先週は、一新塾OBであり、一新塾理事であり、山梨県立大学教授の前澤哲爾さんの「地域プロデューサー養成講座」でした。

前澤さんは日本に初めてフィルムコミッションを実現させた立役者です。
1999年、本業の傍ら、映画やドラマなどの映像制作の撮影環境改善のための
公共機関「フィルムコミッション(FC)」を設立するために、活動を開始しました。2001年には、全国組織「全国FC連絡協議会」を設立。8年間で全国101ヶ所にフィルムコミッションを誕生させる大ムーブメントを起こしました。

この取り組みは、
「サラリーマン時代に仕事の合間をぬっての活動でも、これだけ出来る!」ということも実証してくれました。
さらに前澤さんは、自らのミッションを「映像を使った地域再生」と打ち立て、まったく縁のなかった山梨のフィールドに飛び込み、地域の現場に軸足を置き「地域プロデューサー」として、映像を活用したまちづくりを実践されています。

今回の講義では、PLAN→DO→SEEのなかでも特に“SEE”を学んだ講義だったと思います。
5年ごとに人生の転機を迎えた前澤さん。節目節目で、自分自身の人生の意味を振返り、深く掘り下げ、これまでの自分の殻を脱皮して、さらに高い次元の挑戦に挑む。これを繰り返す。自らの人生のを振返り『脱皮人生』と名づける前澤さん。私たちも「脱皮人生」で前進してまいりたいと思います。
先週の7月7日一新塾の講師には、ザ・レジェンド・ホテルズ&トラスト株式会社代表取締役CEOの鶴岡秀子さんをお迎えし、「『伝説のホテル』の社会貢献構想」をテーマにご講義いただきました。

「伝説のホテル」とは、泊まることで世界に貢献できる“社会貢献構想”をコンセプトにしたホテルです。しかも、世界トップクラスのデザイナー、建築家による豪華なホテルで第1号が、2011年にいよいよオープン予定です。
これまでまったくホテル業界での経験がない「コネなし、経験なし、金なし」の状態から夢を具現化する道をつけてしまったのが講師の鶴岡秀子さんです。

10歳の頃から起業家になると決めていた鶴岡さん。
ショップ店員、コンサルタント、ベンチャー企業経営で活躍してきた鶴岡さん。「飛行機も向かい風が吹かなければ飛び立てない」と、どんな試練も夢を実現するパワーに転換してしまう天国体質の鶴岡さん。
こうした鶴岡さんだからこそ、これまで誰もつくったことのない、
泊まることが=誰かの役に立つことに通じるホテルの構想が生まれ、
いま、多くの協力者の力を得て、ホテルのオープンも間もなくです。

私が特に印象に残っているのは、鶴岡さんがホテルを通じてコミュニティを生み出したいとのお言葉でした。従来のホテルはプライベートを尊重するため宿泊客同士が出会うことは意図していませんが、こうした価値観を180度転換し宿泊客同士の出会いがあるホテルは新鮮な驚きであり魅力を感じるものでした。2011年のオープンがとても楽しみです。
6月30日の一新塾講義には、一新塾OBであり、株式会社くつろぎ宿代表取締役社長の深田智之さんにお越しいただきました。今回のテーマは「旅館再生と地域再生〜会津東山温泉」。

深田さんは旅館再生に携わる前に、高知県須崎市にあるグリーンピア土佐横浪(大規模年金保養基地)を運営、2年で黒字化に転換させました。

次なる深田さんの挑戦が会津東山温泉での地域再生ファンドを活用しての破綻寸前の三旅館の同時再生でした。

かつて竹久夢二や与謝野晶子も愛した東山温泉ですが、最盛期には旅館数33を数えた温泉街もバブル崩壊で買収や合併が相次ぎ、温泉への入込み客は92年の約81万人から、06年は約42万人に半減してしまいました。

そんな苦境も跳ね除けて、深田氏は、徹底的なコスト削減を図り、3館の特色を色分け。わずか1年半で黒字を達成、3年余りで再生を完了させました。

「グリーンピア土佐横浪の再生」と「東山温泉の旅館再生」の現場で挑戦し続ける深田さんだからこそ、熱き情熱に包まれる講義となりました。

『何が何でもやり遂げる!』
『熱意は負けない!』
これまでにも増して、深田さんの熱さを感じました。
東山温泉の旅館再生と地域再生のために、新しい風を注ぎ込むエネルギーの源泉は、まさに、人生賭けて志を果たさんとの深田さんの姿勢であったと思います。

さらに、お客様に対して親身に大切におもてなすご配慮はもちろんのこと、スタッフ一人ひとりに対しても、仕入先の一人ひとりに対しても、親身にまごころをもって関わられ、一人ひとりの可能性が引き出されるために力を注いでいることが伝わってまいりました。

深田さんの熱き姿勢が、スタッフの志に火をつけ、関係者に火をつけ、次から次へと連鎖していったのだと思います。

先週は、一年前に入塾された24期生の卒塾式でした。
1年前に入塾されてから今日まで、密度の濃い一日一日が思い浮かびます。

「志を生きよう!」との思いをもって、一新塾の門を叩いていただきました。そして、一市民として、「社会の現実」に身を投じていただくことで、
プロジェクトが次から次へと生まれました。
社会変革者としての当事者意識が大きく育まれながら、同時に、
自らの根っこを掘り下げ、その意味を深めていく歩みがありました。

ある時は、悩み、葛藤し、紆余曲折の歩みがありました。
しかし、志を果たす道を歩むとは、これまでの出会いや出来事の一つひとつが、何一つ無駄なことなく一つに結ばれていくプロセスであると改めて実感しました。同志と共に体験した、一つひとつの出会いと出来事は、志を育むためのかけがえのない大切な財産となるのだと思います。

この日、110名の26期生に、主体的市民の道を歩む同志として、
加わっていただきました。
いま、パラダイムシフトが起こっていますが、リーダーというカテゴリーにおいても大きな転換が起こっているのではないでしょうか。それは、カリスマリーダーの時代から一市民の時代へのパラダイムシフトです。

かつては、一部の限られた人たち、突出した才能や専門性を持つ人たちにリーダーとしての特権が与えられました。

しかし、いま、名もなき一市民でも、自らの志を鮮明にして、その志に身を投じることで、誰もがリーダーになれる時代となったことを、14年間、一新塾生の挑戦に立ち会わせていただくことで実感しています。
今でこそ、社会変革のフロントランナーとして、政治の分野で、社会起業の分野で、突出した活躍をしている一新塾卒塾生も、かつては、名もなき一市民でした。
一歩行動に踏み出すたびに、悩みも葛藤もありました。紆余曲折の歩みの中で、手探りで道を尋ね、同志との切磋琢磨で互いの志を鮮明にすることで徐々に道が開けていきました。

そもそも、私たちが生きるこの社会を礎としてずっと支え続けてきたのは、名もなき一市民の人たちの現場での汗と知恵です。その奥には、名誉や称讃などの野心から離れた純粋な志がありました。どんな困難な試練があっても真心をもって挑戦し、限りを尽くして生きる。その純粋な志は一市民の日々の生活のなかで脈々と伝承され続け、今も息づいているのです。
試練の時代、道なきところに道を切り拓く知恵の源泉は、まさにここにあるのではないかと思います。

明治維新、背後にあった私塾の存在。
「志を同じくする仲間と熱く語り合いたい!」
維新の志士たちは、同志を探し回って、同志がどこそこにいるとなれば、
“脱藩行為”をしてでも、同志に会いに行った。会えば、夜を徹して熱く語り合った。 そして、他に同志はいないのか、どこそこにいるぞ、となれば、また、藩を越えて 同志に会いに行った。

そして、いつしか、維新の志士たちのネットワークは3000名を超え、新しい国を開く ということがありました。その時、私塾は同志が繋がりあうための装置として機能しました。時を超えて、いま、世代を超え、縦割りを超え、同志が繋がりあう場として 一新塾の役割があるのだと思います。

「平成の松下村塾を目指す!」一新塾創設時の大前研一の言葉です。

江戸時代の末期、ペリーの来航によって、吉田松陰は浦賀を訪れていたペリーの艦隊を眺め、「日本を守るためには、まず外国を知らねば守れない」と、黒船に乗って渡米することをもくろみました。しかし、松陰の必死の懇願も通じず、アメリカ側は乗船を拒否します。

死を覚悟しての行動でしたが、結局、自首を決意し、松陰は野山獄に入牢されることとなります。その野山獄で出会ったのは、長い獄中生活で、いつ自由になるとも知れず、希望を捨て、表情もなく、まるで生ける屍(しかばね)となっていた11人の若者でした。

松陰は、死んだ目をした若者の一人にまず語りかけます。「欧米列強の国々が押し寄せるこの時代をどう受け止め、どう行動すべきなのか?生きるとはいかなることか?」限りを尽くして一人にとことん向き合い、あらん限りの情熱を注ぎ込み、共に立ち上がろうとぶつかっていきました。ついには、若者の胸の中では、埋もれてしまっていた志が揺さぶられ始めるのでした。
すると、その様子を見ていた他の若者が「私も学ばせてください!」と声を上げます。一人、また一人と加わって、いつしか獄舎は学び舎と化していきました。

松陰は、野山獄から出た直後に、叔父から松下村塾を受け継ぐこととなりました。ここで行われた、“突き抜けた教育”は、まさに野山獄で一人に魂込めて限りを尽くしてとことん向き合った中で磨き上げられたものだと思います。そして、幾多の維新の志士たちがここから巣立っていくこととなったのです。松陰は、一人を変えることからの社会変革の実践者でした。

この松陰の姿勢は、社会変革に挑みたいと志を立てた人たちに最も求められているものではないでしょうか。

応えたい対象者を一人に絞り込む。
具体的に誰に応えたいのか、徹底的に絞り込み、一人の人間に定めていきます。その人に会いに行き、話を聞かせていただき、その人に徹底的にアクセスしていくことで、問題の根源もビジョン(願う未来の現実)も浮き彫りになっていきます。そして、その一人に応えるために自らの志を鮮明にして限りを尽くして完全燃焼する。その熱が激しければ激しいほど、続々と他の方へと連鎖を起こしていきます。

社会が変わるとはそういうことだと思います。

4月15日には、一新塾に神奈川県の松沢成文知事をお招きし、
「神奈川から日本を変える!〜道州制・首都圏連合への展望」を
テーマにご講義いただきました。

松沢知事は、自治体首長の立場で、道州制推進の議論を牽引しています。自らのマニフェストにおいても「新たな広域政府『首都圏連合』を設置し、首都圏全体の政策を展開」すること、「130年経過した都道府県制から『道州制』に転換し、地域主権を実現」することを明記されています。

講義の冒頭では、松沢知事の人生の歩み、人生の転機など、
その都度、志を貫き壁を乗り越えてきたエピソードをいただきました。

そして、松沢知事が描く、道州制実現のシナリオ。
道州制とは、国は必要最小限のことだけ残し、国の権限を徹底的に
地域に委譲していく霞ヶ関解体論。だから国が描くことはできない。
だからこそ地域から声を挙げるべき、と強調されました。
また、国と300の基礎自治体の二層構造では国に大きな権限が
どうしても残ってしまうので道州制は必要との見解を示されました。

また、協働力の知恵は胸に響きました。
「協働力でつくられた条例はみなに守られ成果が上がる!」
受動喫煙防止条例の例を挙げていただき、反対の立場の人であっても
包み込むように、協働して道を拓かれた深き知恵に感動いたしました。

「地域主権の確立は鳩山政権の一丁目一番地!」との
鳩山首相の意気込みですが、現時点では“地域主権”の
動きはいまひとつで今後に期待したいところです。

このたび、昨年の一新塾講師であり、
2007〜2009年まで地方分権改革推進委員会事務局長を
担われた宮脇淳氏より新著を一新塾事務局に送って
いただきました。

『創造的政策としての地方分権』 宮脇淳著 岩波書店
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明治維新からはじまり民主党政権下での地域主権戦略会議
の立ち上げまで、地方自治・地方分権の歴史的な変遷の
ポイントを一つひとつその意味を紐解きながら、
脈々と流れる潮流を理解できます。

また、2008年のグローバル金融危機の顕在化以降、
資本主義・市場機能が根幹に組み込まれた日本社会で、
それを克服する創造的政策を支える最も重要な柱は
「強い民主主義」の実現であるといいます。

「強い民主主義」とは、中央集権の上からの民主主主義でなく、
下からの民主主義、下からの公共性の実現のことです。

全国どこでも「中央政府の視点」から必要と判断する最低限の水準を
達成することでなく、全国どこでも「地域の視点」から必要と判断する
最低限の水準を達成することを目指すことです。

グローバル化、少子化・高齢化の進展で、行財政の資源は限られる中、
地域社会を持続的に充実させるには、行政だけでなく企業、住民、NPO
などさまざまな主体が公共性を担う仕組みの構築が不可欠であると提言します。

ご関心ある方は、ぜひ!
2月3日(水)の一新塾講義は、『いのちの森づくり〜現場主義の森林再生』をテーマに、宮脇昭氏(地球環境戦略研究機関国際生態学センター長)にご講義いただきました。

宮脇氏は、その土地に最も合った主木を中心に多くの樹種を市民と
一緒に植え、植生の回復を図る「宮脇方式」を提唱、土地本来の
森の再生に尽力をされています。

“宮脇方式”は、植樹地本来の植生を調べあげて樹種を確定し、
根が充満したポット苗をそれぞれの樹種を取り混ぜ、1平方メートル
に3本の割合で混植・密植します。しかも、業者に発注せず市民や
職員による植樹祭形式で一緒に植えるのが特徴です。

こうした取り組みを国内外1500ヶ所以上で実践。世界中に3千万本以上
の木を市民とともに植えてこられ、06年11月には、環境界のノーベル賞
とも言われるブループラネット賞を受賞されました。

昨日の講義は迫力がありました。
「現場、現場、現場!なめて、触って調べろ!」
徹底した現場主義を実践されてきた80歳を超える宮脇氏のお言葉に触れ目が覚める思いでした。

大きな木になるポテンシャルのある小さな木を混植・密植し競わせる
“宮脇方式”の植樹は、異質同士のぶつかりあいで切磋琢磨し創造を目指す一新塾と重なりました。

「本物とは、厳しい環境にも耐えて、長持ちすること」
揺るがぬ信念で限りを尽くして現場主義の実践を長年積み上げてきた
宮脇氏の姿勢に、突き抜けたミッション基軸を見ました。

そして、このミッション基軸は下積みの時代に長い時間をかけて育まれる
ものであることを実感しました。だから、とにかく何でも長く続けること
ほど尊いことはないのだと思います。

宮脇氏は、「一新塾は60年間続けなさい」とのお言葉を残して
お帰りになりました。

2010年の一新塾講義のキックオフは、“発明起業家”の藤村靖之氏にお越しいただきました。
テーマは「発明起業家のテクテクノロジー〜未来に「点」を打つ」です。

「テクテクノロジー」とは、テクテクと人間らしいペースで歩む科学技術。
貧しい昔に戻るのではなく、新しい豊かさを愉しむ「非電化」の発明品を
数多く生みだしてきた藤村氏による造語です。

大企業のトップエンジニアだった藤村氏は、喘息にかかった幼いわが子のために発明をしようと自ら起業する道を選びます。1984年に(株)カンキョーを設立。発明した電子式空気清浄機クリアベールは、世界記録となる累積200万台を販売。最近は非電化工房を設立し、電気に依存しない新しいライフスタイルを実現する発明に尽力されていらっしゃいます。

藤村さんに一新塾にお越しいただくのは今回で8度目になりますが、

「着想したら2週間以内に行え」
「事業の多くが社会を変えるに至らないのは、ビジネスモデルの発明がないから!」
「試作して実験。3〜4回目で成功なんて夢物語。失敗の繰り返しは15回が基準軸」

といったように、毎回、藤村さんの深いミッションに根ざした活動と、
あっと驚くような発明品を生み出す発想力に学ばせていただいております。

今回の講義では、新しい年の始まりに、新しい文明の拓けを予感させる、
モノゴトの本質に向き合うかけがえのない時間を過ごさせていただきました。

「現在の延長線上では皆とおなじものしか見えない。」
「お金がある人は、仲間いない・時間ない・体力ない。
 お金がない人は、仲間がいる・時間ある・体力ある。」
「いま、夢中になることを夢中になってやる!」

散りばめられたお知恵の数々、どれも腹にどしんと落ちました。
お言葉を胸に刻んで、個性を輝かせて楽しく邁進してまいりたいと思います。