今回は、公務員として志を生きるチャレンジを邁進されている萩谷慎一さん
の活動報告をお届けいただきます。
 萩谷さんは31期通信科で一新塾の門を叩いていただき、33期からは本科生
として、お仕事を終えてから水戸から東京の一新塾教室に駆けつけて熱心に
学んでいただいています。

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 塾生活動レポート

          「水戸まちなかリノベーション」
      〜遊休不動産を活用した民間まちづくりの促進〜

                 一新塾第31・33・35・37期 萩谷慎一

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 私は、茨城県の水戸市に、生まれ、育ち、働き、生活する53年の人生
を送って来ました。水戸市役所に勤務し、現在、中心市街地の活性化を担当
しています。

 私の志は、一新塾で打ち立てたミッション・ビションを、本業の仕事で
やっていくことです!


●自分はどんな貢献をしたいのか?

 私は、市民ひとりひとりが、「チャレンジと自己実現」ができる地域社会
をつくることで、地方から日本の活力を取り戻していきたい。そのため、
社会を変えていく人材を地元から輩出していこうと決意しました。

 具体的には、水戸の中心市街地を、「チャレンジと自己実現」の場に変えて
いきます。そのためには、まちを変える新しいプレーヤーとして、志を持つ
20〜30代の若手を結集し、互いに議論し合い、地域社会を変える行動を
起こすコミュニティづくりを、遊休不動産を活用して周辺エリアを再生する
「リノベーションまちづくり」の手法を使って実現していきます。

 そして、民間主導の公民連携により、まちを変えるムーブメントを巻き起こ
していきます。


●水戸人のトラウマ

 かつて水戸は、「魁(さきがけ)のまち」として、幕末期、多くの志士たち
に影響を与えてきました。しかし実際には、明治以降、志を持つ人材の育つ芽を、
摘んできて、他の都市に後れをとってしまったまちではないかと感じています。

 その遠因には、歴史のトラウマが潜んでいるようです。水戸は、尊王攘夷を
唱えながら最後の将軍を輩出したまちで、その根本的な矛盾により、尊攘派と
佐幕派に分かれ、なんと明治の中頃まで血で血を洗う内部抗争を続けました。
天下に先駆けて行動しながら、結局、一番損をしてしまった。この教訓から、
志を持って行動する人物を危険視し、早めにその芽を摘む風土ができあがった
と考えています。


●水戸の中心市街地の状況

 話は現代に戻ります。地方都市の中心市街地の衰退は全国的な課題となって
いますが、水戸市も同様の状況です。歩行者通行量はここ8年間で約22%も
減少し、中心市街地の空き店舗率は約21%という状況です。特に、平成11年
に茨城県庁が郊外に移転して以降、一気に衰退が表面化してしまいました。

 その根本原因は、水戸は明治以降、県庁所在地の既得権益で生きてきたまちで、
これまでさしたる産業振興をしてこなかったことにあると考えています。そして、
県庁の郊外移転に伴い、その既得権益の効き目も失われてしまったのです。


●私のこれまでの人生

 私は水戸から離れたことのない人間ですが、決してこのまちが好きで残った
わけではありません。かつては演劇青年で、志を果たすため、こんなまちから
出て、東京や世界で「チャレンジと自己実現」を夢見た若者でした。そして、
私の志の芽を摘み縛りつけた、両親と水戸のまちに、愛憎入り混じった感情を
抱いてきました。

 やがて、社会人になり、一転、役所内での出世を意識するようになります。
そして、組織の論理に自分を適応させようと努め、管理職に登り詰めましたが、
内なる志や市民性を押し殺して生きてきました。自分を見失い、やがて、
心身のバランスを失い、抑うつ神経症の診断を受けることになります。


●転換のきっかけ

 精神的に少し楽な事務系のセクションに配置転換となり、自分らしい新たな
生き方を模索していた時に出会ったのが一新塾でした。自分の根っこを掘り下げ、
何がトラウマとなっているのかを突き止め、その克服の道から自分のミッション・
ビジョンを発見する指導・助言をいただきました。その結果、自分の救われる道は、
青年時代の挫折からの克服。水戸のまちを人々の「チャレンジと自己実現」の
舞台に変えていくことで、そのトラウマが克服されることに気づきました。
そして、志を持った若者が水戸で活躍できる場を作って行きたいと思い立ちました。


●私の新しい人生

 水戸市では、3年前から毎年秋に、中心市街地のメインストリートを歩行者天国
にして「水戸まちなかフェスティバル」というイベントを開催しています。最初、
ボランティアとして参加しましたが、まちが人々の自己実現の場に変わることで、
にぎわいを取り戻せることに気づきました。

 そして、運命的な出来事が起こります。昨年度4月の人事異動で、何と自分が、
このイベントを担当者になってしまったのです。

 このチャンスを活かすため、「水戸フェス」を、次の3つのビジョンの実現の
機会と捉えて取組みました。
(1)志を持つまちのプレーヤーと、魅力的なコンテンツを中心市街地に引き込んで、
   まちをチャレンジと自己実現の場に変える。
(2)内なる市民性を研ぎ澄まし、まちのプレーヤー(民間人)と本音でつきあう関係をつくる。
(3)職場の仲間も引き込んで、公と民が連携したコミュニティをつくり、ムーヴメントを巻き起こす。

 こうして、20代の若手職員とのコンビで、このイベントを、よりミッション基軸
のイベントに仕立て上げ、2014年は1日で7万4千人、2015年は8万2千人の来場者
を数える人気イベントに進化させることに成功しました。

 ここでの気づきは、普段は閑散としている中心市街地でも、新しいプレーヤー
を引き入れて、魅力あるコンテンツを取り揃えていけば、賑わいが取り戻せる
という事実です。


●リノベーションまちづくりとの出会い

 しかし、イベントは一過性のものです。中心市街地の衰退要因は、県庁所在地
の既得権益にあぐらをかいて、さしたる産業振興をしてこなかったことです。
再び経済活動を活性化するためには、まちに新しいコンテンツとプレーヤーを
引き込んで、都市型のビジネスやサービスを集積させ、新陳代謝を図っていく
ための、新たな方策が必要となります。

 その解決策の大きなヒントを得たのが、一新塾の熱海市現場視察講座です。
衰退化が進む地元熱海のリノベーションまちづくりに取組まれている一新塾OB
の市来広一郎さんから直接ご指導をいただきました。リノベーションとは、衰退
しているエリアの魅力と価値を向上させることを目的に、空き店舗・空き家など
の遊休不動産を活用してその起爆剤となる民間主導の新しいビジネスを立ち上げ、
波及効果をもたらす取組です。多額の予算を投入しても結果の出ない再開発事業
や補助金行政に代わり、出来るところから小さく始める民間主導のこの手法こそが、
中心市街地活性化の根本原因の解決手段だと確信しました。

 こうして、水戸市においてもリノベーションまちづくりを始めようと決意します。
リノベーションスクール講師陣の参加する学習会や講演会に積極的に参加して
ネットワークづくりを行うとともに、市長に「水戸まちなかリノベーション事業」
の政策提言を行い、リノベーションまちづくり講演会やリノベーションスクール
開催の予算を獲得することに成功しました。そして、昨年3月、講師陣を前に
水戸でのスクール開催をプレゼンし、開催が決まりました。事前に、一新塾の
森嶋事務局長に相談し、自分のミッションが定まり、プレゼンに臨めたのが成功
の大きな要因でした。


●公民連携で実現

 リノベーションまちづくりは、これまでの行政主導の補助金や公共事業を中心
とした活性化策と一線を画す、民間主導の公民連携による取組です。まずは、
まちの人たちや行政関係者の意識転換を図る必要があります。

 これまでの取組みとして、リノベーション講師陣を招き、11月〜1月に
3回シリーズで「リノベーションまちづくり@水戸」という講演会の開催し、
地元の機運の醸成をはかっております。

 そして、3月には、実際の遊休不動産の題材に事業プランの策定し、不動産
オーナーにプレゼンして、採用となったプランの実事業化を目指す「リノベー
ションスクール@水戸」を開催します。開催に当たっては、まちを変える新しい
プレーヤーの参加を促すため、20〜30代の若手プレーヤーで実行委員会を
作って、企画・運営していくことにしています。

 さらに、4月からは事業化に向けた後方支援を行う予定です。事業の担い手
となる「家守会社」と呼ばれる民間まちづくり会社の設立に向けてチャレンジ
してまいります。

 家守会社のメンバーは、まちを変える志のある若手で構成したいと考えて
います。そして、まちを変える行動を起こすコミュニティづくりを、公民連携
で実現させていきます。


■一新塾38期体験セミナー予約スタート!

 一新塾OBの堀田卓哉さんが事務局を担われている「JAPAN BRAND FESTIVAL 2016」に行ってきました!日本のものづくりの底力に刺激をいただきました。
渋谷ヒカリエ8階で1月17日(日)まで開催です。

■「JAPAN BRAND FESTIVAL 2016」

 一新塾生の佐藤勝さんが立ち上げに関わられている、 2016年 春、開局予定の渋谷コミュニティFM 「渋谷のラジオ」。本日、開局前初YoutubeLive放送「渋谷のラジオ×キットカット 受験生応援ラジオ特番」が行われ、佐藤さんのオープニングのスピーチを聞いてきました!

■渋谷のラジオ
 「持続可能な社会を目指し、環境教育で環境を意識する人を生み出したい。」
「多くの引きこもりや厳しい環境の若者が、つながりを作り、自立のチャンスを与えたい」
との思いで一新塾22期に入塾された小林史晃さん。

現在は、山梨県でエコフェアネットワークを立ち上げ活動されています。
学生のころから「生きづらさ」を感じ「もっと生きやすい社会を!」と
何度も試練にぶつかりながらも道を探してこられました。
勇気をいただくメッセージです。

■『 生きづらい社会なら、もっと生きやすい社会を作ります!』
 障害を抱えた人たちと共に作る最高の日本酒づくりに邁進。2000本の「自然派日本酒」がまもなく完成いたします!一新塾OGの白根邦子さんの起業レポートです。

http://www.isshinjuku.com/mailmagazine/news/kn_151222.html

白根さんは「すべての人間の価値がお互いに認められる社会へ」というビジョンを掲げ障害者施設で働きながら2012年に一新塾でプロジェクトを始動。2013年に一般社団法人happy choice(ハッピーチョイス)を設立。


■一新塾卒塾生の声(社会起業へ転身)
http://www.isshinjuku.com/student/index.html#shirane

 一新塾OBの木舟周作さん出版『海外旅行で子供は育つ!!』が、練馬経済新聞に!
木舟さんは2012年奥様と共に「カフェ+旅行会社」を練馬で起業。

『練馬の旅行会社&カフェが出版 子連れの海外旅行ノウハウまとめる』

ヤフーニュースにも!
 昨日は、一新塾の教室にて映画「未来シャッター」の上映会!
「未来シャッター」は、地域活性化のために一新塾OGの菊地真紀子さんがプロデューサーをつとめる市民全員参加で企画した映画プロジェクトです。
今回は、映画の上映とともに、菊地さんに映画製作プロジェクトの舞台裏をご紹介いただきました。さらに、菊地さんの人生の歩みと「塾生時代のプロジェクト」が現在の事業展開にどうつながっていかれたのか、語っていただきました。

「すべての境界線を越えて心のシャッターを上げる」

大田区、墨田区、藤沢市を舞台とするこの映画製作によって、商店街、ものづくり、町工場、農業、地域のさまざまなプレイヤーがタテ割りの境界を越えて新しいつながりがどんどん生まれていきます。そして、一人ひとりの心のシャッターが開いて、多様な人たちとつながり居場所が生まれ、地域に活力がもたらされていること、実感いただける作品です。

●映画「未来シャッター」
 今回は2013年11月に一新塾第31期を卒塾された小縣信也さんより、卒塾後の活動についてメッセージをいただきました。

一新塾卒塾生 小縣さんは淡路島生まれ、淡路島育ち。
 大阪の大学で建築を学び、東京で建築の仕事に就かれます。
 ある出来事をきっかけに、「淡路島の人たちが、人とのつながりや自然とのつながりを大切にしながら生きていることをあらためて知り、その生き方が心の底からうらやましいと思った」という小縣さんは、2012年に一新塾に入塾、仲間と共に「淡路香る島プロジェクト」を立ち上げました。

 卒塾後もプロジェクトを発展させ、現在、「アスアワジ」という団体名で地元の同志を巻き込み、ますます志を前進されていらっしゃる小縣さんの挑戦をお伝えさせていただきます。

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塾生活動レポート

『淡路島のもったいないをかけがえないへ』
    一新塾第31期 東京本科 小縣信也


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 一新塾第31期の小縣と申します。
私達は、アスアワジという団体名で淡路島を拠点に活動を行っています。

●淡路島の若者は進学と同時に島外へ

 活動の対象は兵庫県の淡路島。島内の人口は減少傾向にあり、特に島内西側の地域においては、子供の数が著しく減少しており、閉園になる保育所や閉校になる小学校が相次いでいます。例えば、私の地元の小学校はかつて6校ありましたが、数年以内に1校に統廃合されることが決まりました。
子育て世代が減少している大きな要因は、若者が地元にもどらないことです。
島内の若者は、高校卒業後島外へ進学し、そのまま就職します。地元にもどりたいという気持ちがあっても、やりがいがあり収入の安定した仕事がないため、都市部に定住することを選びます。

●転換のきっかけは祖父の捜索

 これまでの私は、仕事に追われる日々を過ごしており、社会への関心は希薄でした。そんな私が変わったのは、痴呆症を患った祖父の失踪がきっかけでした。200名体制の大捜索。赤の他人にもかかわらず、沢山の地元の方が寒い中、夜を徹して捜索を手伝って下さいました。

この一件を通じて、淡路島の地元の人々に触れ、人とのつながりの大切さを知りました。また、今まで気付かなかった淡路島の魅力を発見しました。

●一新塾での活動

 2013年3月に一新塾メンバーとプロジェクトを立ち上げました。

5月には手作りハーブ商品の開発&販売、7月には第一回淡路島若者交流会の開催、世田谷区で行われたフリマにて淡路島たまねぎホイル焼きの販売、8月には第二回淡路島若者交流会の開催。

メンバーと伴に何度も淡路島に足を運びました。

●対象者の発見

 現場に足を運ぶ中、若者側対象者に出会いました。
彼女は島外在住ですが、閉園になった保育園園舎を利用してカフェをやりたいと考えており、それが実現できるのであればすぐにでも淡路に帰りたいと考えていました。

この保育園の活用方法に関して地元住民から出ているアイデアは月一回の朝市とイルミネーションだけ。地元を離れた若者と地元住民をつなげることによって、若者のUターンを支援できるのではないかと思いました。

ここから、「淡路島を明日にでも帰りたくなる島にする」というビジョンが生まれました。

●現場で磨かれたミッション

 地元の人が淡路島について話している時、共通して口にする言葉がありました。それは”もったいない”でした。これは、「淡路島には良いものがたくさんあるのに知られていなくてもったいない、活用されていなくてもったいない」という意味です。

私達は、これが自分達のミッションだと思い、「淡路島のもったいないをかけがえないへ」という言葉をアスアワジのキャッチフレーズにすることにしました。

●初めての助成金を獲得。イベントの開催

 卒塾後は、地元メンバーを中心に活動を継続しました。2015年10月には、淡路市より助成金を頂き、「みんなで奏でる島の夕日演奏会」というイベントを開催しました。
イベントの詳細はFaceBookページ(https://www.facebook.com/asuawaji)を御覧ください。

 本イベントの目的は、あまり知られていない淡路島の美しい夕日を島内外の方々に知っていただくことでした。参加者総数は、想定を上回る106名。
淡路島外の参加者からは、「淡路島の夕日がこんなきれいただとは 知らなかった。また夕日を見に淡路島に来たい」との感想を頂けました。
また、淡路島内の参加者からは、「淡路島に住んでいるけど、夕日をゆっくり見たことがなかった。淡路島から見える夕日がこんなに綺麗だとは知らなかった。」という声が聞かれ、淡路島に住んでいる方にも地元の魅力を再発見してもらえるという成果も確認できました。

●今後の活動

 今後も淡路島のもったいないものから新しい価値を生み出す活動を続けていきます。そしてそれを通じて、地元に帰りたいと思った若者がすぐにそれを実現できる淡路島を創っていきます。


 朝日新聞にて、一新塾OBの武藤真祐さんの医療を通しての社会変革実践「理念・人・組織」をわかりやすく語られています。
武藤さんは、医師・医療法人鉄祐会「祐ホームクリニック」理事長として在宅医療を通して日本の高齢先進国モデルへの挑戦をされています。東京・石巻・シンガポールで新たな挑戦をされ続けています。

■朝日新聞
 10周年、おめでとうございます。
一新塾OBの深田智之さんが経営する「くつろぎ宿」10周年の記念式典。11月9日、会津に行ってまいりました。地域の方々と深く深く築かれた信頼。胸が熱くなりました。

地域再生ファンドを活用して、経営破たん寸前の旅館三館を一括して再建し、会津東山温泉街全体の活性化につなげていくという日本で最初のモデルに挑戦がスタートしたのは2005年。深田さんは、株式会社くつろぎ宿の代表取締役社長に就任し、「千代滝」「新滝」「不動滝」の三旅館の事業を継承しました。三館の特色を際立たせて差別化するとともに、三館を湯めぐりでつなぎ、浴衣で温泉街を歩く流れを蘇らせました。一方で、徹底的なコスト削減を図り、わずか1年半で黒字を達成、3年余りで再生を完了させました。

この取り組みは「複数旅館一体再生による地域における「面」の事業再生」のモデルとして金融庁のHPでも紹介されています。

また、東日本大震災の直後には、行政支援が本格始動する前に、旅館をいち早く無料開放して被災者の方を受け入れ、ピーク時には1,400名ほど、2011年4月10日までに延べ12,954名の被災者の方の利用がありました。そして2011年4月3日からは、大熊町の方々の二次避難場所として、ピーク時は520名の方々にもご利用いただきました。

事業再生の成功の大きな理由は、深田さんの3つの力ではないかと思いました。

一つ目は『人間力』です。
「本質を突くエッジの効いた鋭い視点」と「すそ野広く可能性を信じて受けとめる寛容性」を併せ持つところ。何人かのスタッフの方が共通におっしゃっていたのがこのことでした。「無駄な人はいない。無駄な仕事があるだけ」。深田さんが大切にされている大前研一さんの言葉。ここにすべての人たちの可能性を信じている深田さんの優しさが感じられました。

二つ目は『人材育成力』です。
「30過ぎたら人は変われないと思っていた。しかし、深田社長と出会ってから、人はこんなに変われるんだと驚いている」
「次から次へと新しいビジョンを掲げていくので、次はどうなるのかとても楽しみ」
「深田社長がいなければ今の自分はない。自分のいいところを伸ばしてくれる」
スタッフの方からお聞きしたお言葉です。

三つ目は『協働力』。
深田さんとスタッフとの確固たる絆の深さには感動いたしました。
揺るがない経営基盤は、深田さんとスタッフの皆さんとが一丸となった結束力です。