら僕の知らない多くの地元の歴史や人脈を惜しげもなく披露してくれます。「あれっ俺、なんも知らんやん!」あれだけ好きで帰りたいと思っていた地元の事を私自身がなにも知らず、帰りたいと思っていた割に地元の知識も人脈も乏しい事に気が付かされました。

●「石川県を東京からおもしろくする!」


 県人会より敷居が低く、同窓会よりも未来志向になれ、東京で誰もが地元を感じられ安心できる場所「東京を同郷で徹底的に楽しむ!DOKYO FESTIVAL」を昨年立ち上げました。東京に住む石川県人(特に20代30代)と、そのお友達が一人でも気楽に訪れられ、石川を楽しみ、石川を学べ、石川の人脈をどんどん増やせる「DOKYO 

FESTIVAL」は「場所と人」「人と人」を繋ぎ合わせ、若者らしい「出会いの場」としての機能も果たしています。


 2014年プロジェクト立上げ初年度は手探りの部分が多い中、大きく以下の2つのイベントを実施しました。


●7月 運動不足解消!

「いいね金沢!大人のナイトハイキング in 高尾山」

●9月〜12月全4回 地元の野菜をいっぱいとって栄養補給

「みんなの夕食!東京でとり野菜なべを囲もう」


 イベントを通じて、地元企業からの協賛や地元紙への掲載をして頂くことができました。またその中で、2組のカップルが誕生すると言う嬉しいアクシデントにもつながり、人を結びつける“地元のチカラ”を再認識した次第です。また、フェイスブックページの開設に伴い、イベント記事への「いいね!」×10円を地元にふるさと納税させて頂くこともしています。これまでに¥7,709の納税を実施する事が出来ました。


 2015年はミッションを「石川県を東京からおもしろくする!」とし、首都圏内で開催される石川県とかかわる催事での人的協力・宣伝、首都圏在住の同郷者に対する支援・アドバイス(就職・Uターン・各種セミナー)、石川県と首都圏の間で“出会いのきっかけ”をつくるイベントなど実施していきます。また、北陸新幹線開業に向けて沿線5県(群馬・長野・新潟・富山)とのコラボイベントも予定しています。


同郷フィスティバルHP http://dokyo-festival.jimdo.com/


●一新塾体験セミナー&説明会予約スタート!

http://www.isshinjuku.com/


先週は社会活動家で法政大学教授の湯浅誠氏をお迎えし「貧困の現場から全員参加型社会をつくる」をテーマにご講義いただきました。

大学院の頃からホームレス支援活動を始めた湯浅氏は、2000年の頃から「貧困層が増えてきているな」と感じたそうです。政府や大メディアは「生活が苦しくなったのは自己責任だ」という見方が強かった中、どのようにすればこの問題を多くの人に分かってもらえるか。湯浅氏は「フードバンク」、「自立生活サポートセンター・もやい」の立ち上げ、『本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』出版など、現場主義で具体的解決策に着手されてきました。

2008年の“派遣切り”で貧困問題が表面化。「真面目に働いていれば、貧困者にはならない」との価値観が覆された中、反貧困ネットワークの事務局長として市民活動の最前線に立たれました。また、2009年から通算2年間、内閣府参与として現場のニーズを政策決定につなげるべく奮闘されました。

湯浅さんがやっていた炊き出しでは、生活困窮者の方も一緒に手伝ってもらうそうです。すると、かつて料理人だった方が素晴らしい活躍をしてくれたりするそうです。市民同士の支え合いの関係が、主体性を引き出し、眠っている可能性を引き出し、「支えられ手」を「支え手」に変えていきます。

公共事業・企業誘致といった外頼みでなく、中から何を生み出すか。障害者、シングルマザー、高齢者、ひきこもり、注目されてこなかった人財の眠っていた可能性を引き出す、この発想こそ、これからの日本を考える上で、とても大切な視点です。

さらに「民間は“濃いが狭い”行政は“広いが薄い”」と語られます。
「市民活動で、共感した仲間はどんどん増え本も売れたが限界もある。政策なら3割くらいの支持が必要。内閣府参与になって、訴え方が変わった!制度や政策は反対している人の税金も使うので、反対している人に向けて話す」とのお話、腑に落ちました。

≪講師プロフィール≫
湯浅誠氏(社会活動家・法政大学教授)
1969年東京都生まれ。東京大学法学部卒。同大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。1995年より野宿者(ホームレス)支援活動を行う。2003年より、生活困窮者にアパート入居時の連帯保証人提供と入居後の生活支援を行う「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」事務長。2007年より「反貧困ネットワーク」事務局長。2008 〜 09年年末年始の「年越し派遣村」では村長を務める。2009年から通算2年間、内閣府参与。著書に『反
貧困』(岩波新書、2008年、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞、第8回大仏次郎論壇賞)『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)ほか。


◆体験講座&説明会のご案内です
 今回は、一新塾第30期・32期を卒塾された峰松めぐみさんのメッセージを
お届けいたします。

2012年8月「子どもの未来創造支援プロジェクト」をリーダーとして立ち
上げた峰松さん。自分自身の子ども時代の経験を掘り下げ、地域の現場に
足を運び、仕事と両立しながら、2年にわたって一新塾で奮闘されました。
そして、プロジェクトで描いた企画を同志と共に「うらやす子ども起業塾」
として浦安市中央公民館に持ち込みました。

今年の夏休みに、いよいよ「うらやす子ども起業塾」をスタートさせた
峰松さんの志を生きる挑戦をお伝えさせていただきます。

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  塾生活動レポート

         「子どもの未来創造支援プロジェクト」
         〜うらやす子ども起業塾スタート!〜 
   
               一新塾第30期・32期 東京本科 峰松めぐみ

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●笑顔と希望にあふれた社会

 私が目指す社会は、子どもたちが将来への夢を語って実現に向けて行動
できる社会です。

「自分だって、やればできるんだ!!」
「一歩を踏み出せば願いは実現するんだ!!」
「将来こんなことをやってみたい!!」

と目を輝かせて笑顔になる子どもたちが増えれば、笑顔と希望にあふれた
社会が創られていくと私は確信しています。

 私が現場としているのは、縁あって2年半前から住んでいる千葉県浦安市
です。浦安の子どもたちが地域のために行動し、自分たちの考えたことを
実現していくことにより、浦安市民たちが笑顔になります。そして、チャレ
ンジすることの楽しさを知った子どもたちが大人になった時、夢と希望の
バトンはその子どもたちに受け継がれて浦安に主体的行動の連鎖が広がって
います。


●未来に希望を持って生きられない社会

 しかし現状としては、子どもたちは計り知れない潜在能力を持っている
はずなのに自分に自信が持てずになかなか行動を起こすことができていません。

「将来やりたいことがない」
「自分には特別な才能なんてない」
「本当は○○になりたいけど、○○になるための才能が自分にはない」

このような言葉を発する子どもたちが多くいます。しかも、悲しいことに
このような子どもたちは行動を起こせないことによりますます自分の殻に
こもってしまい「自分はダメな人間」という思い込みが増幅して未来に
希望を持って生きることができなくなっていきます。

 私が現場とする浦安市は東京ディズニーリゾートをはじめ埋め立て事業に
よって、近年急激に人口が増えた町です。朝夕の通勤ラッシュ時には駅周辺
に多くの人が集まっていますが、主体的に地域での活動に参加している人は
ごく少数です。子どもたちの行動範囲も「家庭、学校、習い事」の域を出ず、
新浦安で出会った中学生の女の子は「学校の成績が姉に比べて悪い=自分は
姉より出来の悪い子」という思い込みを抱えていました。


●根本原因

 現状の根本原因としてはさまざまな要因があると考えられますが、私は
子どもを育てる大人たちに一番原因があるのではないかと考えています。
子どもを育てる大人たちが自分に自信を持てずに満足する人生を送って
いなければ子どもたちも将来に希望を持つことができません。子どもたち
の未来に希望の光を射せるのは、私たち大人の「あんなふうになりたい」
と思わせる生き様だと思います。


●私の中学3年生の時の日記

「なんで私はこんなバカなんだ
 なんで私はこんなに無能なのだ
 なんでこんな人間なんだ」

 これは、私が中学3年生の時に学校や習い事で評価されなかった日に
書いた日記です。当時、漠然と報道記者になりたいという夢はあったものの
引っ込み思案で人前で話すことが苦手だった私。周囲と自分を比較しては
「自分は何でこんなダメな人間なのだ」と心の底でいつも苦しんでいました。


●「あなたの頑張りには感心します」

 私の努力を決して認めてはくれないと思っていた母親から、大学3年生
の時に興味のあった新聞社でのインターンシップ先を自ら開拓した時に
「あなたの頑張りには感心します」というメールが届いたことや、メディア
サークルの幹部として千人規模のイベント運営を成功させた体験により、
自分の可能性を少しずつ信じることができるようになっていきました。
そして、自分の殻に閉じこもらずに一歩を踏み出せば、夢は夢で終わらずに
形になるのだということを知りました。


●ありのままの自分で生きる

 周囲の人と自分を比較せず、ありのままの自分で生きていきます。
私は決して物事を器用にこなせる人間ではありません。しかし、もともと才能
に満ち溢れていて完璧に物事をこなせる人間などほとんどいないと思います。
不器用でも、あきらめなければ夢は叶うのだということを自らの生き様をもって
伝えていきたいと思います。


●うらやす子ども起業塾

 ビジョン達成の手段として「地域社会全体で子どものチャレンジを応援する
場を創る」と在塾中2年間に渡りプレゼンで言い続けていましたが、仕事と
両立しながら子どもを集める方策がわからず実現への道は困難を極めました。

 しかし、私が在住する千葉県浦安市の職員の方や私のビジョンに共感して
くれた仲間たちの協力を得られたことにより、ようやく来る今年の夏休みに
浦安中央公民館にて「うらやす子ども起業塾〜失敗を恐れずLet's  challenge〜」
を開催することとなりました。この起業塾は、小学5年生〜中学生を対象に
「浦安の人たちを笑顔にする」をミッションに自分たちで会社を作り事業を
行ってもらいます。これまでイベントを開催する際は参加者を集めるのに苦労
していましたが、公民館の職員方に浦安市のHPや広報誌に掲載してもらったり
するなどの協力をいただいて、定員10名を超える11名の子どもが集まりました。
どんな会社ができるのか、どんなチャレンジが生まれるのか、とてもワクワク
しています。


 ◎8月2日の「うらやす子ども起業塾」の様子が「市民の新聞 うらやす情報」
  に写真入りで掲載されています。
リヤカーをバトン代わりに、各地で歩行者を募りながら徒歩で日本一周を目指している一新塾第33期名古屋地域科の工藤雅生さんの取り組みが5月31日と6月21日の『日本海新聞』にてご紹介されました。

 以下、記事の一部をご紹介させていただきます。
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●リヤカーをバトンに日本一周 工藤さん(名古屋)米子入り
                 『日本海新聞』2014年5月31日 より

 リヤカーをバトン代わりに、各地で歩行者を募りながら徒歩で日本一周を目指している男性が30日、鳥取県内での歩行をスタートさせた。JR米子駅前から3日間かけてJR鳥取駅前まで歩く予定で、「楽しそう、と思ったら参加して」と呼び掛けている。

 男性は名古屋市北区の会社員、工藤雅生さん(41)。工藤さんは2011年4〜9月、東日本大震災のがれき撤去のボランティアに従事し、宮城県東松島市のがれきから壊れたリヤカーを見つけた。一緒にいた仲間と「これで日本一周したら」と盛り上がり、工藤さんがリレー形式でリヤカーを運んでもらう方法を発案した。

 リヤカーは11年10月に東松島市を出発し、仲間や賛同者の手を渡りながら太平洋側を南下。九州を折り返して今年5月には松江市付近に到達した。「知り合いが少ない西日本は自分が歩くことも多い。気が向いたときに歩いています」と工藤さん。鳥取市に到着後は北陸や北海道を経て来年11月ごろに東松島市へのゴールを目指す。
(以下略)

●リヤカーで日本一周を目指す男性
 一緒に引いて歩こう 交流楽しみつつ倉吉出発               
                                                     『日本海新聞』2014年6月21日 より

 リヤカーをバトンにして日本一周を目指す男性が、20日、倉吉市を出発した。男性は「できるだけ多くの人にリヤカーを引いて歩いてもらいたい。そこから生まれる交流は一人一人違う。多くの人にそんな経験をしてほしい」と呼び掛けている。(中略)

 鳥取県では5月30日にJR米子駅前をスタート。3日間でJR鳥取駅まで行く計画だったが、仕事のため倉吉市鍛冶町2丁目のコミュニティハウス大鳥屋にリヤカーを保管してもらい、いったん名古屋へ帰省した。

 この日はリヤカー市主催者の福井恒美さんがリヤカーを引くことに。工藤さんが地元でリヤカー市開催を考えていることもあり、福井さんからアドバイスを受けて出発。湯梨浜町のJR松崎駅まで約11キロを一緒に歩いた。(以下略)

※5月31日の記事につきましては、下記リンク先で全文を写真入りでご覧いただけます。
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  東濱さんとの最初の出会いは2001年、東濱さんが東京での大学時代。
その後、故郷の沖縄にUターンされ次のチャレンジを模索されているとき、
教師として学校現場で「学校と地域をつなげる教育の実践」するミッション
が明確になったときなど、人生の転機となる時期に、一新塾の扉を叩いて
いただきました。


 教師として、はじめての担任を持ちながら、中高生がパーソナリティを
務めるラジオ番組のプロデューサーを行っている東濱さんのご活躍を
ぜひ、じっくりご覧ください。


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   塾生活動レポート

         『沖縄から日本の教育を変える』

               一新塾第8・10・20・24・32期 東濱克紀

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「 私が一新塾を志望した動機は『主体的市民を育てる』という言葉に強く
 共感するところが大きかったからである。私はごく普通の大学生であるが、
 私の周りに関係する社会問題や、政治活動にもそれなりに関心がある。
 市民レベルでの活動にも興味があるが、それが直接社会を変える原動力に
 なっているように実感できることはなかった。


  市民一人一人がどのようにしたら社会をよりよく変えていくことができるのか。
 その方法手段を一新塾で学ぶことにより体得できるのではないか。その思い
 が一番の動機である。もう一つの動機は、大前研一氏がMITでの留学体験
 で一番学んだことである『とにかく自分の頭で考えること』をできるように
 したいと思ったからである。日本の教育では情報のインプット能力だけを評価
 して、アウトプット能力や情報を自分で判断する能力を鍛える訓練を行なって
 いない。一新塾に入学すればこの能力を伸ばすことが可能であるのではないか
 と思っている。」


 上の文章は私が12年前(2001年4月)に書いた一新塾第8期の志望動機のレポート
だ。当時の私は大学生で「日本の教育を変えたい」思ったが、具体的にどうしたら
いいのかわからなかった。当時大学生だった私は現在、今は地元の沖縄の学校現場
から教育を変える実践に取り組んでいる。私の現在の活動を紹介しながらこれから
の目標を宣言したい。


●アウトプット能力や情報を自分で判断する能力を鍛える訓練は?


 私は現在、地元の高校で数学教師をしている。今年で教師になって5年目になる。
進学校で大学受験を目指す生徒がいる数学の授業では情報のインプットが中心になり、
アウトプット能力や情報を自分で判断する能力を鍛える訓練というのは難しい。
「日本の教育を変えたい」と思っていても、学校という組織のなかで受験という
大きな制度があれば、何か実践をすることは不可能なのだろうか?


●二束のわらじを履こう


 私は高校教師の仕事をしながら、もう一つ行っている活動がある。
コミュニティ放送局のFMレキオで毎月第四火曜日の18時から、ラジオ番組の
プロデューサーを行っている。


「ゆるやかネットワークを作ろう」というタイトルで、学校と地域がつながれば
もっと学校生活が楽しくなるんじゃないかというテーマで行っている。
パーソナリティを務めるのは中高生で、2008年から5年間続けている。


●学校と地域がつながる出島を創ろう


 これまでラジオ番組では、中学校の生徒会長選挙をラジオで討論会を行い、
校長先生と東京都義務教育初の民間人校長の藤原和博氏をゲストに招いて、
インタビューなどを行ってきた。


 ▽どうする生徒会!? 会長選、8候補がラジオ討論(琉球新報2010年11月18日)
  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-170252-storytopic-7.html


 ▽夢のバトンインタビュー 我喜屋優・藤原和博(対談)
  http://junior.konan-h.ed.jp/detail.jsp?id=44894&pageStart=0&menuid=9863&funcid=3


 学校の中でアウトプットする訓練ができなければ、学校の外で作ればいい。
まずは自分が現場を持ち、実践をすることが大切だ。
「組織のなかでは無理」「制度があるからできない」ではない。
始めは小さくてもいいから、自分が始めることが重要だ。
コツコツと続けていけば、いつかきっと変化が来るだろうと信じている。


●まずは自分が発信すること


 今年は初めてクラス担任をしている。高校二年生のクラスだ。
学級委員長も自ら立候補して、学園祭などのイベントも生徒が主体となって運営する。
一人ひとりが社会貢献を目指して、自分の志をしっかりと立てて将来の進路を選択する。
そのような学級運営が理想だ。


自分の意見を発信してリーダーになる
「主体的市民」を育成したいと思っていても、そのような学級運営は現実には難しい。


まずは自分の意見を発信すること。それを目標にしている。
一学期は試行錯誤して、「自分たちで学級通信を発行しよう」と働きかけてみたが
5回しか発行されなかった。


それならば、二学期からは担任自ら生徒に発信することで刺激を与えていこうと
学級通信を毎日発行することにした。
二学期2013年9月2日からスタートして、学級通信と同じ内容をブログにも発信することにした。


 ▽高校の先生の学級通信
  http://sensei.ti-da.net/


まずは私が働きかけることで、自ら発信する「主体的市民」を育成していきたい。


●NPO法人一新塾の体験ワークショップ開催中!(33期は11月開講です)
 http://www.isshinjuku.com