『伊良部島つかさ応援プロジェクト』

  沖縄本島から南西に約300km、東京から約2000kmに位置する宮古諸島の一つ
 伊良部島。この島に魅せられて、この島の問題に直面することで「何か力に
 なれないだろうか?」と東京で「伊良部島つかさ応援プロジェクト」を立ち
 上げた27期本科の橋本弥生さん。橋本さんの情熱に、それまで伊良部島とは
 縁のなかった賛同者が同志として集い、何度も現場に足を運びながらプロジェ
 クトを展開中です。
 このたび、橋本さんよりメッセージをいただきました。ぜひ、皆さんも橋本さん
 の熱き志、そして、日本人が忘れかけている大切なものに触れてみてください。


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■■■■  塾生活動レポート
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■■         『伊良部島つかさ応援プロジェクト』
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■■■■                      一新塾第27期本科
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  先月、11月6日(日曜)は一新塾の卒塾式でした。
  一年前は、理事や塾生の前に立って、プレゼンすることになるとは思っても
 いませんでした。しかし、入塾後、チームメイトと出会い、みんなから叱咤激励
 され、「伊良部島つかさ応援プロジェクト」はスタート地点に立つことができ
 ました。この場を借りて感謝したいと思います。どうもありがとうございます!


●伊良部島との出会い


  何故、私のような全くのよそ者が遠い島の問題に関わることになったかという
 と、ひょんなことから伊良部島の「つかさ」の問題を知ってしまったからです。


  そもそも初めて行ったきっかけは、2008年夏、日本経済がこんな時に、
 海外旅行をする気にならなかったからです。スノーケルが大好きな私は、透明
 度が高いと言われる沖縄の離島を選びました。白い砂、透き通ったような青い海、
 波打ち際からすぐの所から色とりどりの熱帯魚泳ぎまわっており、食べ物も力強
 く、空気はおいしく、正直いって期待以上でした。貴重な一週間休暇なのに、
 2回3回と、迷わず宮古に行こうとしている自分に、ふと、なんでこんなに素晴
 らしいのだろう?と思い、色々調べてみると、伊良部島全体がほぼ聖地だという
 ことがわかりました。


●何か日本の為に貢献したい!


  私は、外資系金融機関に勤めているのですが、ひとつのもの(お金)を奪い合
 うゼロサムゲームの1プレーヤーだけでいることに疑問を感じ、何か日本の為に
 貢献したい!と思っていました。 その神高い宮古諸島でなら、的確な人生の
 アドバイスをもらえるのではないか、と思っていたら、ちょうどそういう力を
 持った人と出会えたので、相談すると、逆に次のようなつかさの問題を相談され
 ることになりました。


●御嶽(うたき)存続の危機!


  沖縄県宮古諸島では、「御嶽(うたき)」といって、本土でいう神社のような
 場所、祖先神を祀る場で、地域の祭事の中心施設があります。ここで神事を行う
 「つかさ」という役割の人達がいて、島の中にある聖地(パワースポット)や、
 「御獄」を守っています。


  ただ、つかさの役割は、厳しい制約や、長時間の拘束などがあり、かなりの負担
 が本人・家族にかかります。 例えば、髪を3年切ってはいけないとか、島を3年出
 ては行けない(親類に不幸があってもダメ)とか、5日間御嶽にこもりっぱなしで
 なくてはならない神事もあります。一方、補助費といえば年間にたった10万円ほど
 で、神事に必要なお線香やお神酒を購入して終わってしまいます(逆に足りないくらい!)。


  こうして、徐々に後継者になる人が減ってきて、地域によっては神事ができなく
 なって、閉じてしまった御嶽もあるそうです。 いったん閉じてしまうと、掘り起
 こしから始めなくてはならないので、今以上に大変な作業になってしまいます。 


●日本人が忘れかけている大切なもの


  自分の生活もままならないのに、地域の為に奉仕している「つかさ」は、地域
 の「和を尊び」「自然に感謝する」心を守り続けています。 私は、「つかさ」
 の文化は、日本人が忘れかけている大切なものだと思っています。 宮古諸島
 全体で、つかさを支える雰囲気が島民の中でできており、つかさも精神的・経済
 的に満足し、後継者不足の問題が無くなれば、「つかさに選ばれると、生活が
 苦しくなって大変だ」という現実から、「つかさに選ばれても、生活が成り立っ
 ており、その上幸せだ」ということになります。


●よそ者に何ができるのか?


  では、よそ者の自分達に一体何ができるのか? プロジェクトは「まず現場、
 現場第一!」という一新塾のポリシーのもと、とにかくみんなで現場に行きました。
 現場では、御嶽と聖地の視察、つかさとの対談、そして、チームから御嶽でお線香
 をあげさせていただく機会をもつこともできました。宮古島が初めてのメンバー
 の一人が、「確かに宮古島はバカンスでくるところじゃないですね」という感想
 をもらしていたのが、(一回目の自分と比べても)すごく印象的でした。 


  あくまでも、我々は応援という後方支援に徹しようということが3回の視察
 をとおして導き出したことだったので、解決策を、島内と全国での「情報」の
 共有と、現地での「組合」の結成の提案にしました。 


●つかさを始め、地域の人々、観光客、全国の人々がみんなハッピーに!


  情報の共有では、島民サイド向けに、伊良部島の素晴らしさを、外部の声を
 通じて伝えることと、つかさの大切さを呼び掛けることを、ラジオや新聞、HP
 ブログを通じて伝えていくことです。首都圏サイド向けには、自分自身、宮古
 諸島が聖地だとは知らなかったこともあったので、つかさがマナーを知らない
 観光客に困っていると聞いた時、彼らは「マナーを知らない」のではなく、
 ただ「そういった情報がない」とわかっていたので、情報を載せたHP・ブログ
 を作成することにしました。
 ◆ホームページ: http://irabujima3.jimdo.com/   
 ◆ブログ   : http://d.hatena.ne.jp/irabujima/


  組合の結成は、来年度の目標なのですが、全国につかさ応援の会員を募って
 会費を集め、年に1−2回伊良部の品物を送り、残りをつかさに寄付する、
 という仕組みです。 とりまとめは地元の人達でやって頂きます。


  このように、つかさを始め、地域の人々、観光客、全国の人々がみんなハッピー
 になれればいいなと、夢を抱いております。


一新塾講師に湯浅誠氏(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局次長・反貧困ネットワーク事務局長・内閣府参与)

 9月20日には、一新塾講師に湯浅誠氏(NPO法人自立生活サポートセンター・
もやい事務局次長・反貧困ネットワーク事務局長・内閣府参与)をお迎えし、
「現場のニーズをどう政策決定につなげるのか?」をテーマにご講義いただきました。


大学院の頃からホームレス支援活動を始めた湯浅氏は、2000年の頃から「貧困層が
増えてきているな」と感じたといいます。政府や大メディアは「生活が苦しくなった
のは自分たちのせいだ」という見方が強かった中、どのようにすればこの問題を多く
の人に分かってもらえるか。湯浅氏は「フードバンク」、「自立生活サポートセンター・
もやい」の立ち上げ、『本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』出版など、
現場主義で具体的解決策に着手されてきました。


2008年の“派遣切り”で貧困問題が表面化。「真面目に働いていれば、貧困者には
ならない」との価値観が覆された中、今、湯浅氏は内閣府参与として現場のニーズ
を政策決定につなげるべく奮闘されています。
さらに、東日本大震災後は、被災地の復興支援にも尽力されています。


急激に変化する二極化する日本社会にあって、誰もが居場所と役割と出番がある
との社会ビジョンを熱く語っていただきました。


自己責任論においても、夢を見る条件をつくるのは社会の責任という
人間へのあたたかいまなざしが胸に染み入りました。


「他者の意見を受け入れる」「総体としての尺度を持つ」、
これまで見えなかった“見えないものを見る力”の大切さも胸に刻ませて
いただきました。


また、「活動家の3つの役割」も腑に落ちました。
〇個別対応する
〇世論に働きかける
〇政治に対して働きかける


湯浅氏からいただいた現場主義での社会変革の知恵を今後の活動に生かしてまいります。

 


『沖縄から日本の教育を変える』

   沖縄から日本の教育を変えるべく教育現場に飛び込み、奮闘されている
 卒塾生からの活動レポートです。
 東濱克紀さんは10年前、東京で大学生活を送っている時に一新塾に入塾。
 その後、ビジネスマンとしての奮闘を経て、沖縄に戻り、教育の道へと
 人生のレールを乗り換えました。
 東濱さんより、この10年の歴史が刻まれたメッセージをいただきました。


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■■■■  塾生活動レポート
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■■         『沖縄から日本の教育を変える』
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                           一新塾第8・10・20・24期
                                          東濱克紀


 「 私が一新塾を志望した動機は『主体的市民を育てる』という言葉に強く共感
  するところが大きかったからである。私はごく普通の大学生であるが、私の
  周りに関係する社会問題や、政治活動にもそれなりに関心がある。市民レベル
  での活動にも興味があるが、それが直接社会を変える原動力になっているよう
  に実感できることはなかった。
   市民一人一人がどのようにしたら社会をよりよく変えていくことができるのか。
  その方法手段を一新塾で学ぶことにより体得できるのではないか。その思いが
  一番の動機である。もう一つの動機は、大前研一氏がMITでの留学体験で
  一番学んだことである『とにかく自分の頭で考えること』をできるようにしたい
  と思ったからである。日本の教育では情報のインプット能力だけを評価して、
  アウトプット能力や情報を自分で判断する能力を鍛える訓練を行なっていない。
  一新塾に入学すればこの能力を伸ばすことが可能であるのではないかと思って
  いる。」


  上の文章は私が10年前(2001年4月)に書いた一新塾第8期の志望動機のレポート
 だ。当時の私は大学生で「日本の教育を変えたい」思ったが、具体的にどうしたら
 いいのかわからなかった。そんな私が一新塾を通じて出会った人達の力を借りながら、
 今は地元の沖縄の学校現場から教育を変える実践に取り組んでいる。私の10年間を
 振り返りながら、これからの10年の目標を宣言したい。


●教師は何をしたらいいのか?


  私の大学時代の夢は、教師になることだった。教師になることを目標に大学へ
 進学した。自分が教壇に立ち生徒に数学を教える姿は具体的にイメージすること
 ができたが、何か漠然と不安に思うことがあった。
「いったい教師になって、私は生徒達に何を伝えることが出来るのだろうか?」
 大学を卒業してすぐに教師になることに不安を感じた大学3年生の頃、私は一新塾
 へ入塾した。


  一新塾へ入塾して、初めの講義は大前研一氏の「IT時代における21世紀維新
 への提言」だった。そこで私は大きな衝撃を受けた。大前氏は講義の中で、「高校
 の数2を教える先生は日本で一人いればいいことになる。」と言った。「インター
 ネット時代には一人の先生が二百万人の生徒を教えることができる。六十歳で定年
 退職したアメリカの国語の先生たちがインターネットで直接英語を教えてくれるなら、
 日本の英語の先生たちはほとんど要らなくなる。では、先生は何をしたらいいのか。
 今、文部科学省が考えなければならない最大の問題はこれなのだ。」


  また鈴木寛氏の講義では、「産業革命後のイギリスで生まれたマス・エデュケー
 ション型の教育を、日本は1900年から100年間やってきた。しかし情報社会においては、
 暗記力と再現力という能力は、さして重要な能力ではなくなる。教える側としては、
 学習指導要領じゃなくて、まさにインタラクティブでライブなコミュニケーション
 を子どもたちにどれだけとらせるかということが重要になってくる」という話を聞いた。


●主体的市民を育てるには何が必要か?


  刺激的な講師の話や一新塾で市民活動から社会を変えて行こうとする塾生の刺激
 を受け、私は大学を卒業してすぐに教師にならず一度社会で働く道を選んだ。その後、
 地元の沖縄に帰ってきて30歳で私立学校の教員になった。


  学校現場では数学を教えながら、「主体的市民を育てるにはどうしたらいいか」
 というのを考えている。また生徒が「とにかく自分の頭で考えること」ができる
 ように なるにはどうしたらいいのか常に試行錯誤の連続だ。


  昨年は地域のコミュニティ放送局と一緒に企画して、「中学校の生徒会選挙」の
 公開討論会をラジオで放送した。政治に無関心な若者が多いというが、それは立候
 補者の意見を聞いて自分達の代表を選ぶという経験をしたことが無いからだと思う。
 投票権のない中学生であっても生徒会長選挙で投票することはできる。選挙の立候
 補者は「学校を良くする為にどうしたらいいのか」とマニフェストを宣言し、生徒達
 はマニフェストと立候補者の熱意を基準に自分の思いを一票に託した。
 ▼どうする生徒会!? 会長選、8候補がラジオ討論(琉球新報)
   http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-170252-storytopic-7.html


  また学校と地域をつなげる実践の話が広まり、今年の元旦には「知事にプレゼン!
 〜沖縄の明日を描く若手たち〜」というテレビ番組に生徒と一緒に出演することが
 できた。学校現場での思いや生徒が感じていることを知事に直接提案した。生徒から
 仲井眞知事へ「中高生に向けた県内の優れた企業を紹介する広報誌を作ってほしい」
 という提案を行い、知事は「いいですね、すぐやりましょう!」と応えてくれた。
 実際に県の担当者が事業化へ動いている。
 ▼「知事にプレゼン!〜沖縄の明日を描く若手たち〜」
    http://www.goodjob-okinawa.info/page/797.html


●小さな一歩から


  私が地元の沖縄でできることは、とても小さなことだと思っている。10年前
 には「日本の教育を変えたい」と思っていたが、私の些細な行動がどれだけ
 周りを変えられるかはわからない。20代の10年間は自分で何ができるのかを
 迷い、自信を無くすことも多々あったが、ようやくスタートラインに立てたと
 思っている。これから10年間は学校現場で教師という仕事に打ち込みたい。
 今は目の前の生徒一人一人と可能な限り向き合い、少しでもキッカケを与える
 ことができればと思う。


  最後に私が10年前に一新塾での鈴木寛氏の講義で聞いた言葉を、皆さんに
 伝えたい。


 「いずれも非常に小さな一歩かもしれません。しかしパラダイムチェンジと
  いうのは、そういう小さなことから始まって、あるときハウリング現象を
  起こして社会が変わっていく。そういう意味では、大きな一歩ではないか
  と思っています。」


「『自助カルテ』で実現するやさしい思いやりに満ちた医療」

  一新塾では、塾生のミッション基軸で、毎年約40のプロジェクトが誕生
 しています。
 一新塾のプロジェクトは、市民の、市民による、市民のためのプロジェクト
 です。そして、このプロジェクトに自分の人生を注ぎこみます。身を投じる
 姿勢こそが、人を巻き込み社会を変革するエネルギーになるのだと思います。


26期生の木暮裕さんは、医師の立場から、市民との協働で社会変革に挑んで
います。昨年8月に「自助カルテ」プロジェクトを立ち上げ、5月の卒塾に
向け、日々、プロジェクトメンバーと切磋琢磨されています。
今回は、木暮さんが志を貫き社会変革に挑む物語をお伝えさせていただきます。


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■■■■ 塾生活動レポート
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■■  「『自助カルテ』で実現するやさしい思いやりに満ちた医療」
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                           一新塾第26期本科
                                   木暮裕


  理工学部在学中にプロボクサーになった。闘うことで充実し、何か行動すれば
 意味は自ずと生じると考えていた。しかしやっと勝ちとった勝利の後に残った
 のは虚無感だった。自分のための努力では、自分は救われないことに気がついた。


  そして練習中に負った鼻骨折の手術を受けたとき、医療のありがたさに感謝
 した。医者になりたいと考えるようになり、やっと医者になった。


  救命医療に従事し、スーパードクターになれると思って頑張って仕事をして
 いたが、モチベーションを保てなくなった。いわゆる燃えつき症候群だったと
 思う。私は挫折した。


  自分の時間を持てるように職場を変えたが、自分の生活に柱と呼べるものが
 ないことに気がついた。自分の中に空いた大きな穴。自分を満たすように試行
 錯誤していたが、ようやく気づいたのは人の役に立ちたいと切に願う自分が
 いることだった。そして、人の役に経つことで救われるのは自分だと気がついた。
  自分という資源を使って何が出来るのか?それを探るために一新塾に入った。


●「自助カルテ」プロジェクトを立ち上げる


  講義では、講師が描く理想と講師自身がやりぬく必要性を語ってもらえた。
 プロジェクトには明確なこの二つが必要なのだと理解した。そして何よりも
 変革者たるその人物の強さ、障害を乗り越える力に成功の秘訣があることが
 解った。


  “自助カルテ”という患者が自分で記入するカルテを用いて健康状態と将来
 像について再認識を促すというプロジェクトを立ち上げた。生活習慣病などの
 結果として生じる脳血管障害や心筋梗塞などにならないで生を全うすることを
 目的としていた。行政でやっている健康手帳となにが違うのだと思う方が多い
 と思うが、ここでの説明は割愛する。
 興味があればホームページを見て欲しい。 http://www.jijokarute.com/
 現在自助カルテを薄くして、無料で配布できるように企画中である。
(無料になったら東日本大震災被災地にも配れるか検討中)


  試作品を作り、患者に配ったところ、生活を変えてくれる人もいた。けれど
 も、とても変革をもたらすことはできそうもなかった。患者が自助カルテを
 使わなければならない積極的な理由が必要だと気がついた。医師が患者を導く
 ように自助カルテを使うように促す方法も必要だと考え、市の医師会雑誌に
 投稿し、自助カルテを用いて患者に主体性を持たせ、患者の意識を変えていこう
 と説いた。共感してくれる先生もいた。これからも積極的にアピールして行こう
 と考えている。


  しかしその一方で自分の患者は自助カルテを使い続けてくれている。主治医
 が患者に健康でいて欲しいと願う気持ちに応えようとしてくれる。そんな患者
 とのやり取りの中で、家族がコメントを寄せてくれるようになった。医者と
 家族で患者本人の健康を案じ、言葉をそえる自助カルテは診察のたびに新たな
 喜びがあった。


  患者と家族と医療者がみんなで繋がり、患者への思いで一つにまとまれたら、
 やさしい思いやりに満ちた医療が実現できるのではないかと考えた。まだうまく
 伝え切れていない。今後、広報などについて考えを深める必要があるのだと
 思っている。


●助けるべき対象者が明確になる
 

  病院と地元の町内会で健康セミナーを開いた。医療用コミュニケーション
 ツールの必要性と高齢者の入院で問題となる延命治療などについて話をした。
 参加者の強い関心を引いたのは死についての話だった。医者が死について語る
 ことは誤解を生みそうで避けようと考えていたが、医者にもっと死を語って
 欲しいと思う人が大勢いることを知った。


  そして最近、自助カルテを使って助けるべき対象者が明確になった。辛く寂し
 く死んでいく日本の高齢者だ。恵まれない人たちの話ではない。寂しく死んで
 いく老人があまりにも多いのだ。死ねずに苦しむ老人たち。親の死というリスク
 を取れない家族。自分らしく死ぬことを貫けない個人。この人たちに暖かな死
 を迎えさせることが自助カルテの使命だと気がついた。
  わたしの理想とする死は、「天寿を全うし安らかに家族に見守られてわが家
 で迎える死」だ。共感する医療も家族の絆も病気に対する自助意識も全てがこの
 幸せな死ともよべる温かな死に集約される。これからの人生をかけて医師として
 死をかたり日本人が幸せに死ねるように尽力していきたいと思う。


  プロジェクトをはじめて7ヶ月半。本当に試行錯誤の連続だった。現場で砕かれ
 メンバーとともに思案、企画しここまでやってきた。チームと書くと形式的で
 抵抗がある。理想を同じくする仲間、同志。真剣に向き合い切磋琢磨していく
 同志とともに自分も成長していきたいと思う。 

  大げさに聞こえるかも知れないが、一新塾に来て自分は本当に変わったと思う。
 自分を生かすことが出来るようになった。感謝の気持ちをこの場を借りて伝えたい。
    
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根っこ力で社会変革!
試練の時代だからこそ志を生きる。
現在、一新塾説明会を開催中です。
ご関心ある方はこちらをどうぞ


『志を生きる』〜子供達の応援団を目指して〜

  今回は一新塾第24期(2010年5月卒塾)の勝見恭子さんよりメッセージ
 を頂きました。勝見さんは「笑顔と夢を運ぶサンタクロースになりたい」
 と第24期でプロジェクトチームを立ち上げ。思春期・反抗期の子供達の
 心の痛みを受け止められる人を目指して、そして、そんな子供と身近な
 大人達のご縁がつながる地域づくりを目指して、毎週1回の無料学習
 サポート教室「めだかの学校」を2010年2月から続けています。
 ますます志を生きる道を前進されている勝見さんのメッセージ、ぜひ、
 じっくりご覧ください。

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■■■■  塾生活動レポート
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■■      「『志を生きる』〜子供達の応援団を目指して〜」
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■■■                       一新塾第24期本科
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 ●私の志

「こんにちは!授業で分からない問題があったから教えて〜」
 そんな子供達の声を聞きたくて、私はめだかの学校を始めました。
 めだかの学校は、毎週土曜日に目黒本町社会教育館で行われている
 子供達の無料学習サポート教室です。


 私自身が小学生の頃、
「分からない問題があったけど、学校の先生に聞くのは恥ずかしいなぁ・・」
「勉強しなさいって言われるけど・・家では何だかやりたくない」
「塾に行きたいけど、お母さんに頼めない・・」
 こんな思いを抱えていたことを覚えています。


“勉強をさせられる場所”ではなく“勉強を応援してくれる場所”
 子供達にとって、そんな居場所を創るのが私の夢です。


 そして、先生は地域の先輩達。
 子供達の、お兄さん、お姉さん、お父さん、お母さん、
 おじいさん、おばあさんのような様々な世代の方々が集い、
 勉強だけではなく、色々な経験の語り場にしていきたい。


 学校生活で悩んでいること、進路、友人、家族のこと等が相談できる、
 子供達の“今”を支える場として、誰でも好きな時に参加できて、
 成果を求める塾とは異なる「無料の」学習サポート教室を
 これからも続けていきたいと考えています。


●志に向き合う

 一新塾入塾前、私の志は「政治家になる事」でした。
 政治家になって何をしたいかは答えられず、
 ただただ社会のために役に立つことをしたいと考えていました。


 志に向かって具体的な一歩を踏み出せるまでには、
 とことん自分と向き合う苦しい時間がありました。


 私の志は、見栄やトラウマに覆い隠されていました。
 その殻を取りはらって、心の底から自分がやりたいと思えること、
 それが「子供達を応援することだ」と気付けたのは、
 一新塾の同志がいてくれたからでした。


 同志が問いかけてくれた言葉、共に費やした時間、
 ぶつけてくれた疑問や不満も、
 全てが一歩を「今」踏み出さなければいけないんだという
 強烈なエネルギーになりました。


●志を生きる

 子供達を応援する「めだかの学校」は今年2月、1周年を迎えました。
 めだかの学校を始めたからこそ、20人の子供達と
 19人のボランティアスタッフに出会えました。


 毎週継続してきたからこそ、見えてきたものもあります。
 めだかの学校では仕切り役のとっても元気な子が、
 学校では友達とうまくいがず悩んでいること。
 めだかの学校ではほとんど勉強をせずに遊んでいる子が、
 家では受験勉強のために必死でがんばっていること。


 子供達の本音は、時として表面的な行動に隠されてしまいがちです。
 めだかの学校は、子供が遊びたい時は一緒に遊び、
 勉強したい時は一緒に勉強する、そんな場所にしています。


 だからこそ、子供との雑談の中で、
 大人が自分の体験談を語ったり、
 悩みながらも一生懸命テキストに向かう子供に
 大人が元気をもらったりしています。


 何よりも、私はそんな子供達と一緒に過ごす時間が好きです。
 子供達が頑張る姿を応援できることがとても嬉しいのです。


 そして、継続してきたからこそ、得たものもあります。
 子供達の電話相談センターである「めぐろチャイルドライン」から、
 共同して子供達をサポートしていこうとの提案をいただきました。
 目黒区のボランティア団体として認められ、助成金をいただき、
 今後の継続次第では区としての全面的な応援もいただけるそうです。


 ゼロからの小さな一歩は、一年の継続で大きな一歩になりました。


 そして今年3月、めだかの学校は
 大田区石川台文化センターに分校を開校しました。
 今年4月には目黒区自由が丘住区センターに3校目が開校する予定です。
 いずれも地域のお母さんが代表として、地域の子供たちを集めており、
 私も協力しますが、ゆくゆくは地域のボランティアスタッフで
 運営していくことを目指しています。


 よりたくさんの子供たちが、地域の応援団に支えられて
 笑顔で夢に向かって頑張れる社会を目指して・・・
 私はこれからも志を生き続けます!


『 コトのセレクトショップ 』

12月4日〜5日は神奈川県の三浦海岸で全国研修合宿を行いました。テーマは『自分軸で社会創造に挑む!』でした。北は青森、南は沖縄と全国各地から塾生が結集し、異なる世代、異なるバックグラウンドの仲間とのグループワークを通じて、自らの人生を掘り下げ自分軸を発見し合いました。さらに、自分軸の延長線上にあるビジョンを鮮明に、その実現のための解決策としてのプロジェクトをブラッシュアップし合いました。

合宿は、新しい社会変革プロジェクトの芽が出る瞬間でもあります。11月に卒塾された第25期の宮崎志津香さんは、1年前の合宿で芽生えた『コトのセレクトショップ』プロジェクトを同志との協働と現場での奮闘、対象者との深い出会いを通じて、1年間で大きく育まれました。宮崎さんに、この1年を振り返っていただきました。ぜひ、ご一読ください。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■          『 コトのセレクトショップ 』
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■■■■■□        一新塾第25期本科 宮崎志津香


●私が一新塾に入った経緯

日頃より「○○が◎○」だったらいいのに・・、という意見を言いつつもあまり行動しなかった私。(意見は、「海にもっとシャワーがあればいいのに・・」というレベル)
寒い冬の始まる季節、会社の先輩に誘われるがまま、なじみの無い田町にやってきた。
なんと、びっくり!みんなの前で、壁をスクリーンにして、私の会社で言ったら引かれちゃうかも・・っていうことを熱く語っている人がいる(後に森嶋さんと認識)。
そして、その場のみなさんが引くどころか、うんうん言ってる!!

こんな勉強してみたい、そう思いそのまま入塾。

志高く、すでに様々な活動をされていたみなさんからすると、先輩に誘われて田町を訪れた私は、相当な主体的市民度の低さで入塾したのでした。

●私のミッション

私は大学生の時、可愛いモノや、有名なモノに興味があって、親への感謝もモノをプレゼントして満足、というような、ぼんやりとモノに価値を感じた普通の学生でした。そして、そういうことはいつでもできるという安心感を抱いていました。

でも、モノに価値があるんじゃない。いつでもできるわけじゃないと気付くときがありました。

父が病気になって、もう亡くなるというとき。
思い出したのは、あげたモノや、もらったモノじゃない。 何を一緒にしたか、自分は何ができたかな、ということ。 そして「もっと一緒にいろんなコトをすればよかった」という後悔。

結婚記念日、妹と私で計画したサプライズ演出をプレゼントしたこと そして、父が亡くなる一年前に、父が私に見せたい場所があるといって計画した旅行。 こういうことを自分と相手が生きている限り、できるだけやっておくべきだと思ったのです。

そしてこれからは、コトを通じて思い出を増やせる人になろうと思ったのでした。それが、この塾に入って皆様に掘り下げて頂くことで気付けたミッションです。

●私のビジョン〜モノからコトへ、モノにもコトを〜

私のイメージする社会ビジョンは、「コト」を通じて親子に、家庭に、地域に、社会に、たくさんの思い出ができること。コミュニケーションが増え、相手のコトを考える機会が増えるそんなコトを誰でも簡単に入手できて、コト、またはコトがプラスされたモノをプレゼントし合うのが当たり前になる。そんな社会。

コトのセレクトショップは扱う商品をモノからコトにシフトしたお店です。たとえば、一緒に旅行したり、思い出の曲を弾き語りしてくれるお店にいったり・・・
これらを簡単に検索でき、かつ本人の歴史や思いを組み込むことができるお店やサイト、サービスがあればもっと身近に楽しいことが増えるんじゃないか、そう思いました。
これを通じて物質主義の世の中から価値がシフトしたらどうでしょう、「あげて終わりのプレゼントはもう終わり。」
体験が終わっても思い出は増えていきます。

感動や、記憶に残るストーリーがどんどん連鎖する世の中、素敵ではないでしょうか??

●私の転換

こうだったらいいのに、と願いを実現するために自分で動くことを学ぶ。日頃より思っていたことの一つとして『コトのセレクトショップ』を挙げた。初めての合宿で諸先輩方に背中を押されて決めた。「やってみよう」

●「コトのセレクトショップ」のPJを立ち上げた

◇親孝行なコトをテーマに意見交換会をしました。
→親孝行という言葉の訴求効果と、エピソードの持つ力

◇親孝行をコトで表わしたいという方々とのお話とそのお手伝い
→一口に親孝行といっても、 各家庭の事情や、背景により異なること、また、コトを通じて感謝を表したいとは思ってもきっかけが必要。片方の方の親御様が、他界されたことから時間が有限であること、負のきっかけでなく気付いてもらう必要があることを改めて痛感。

◇大学でのワークショップ型のイベント
→「実は10数年途絶えていた家族のイベントを復活させます!」という女子学生に出会う。きっかけになれるという自信がついた。なるべくたくさんの方に気付いてほしい。

◇アンケートをもとに「おやこうこうてちょう」を作成
→色々な人が考えた親孝行なコトと、自分にとってのそれが何かを考えて具体的に書き込めるスペースで1人でもワークショップ!

●私の気づき

(1)親孝行なコトは、10人10色であること
(2)親孝行なコトをしたいと思うきっかけが必要であること

●今後の私

親孝行手帳を使ったワークショップをさらに企画しよりたくさんの人のきっかけとなりたい。他のワークショップ、企業とのコラボなどにも取り組み持続可能な形を模索する。親孝行手帳ver2も作りたい。

でもこのPJはまだまだ始まったばかり。継続していくためのPJの「形」をまずは決めたい。「コト」の収集、紹介、企画は常にやりたい。

●一新塾に入っての感想とお礼

卒塾式で、理事賞を頂いた。ごくごく一般的な市民が、何かを考えて動き出したことの評価だと思う。ここまで頑張ってこれたのも、まずはメンバーが入ってくれたおかげ。
1人では決してやらなかった。そして、塾に誘ってくれた先輩のおかげ。

一緒に頑張った25期のリーダーや、メンバーのみなさん。
先輩、26期、27期のみなさん。
そして、先生方、協力してくれた方々。
たくさんの人に支えられてここまでやってこれた。
人とつながって、何かをつくることが社会活動だとおもうし、
それをこれからも続けることが、恩返しになると思う。
でもこの卒塾で一旦みなさんに伝えたいです。
「ありがとうございます。」って。

塾に入って仲間に会えたから、私は新しい自分になったと思う。こんなにポジティブな人に囲まれるのはなかなかない機会。そして、仕事でバタバタしつつなんとか提出物を提出できたのはほかならぬ森嶋さんの温かい励ましがあってこそ。

もし誰か、私のような人が、説明会に来ていたら私は迷わず勧めます。「入った方がいいです、それからPJもやってみた方がいいです」って。きっと充実した一年になると思うし、それは充実した一生につながるかもしれないから。

『 子ども虐待予防プロジェクト 』

9月12日、新宿で塾生主催のシンポジウムが開催されました。
「『虐待の真実』〜もう、ほっとけない。今私たちにできる第一歩」 第25期生の佐藤孝典さんが「子ども虐待予防プロジェクト」のメンバーと ともに創りあげた手作りのイベントです。 このたび、佐藤さんにシンポジウム開催を振り返ってメッセージをいただきました。佐藤さんのミッション・ビジョン。そして、シンポジウム開催に至るまでの佐藤さんの葛藤と決意が胸に響きます。ぜひ、ご一読ください。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■        『 子ども虐待予防プロジェクト 』
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■■■■■□                一新塾第25期本科 佐藤孝典

●ミッション

 私のミッションは虐待予防のための仕組みをつくることです。
 今、子どもが死亡する悲惨な事件が後をたちません。虐待は決して新聞やテレビの向こう側のことではなく、私たちの住む地域の中で起こっています。今現在も、声を殺して苦しみに耐えている子どもたちがいます。虐待問題への取り組みも、早期発見、保護の方法など、虐待が起こった後の対応が中心なのが現状です。私はなんとかして虐待の“発生予防”をする仕組みを作りたいと考え活動をしています。

 虐待増加の根本原因には社会構造の変化に伴う、コミュニティの問題、核家族化の問題、親の精神的など様々な問題が複雑に関わりあっています。

 私は4年前、実母から虐待を受け傷ついた少女に出会いました。助けを求めるような、怯えるような、そしてどこか諦めてしまっているような目をした少女。なんとも表現できない彼女の目、表情を私は今も忘れることができません。

 それまでの私にとって、虐待は自分とは関わりのない他人事でした。しかし、ひとりの虐待被害児との出会いから、虐待は身近な問題に変わりました。虐待を調べれば調べるほど、問題は複雑で、解決が難しいことがわかりました。そして問題の根本解決には、福祉の一分野だけでなく、制度を変えたり、一般市民の意識を変える必要があると考えましたが、当時の自分は自信がなく行動に移せずにいました。私はなんとかして虐待を無くしたいという気持ちを抱きながら模索を続けていた時に一新塾に出会いました。

一新塾プロジェクト立ち上げ

 私は一新塾で、「虐待予防」のビジョンを掲げました。このビジョンに共感してくれた3人の同志が集まり、プロジェクトを発足することができました。まずはじめに、私たちは一新塾で教わった「現場主義」の考えの元、育児家庭、児童養護施設へインタビューを行いました。

 私を含め育児経験のないメンバーや児童養護施設に行くのは初めてのメンバーもいました。児童養護施設に暮らす多くは、虐待が原因で保護されてきた子どもたち。プロジェクトメンバーは、幼い子ども達に直接会った事で、虐待を受けた子どもたちの現状を知り、いっそう、虐待から子どもを守りたいという気持ちが強まりました。

 同時期に、私は過去に虐待を受けた虐待被害者の兄弟とインターネットを通じて知り合いました。私はすぐにアポイントをとり、直接会いに行きました。私は被害者のお二人と話をし、「福祉制度を変えるのと同様に、もっと一般の方に虐待は特別な事ではないという事を知ってもらいたい」という当事者の思いを知りました。彼らの気持ちに答えることが私の役目であると考え、虐待被害者の彼らと共に当事者の声を一般の方へ届ける、シンポジウムを開くことを決めました。

●同志と協働してのシンポジウム開催

 9月12日のシンポジウム開催は、私にとって大きなチャレンジでした。本音を言うと、シンポジウム直前まで、私は虐待問題に関わることに恐怖心を抱いていました。私の発言や行動で、虐待被害者を傷つけてしまうこともあります。また私自身自分に自信がなく、シンポジウムなど大それた事をしてよいのかとも悩みました。しかし、私は活動を続けることができました。それはプロジェクトメンバーの支えや、虐待被害者の方の協力があったからです。プロジェクトメンバーは「なんとかして虐待を無くしたい」という自分の根っこにある気持ちを7ヶ月間、ずっと支え続けてくれました。

 そしてもうひとつ。シンポジウムでは虐待被害者の方が虐待体験を語ることになっていました。人前で虐待体験を語ることはとても勇気が必要です。彼らが勇気を出して人前に立つというのに、私だけ怖じ気づいている訳にはいきません。そう思った時、私は初めて本当の覚悟ができました。

 シンポジウムへは多くの方が参加してくれました。中には、自身も虐待の被害者だと言う方のカミングアウトもあり、虐待被害者と一般市民が共に「虐待予防」について意見を交わす貴重なシンポジウムとなりました。参加者からも継続を希望する声を頂き、私たちはこの活動を続けて行く事を決めました。

●今後の展望

 プロジェクト発足から今までを振り返ると、インタビューや、シンポジウム開催を含めてわたしひとりの力ではなし得なかったことが仲間の協力のもとに実現することができました。私は仲間との協力が全ての事に当てはまると知りました。問題を解決するには、ひとりの力では限界があります。支え合う仲間とのつながり必要です。私はこのプロジェクトを通じて、今まで関わることのなかった多くの人とつながることができました。私たちの活動は始まったばかりで、まだ何もなし得ていません。しかしこのつながりを大切にして、活動を継続していくことが、次のステップにつながると信じています。私はさらに多くの人と協力し「虐待予防」活動を続けていきたいと思います。


『 大谷の大屋根プロジェクト 』

混迷の時代、私たちは将来ビジョンを描くのが難しいかもしれません。 加えて、組織の縦割りとピラミッド構造が、思考停止を増幅させます。 個人で話をすると創造的で柔軟な発想をする人が、組織になったとたんに思考停止が起こってしまいます。

さらに、社会の枠組みをつくる作業は、政治家や官僚だけがやるものといった役割分担が浸透してしまっています。国民はミーイズムに呑まれ、自分や家族、一部の親しい仲間にしか関心が抱けずにいるのです。

しかし、全ての人は社会創造の作業に関わっていける権利があります。この最も創造的で心躍る作業を私たちの手に取り戻したときに、ビジョンを取り戻せるのではないでしょうか。それは、新しいコミュニティーづくりであり、新しい地域づくりであり、新しい国づくりです。

さて、今回は卒塾を一カ月後に控えた第25期生の野上哲也さんのメッセージをお届けします。野上さんは5名の一新塾メンバーとともに、栃木県宇都宮市大谷町の、幕末に建てられたかやぶき屋根の古民家・渡辺家を維持継承するためのプロジェクトを展開中です。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■         『 大谷の大屋根プロジェクト 』
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■■■■                 一新塾第25期本科 野上哲也
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●一新塾に入る

 この夏、せみの声を聞きながら栃木でお茶を摘んだ。
お茶を摘むには少し季節外れだけれど一新塾のメンバーと地元の方と一緒にお茶を摘んだ。そうして摘んだお茶が先日、紅茶になった。来年の初夏には一番茶を摘みに行く予定だ。出来れば地元の子供たちと一緒に。
さて、僕らがなぜ栃木でお茶を摘むことになったのか。

 ぼくは、建築設計事務所で働いる。子供の時はケーキ屋さんになりたかった。お店をどうしようと想像していたら内装の仕事に興味が出てきた。建築を勉強しておけば建築・内装設計のどちらもできると知り合いの設計士に勧められ建築学科へ入ることに。大学を卒業して将来どうしようとフラッとしていた時期もあったが、やはり、設計が好きでこの仕事をえらんだ。(いつかケーキ屋さんをという思いは今もある。)働き始めて約5年、小さな事務所だが自由な雰囲気の中、プロダクトからホテルまで様々なものを設計している。

 もちろんクライアントと向き合って、建物をつくっていくことはとても貴重な経験だ。けれどその一方で、ビルの一室にこもりコツコツやっているデザインや設計が社会とどうつながっていくのだろうとふと疑問に思うことがある。

 建築家の仕事とは社会的な仕事っていわれて教育を受けてきた。しかし、どうもその実感がない。今の世の中、僕が建築家として社会とどう関わっていけるのだろう。そもそも、いったい今僕が生きている社会ってどんなだろう。僕は、何も知らないではないか。これまでの環境の中で考えても、答えは見つからないだろうなということだけはわかっていた。自分の周りを広げていっても出会わない人たちと出会ってみよう。そこで考えてみよう。そうして僕は一新塾の塾生になった。


●プロジェクト立ち上げ

 僕が一新塾で立ち上げたプロジェクト、
 それは、栃木県にある茅葺の家の保存継承していくお手伝いをすること。

 古民家の屋根裏―そこには純粋な暗闇と光、静けさと重力がある―に魅せられて、大学院で古民家の研究をしていた。それを知る友人から、ある古民家の調査依頼を受けた。(実測し図面を描く。資料を調べたり聞き取りをしてその建物の来歴、特徴をまとめなどして建物の基礎的な資料を作成する。)茅葺の家を残していきたいけれど、いつ頃建てられたのか、どれくらい価値があるのかわからないので調べて欲しいとのことだった。茅葺のみならず、蔵や門や庭、畑などを含めた景観がすばらしい。さらに、今こうした古民家がどんどん減っている中で実際に住まわれていることも非常に貴重だ。ぜひとも残って欲しいと感じた。

 調査の合間に、ご当主から茅葺を維持していくことの難しさをお聞きした。住宅としての性能的な面、価値観の問題もあるが、なにより葺き替えの資金確保の問題が茅葺維持を難しくしている。

 今では地域で唯一の茅葺の家。今年はお隣さんの葺き替えを手伝ったから来年は家をやってもらいましょうといったコミュニティはもうない。相互扶助のムラ社会が崩壊した現在、個人で専門業者に依頼し茅葺を維持していくのは非常に負担が大きい。

 ご当主は”いいかたち“で残していければと言う。そのいいかたちとはいったいどんな形なのだろう。これまで、調査・研究はしていたが、保存活動に積極的にかかわった経験はない。しかし、何が出来るか具体的に動いてみよう、そう思えた。

 建築マニアの僕だけで頭をひねってもいいアイデアは出てこないだろう。建築を使い、維持していくのは決して建築の専門家ではない。もっと、違ったアプローチでものを考えてみたい。ちょうど一新塾のプロジェクト立ち上げの機会と重なり、いろんな方と頭をひねろうとプロジェクトを立ち上げさせてもらった。

 地元の保存の会との話し合いを通じて、ムラ社会に代わる茅葺維持に協力してくれるコミュニティを作ること、資金確保の仕組みを提案できないかと考えている。

●『○○家茶』ブランドをつくってみよう

 その一つが家の前に昔からある茶畑から紅茶を作ること。

 今ある茶畑の手入れをして地域の子供に食育の一環で茶葉を摘んでもらう。地元の製茶工場で紅茶にしてもらう。パッケージデザインは子供の描いた茶摘みの絵日記で。地域のお店で、販売してもらおう。おいしい上に飲むと茅葺保存に一役買える紅茶として。

 こんなストーリーを持った紅茶を作ってみたらどうか。
さらに、

 お茶だけの手入れをするのは無駄が多いので、一緒に農業体験を始める。農業体験にあわせて季節のイベントを開催する。大屋根の下で一緒に作業をしてお茶を飲みながらいろんな話をする。楽しんでくれる人たちがファンとして茅葺維持に協力してくれるつながりになる。

 ハードとしての建築だけでなく、小さいけれど教育、雇用、農業、出会いの場づくりといった色々なことをちょっとずつ含みながらこのプロジェクトが進んでいく。茅葺の家が生き生きと地域の中である価値を持ちながら存続していく。

 まだ、半分以上空想の話。個人の家であるがゆえに難しい点もある。どうなるかはわからない。しかし、活動の中でお会いできた方にちょっとずつヒントをいただき生まれたストーリーでもある。
 
 これから、ご当主やご家族、地元の有志、プロジェクトメンバーと相談しながら愉しく長く続けていける“いいかたち”を探っていきたい。

 また、こうした活動の中で何かモノが生まれるのであれば、そのデザインはしっかりと根っこをもったデザインになるのかなと予感しつつ、建築家の職能についても考えていきたい。

『 こどもたちのエコスクール 』

さて、今回は、今年の5月に卒塾された第24期生の迫博司さんよりメッセージをいただきました。第24期で迫さんが立ち上げ、7名の同志と現場主義で協働し取り組まれている「こどもたちのエコスクール」プロジェクトの1年を振り返っていただきました。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■         『 こどもたちのエコスクール 』
■■      〜一新塾でのプロジェクト活動を振り返って〜
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■■■■                      一新塾第24期 本科
■■■■■□                          迫 博司


  第24期生の迫です。在塾中の2009年8月に「こどもたちのエコスクール」を立ち上げ活動を開始しました。

  私たちのチームの成果は、人の繋がり、人の和です。何があっても、想いを発信し、歩き続ける。そうすると必ず想いを共有できる方、サポートしていただける方に必ず出会うことができる。この確信を得ることができたこと、そして仲間の和が成果です。

●入塾の想い 日本トップクラスのエンジニア?

 入塾時、私は、大手建設会社の設備設計課長でした。勤続19年、先進的なサステナブル建築の設計を行い、度々、学会から賞を頂き、その成果を国際会議で発表してきました。私には、自分の専門性においては、日本のトップレベルで仕事をしているという自負もありました。ただ、どんなに優れたサステナビリティの高い建築をつくっても、社会的に普及しないことに、限界を感じていました。19年でどれだけの建物をつくれたか。これから20年でどこまでできるのか、と。

 中学校の設計を頼まれた時、学校から「エコスクールの設計をお願いします。 新校舎は、勉強に集中できるように、全て冷暖房完備でお願いします。」と。 違う!学校には夏休みがあるのです。 自然通風や建物配置を工夫すれば、 冷房なしでも快適に過ごせるのです。また、どうしたら涼しく、また、温かく 快適に過ごすかは、こどもたちが自分たちで考えることが大切なのに、室内温度が28℃になるまで我慢。28℃を超えたらエアコンをつけてよい。などと決めつけることも間違っている。そんな中、もやもやした気持ちで一新塾の門を叩いたのです。


●1人で見知らぬ学校訪問

 チーム名「こどもたちのエコスクール」。
(1)こどもたちに建築と環境・エネルギーの知恵と工夫について授業。
(2)こどもたちが自分たちの学校を、自分たちの知恵で省エネ化。
(3)削減した水光熱費で、こどもたちが社会問題解決。         
考え方は、分かりやすいものです。

 私は、チーム結成前のお盆休みに、地元の新宿区の小学校へ行きました。その学校は、校庭の全面芝生化を新宿区報に掲載された学校でした。私は、校庭の芝生化の実施が進まない現状の中、芝生化を実現したこの学校には、きっとよいリーダーがいると考え、「芝生見学させてください」と言ってアポなしで訪問したのでした。素晴らしい学校でした。副校長先生とお話し、私たちが入りこむ必要のない学校でした。

 よい学校は、私たちの活動を必要としていない。一方、保守的な学校は、「いい話ですね。検討してみます。」と言ったきりで、話がすすまない。3校訪問し、我々の提案を採用してくれる学校はありませんでした。

●二度目の一新塾合同合宿と学校

 チームを立ち上げ、メンバーは、隔週のチーム打合に、忙しいながらも、参加し意見をしてくれました。ただ、一緒に活動を共にしてくれる学校が無いことには・・・。
私は、何かの気づきを求めて2回目の一新塾合同合宿に参加しました。出会いは、ここにもありました。「昨年から行っている中野エコマップの活動に、エコの専門家がいない。協力して欲しい。」とOBの大島さんから話があったのです。早速、エコマップの活動を伺い、昨年エコマップを実施した新渡戸文化学園と打合を開始しました。学校は即決で連携していくことを決めて頂きました。

●最年少メンバーから一喝

 チームメンバーは、20歳台〜大先輩まで、まったくキャリアの違う8人が集まりました。私が、資料をつくり皆にレビューをする。でも、授業のコンテンツつくりとこどもたちへの訴えについては、私の中では、かなりぶれていました。モザンビークでこどもたちに英語を教えて帰国した若手の女性メンバーにも、モザンビークの話を語って欲しいと考えていました。
でも、彼女から一喝されました。「皆、迫さんの話を聞きたくて集まっている。迫さんが話さないでどうする。」と。さらに、森嶋さんからは、「迫さんがこどもたちに語らず、誰が語る?」と言われ、自分がやってきた建築と環境・エネルギーの想いや知恵と工夫を語ろう。と気持ちが固まったのでした。

●こどもたちと環境教育の授業

  今年の活動は、
 (1)建築と環境・エネルギーの授業
 (2)鍋横商店街の実情説明
 (3)鍋横商店街の街歩き取材
 (4)こどもたちによる鍋横商店街のエコ化提案             
    することになりました。

  チーム活動も、授業コンテンツの作成、一新塾での授業リハーサル、新渡戸文化学園での授業リハーサルを経て、こどもたちのエコスクールの第1回の授業を6月に行いました。そして、7月に鍋横商店街をこどもたちがエコ化するための取材を実施しました。私も授業後、こどもたちの商店街歩き取材に同行しました。

 授業は、私にとっても、とても面白いものでした。伝えたいことをしっかり話しました。しかし、たった1コマの授業と街歩き取材で、こどもたちに何を伝えられたのか。私は、不安でした。授業後、担任の先生からは、「こどもたちは、今日の授業で何かを感じた生徒、街歩きの時に何か思い出す生徒など色々です。」と。私は、「そうか、気づきにも、色々な場面があるのだ。どれだけ多くの気づきの機会を用意できるかが大切なのだ。」と、気づかされました。授業後の生徒の質問も、様々でした。その中の1人に、何か気づきのあった生徒も確かにいました。「気がついたこと。できることは、自分で実行する!」と授業の最後に強く話した後、次の授業で、1人の生徒に変化があったところを発見しました。一番、嬉しい瞬間でした。

 9月には、いよいよこどもたちの考えをまとめ、商店街へプレゼンテーションします。どんな提案ができるのか、楽しみです。

『夢への一歩【笑顔と夢を運ぶサンタクロースになりたい!】』

さて、今回は、今年の5月に卒塾された第24期生の勝見恭子さんのメッセージをお届けします。深く深く志の“根っこ”を掘り下げた末、2月から目黒区の社会教育館の一室で「めだかの学校」を始められた勝見さん。揺るがぬ思いで行動を積み上げる勝見さんの姿勢が胸に響くメッセージです。

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■■■■ 塾生活動レポート
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■■   『夢への一歩【笑顔と夢を運ぶサンタクロースになりたい!】』
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■■■■                      一新塾第24期 本科
■■■■■□                         勝見 恭子


「あなたにしかできないことが、きっとある!」

今、毎日が辛いと感じている子供達にそう伝えたい。
今、生きがいが見当たらず、何かに挑戦したいともがく大人達にそう伝えたい。そして、少し前まで辛くてもがいていた過去の私にこう伝えたい。
「私は今、過去の経験があるからこそ、夢に向かえています」と。


1年半前、私の夢はつかみどころのない、大きな雲のようだった。
【笑顔と夢を運ぶサンタクロースになりたい】と、理由は説明できずとも、
ただその言葉だけが、自分が心から納得できる譲れない夢だった。

一新塾で、自分の志にとことん向き合っていく中で、
日々の身近なニュースが、私を駆り立てた。

・小中学生の不登校13万人
・うつ病通院者90万人
・介護殺人200件/6年
・自殺者数3万人
・虐待相談件数4万件

「心に痛みを抱えている人が、こんなにも沢山いる。
私は、その痛みを少しでも和らげられるようなそんな活動をしていきたい」
こう決意ができたとき、私はスタートラインに立てたのだと思う。


●過去の自分に向き合う

しかし、それからの「一歩」がなかなか踏み出せなかった。
どこに向かえばいいのか分からず、幾度となく舞い戻った。
「私は一番最初に、『誰に』笑顔と夢を運びたいんだろう。」

自問自答する中、インターネットを通して
私は、理由なく心が動いてしまう子供を見つけた。

「何で生きているんだろう」と誰にも相談できず、
掲示板に思いを吐き出す小学生。
自分の過去と重なる子供だ。

小学生の頃の思いを、私は今まで心の奥深くに閉じ込めていた。
「消えてしまいたい」と思っていた日々。
毎日が辛くても誰にも本音を話せず、
常にイイコでいようとしていたこと。
心の中ではSOSを出していたのに、
外に出す勇気が、心を許せる相手がいなかった。

私は、過去の自分に向き合うのが、何よりも怖かった。
今でも、私自身が本音を、過去の経験を奥深くにしまいこんで、
建て前で生きていることに気付かされたくなかった。
過去の自分と今の自分は違うんだと思いたかった。


チームを立ち上げて、何もできなかった半年間。
過去の自分から逃げていた半年間だった。

しかしその半年間が教えてくれた。
自分が変わることでしか、社会は変えられないのだと。
私が過去の私自身を好きにならなければ、
過去の私と同じような環境にいる子供達に、
自分自身を好きにさせることはできないのだと。

そして、私の強みは、辛い心の痛みに共感できること。
過去の経験があるからこそ、今救いたい子供達の気持ちに
しっかり寄り添うことができるのだと。

だからこそ私は今、本当の自分自身で、子供達も本音を話せる場所、
SOSを発信できる場所をつくりたい!


●「めだかの学校」

入塾から半年後。私はやっと、夢に向かって一歩を踏み出すことができた。
子供達に寄り添うことを心に決め、目黒区の社会教育館の一室を借りて、
無料の自習サポート教室「めだかの学校」を始めた。

「めだかの学校」は、子供たちが親の許可なしで来れるように、
無料で、図書館と同じ建物で開催。
友達と一緒じゃなくても来れるように、土曜日の午前中に開催。
全て、過去の私が助言してくれた。

開校して1カ月半、「めだかの学校」には誰も来なかった。
第一回  2月13日 参加者なし
第二回  2月20日 参加者なし
第三回  2月27日 参加者なし
      ・
      ・
第六回  3月20日 参加者なし

でも、私はもう舞い戻らなかった。
過去の私なら、新しい場所に参加するのは、
大きな勇気が必要なことが分かっていたから。

第七回  3月27日 小学生2名
第八回  4月3日  小学生2名
第九回  4月10日 小学生4名
第十回  4月17日 小学生7名
第十一回 4月24日 小学生6名
      ・
      ・

♪そーっと覗いて見てごらん♪

開校から半年たって、現在は毎週平均5,6人の小中学生が勉強に来るようになった。
地域の方もボランティアスタッフとして4人加わってくれて、
子供達はそれぞれ、思い思いの時間を過ごしていく。

黙々と勉強する子も、お菓子を食べにくる子も、スタッフに甘えにくる子も、
友達と遊びにくる子も、ずっと話していたい子もいる。みんな自然体だ。

この子たちが、いつか心が不安定になってしまった時、
自然と寄り添える距離に、私はいたい。
私じゃなくとも、地域の身近な大人が、
心の痛みに気づいてあげられる距離にいてほしい。


♪誰が生徒か先生か♪

私は今、子供達からたくさんの元気をもらっている。
一緒に励んでいる同志も、地域のスタッフの方も、
子供達と一緒にいる時の笑顔がとても素敵だ。

いつか子供達の通学路に、寄り道できる「めだかの学校」が、
立ち話しできる身近な大人が、たくさん溢れるコミュニティにしたい。

様々な大人の背中は、子供達にとって、きっとたくさんの夢の種となる。
子供達から夢や元気をもらえる大人もたくさんいるはずだ。
そして、このつながりが多くの笑顔を生んでいくと、私はそう信じている。

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